サイコキネシス(前)

     ◆


 ヒューゴはながテーブルの一番手前にあったイスへ腰を下ろした。使用人は扉のそばで背すじをのばして控えている。


 ほどなく、壁ぎわの小さなテーブルに置かれた花瓶かびんが、引きずられたような音を立てた。ヒューゴはそちらへ目を向けたが、すぐに興味を失った。


 しかし、十秒ほど後に同じ花瓶がゴトンと突然倒れ、テーブルの上をころがりだした。あげくに床へ落ちて、パリンと大きな音を立てて割れた。


「申しわけありません」


 使用人がそそくさと片づけへ向かう。ヒューゴはおどろいた様子で立ち上がって、破片はへんを拾い集める様子を見守った。


 その時、首すじをなでられるような感覚がヒューゴを襲った。背後を振り返ったが、誰もいない。彼はキツネにつままれたような顔つきで、奇妙な感覚の発生源はっせいげんである首もとをなでた。


 ヒューゴは気のせいだと考え、先ほどと同じイスへ腰を下ろした。うわの空でテーブルの上に目を落とすと、今度はおぞましい言葉が耳もとでひびいた。


「予告――あなたはそこのナイフでさされて死ぬ」


 ヒューゴは身の毛のよだつ思いで、とっさに後ろを振り向いた。だが、やはりそこには誰もいない。しかし、ささやき声は鮮明で、声だけでなく、耳に吐息といきがかかる感触さえあった。


「何か言ったか?」


「はい?」


 まだ破片を集めていた使用人が、立ち上がって目を丸くした。声音こわねが全く違う。それは明らかに女のものだった。ヒューゴは言い知れない不安に襲われ、食堂内にくまなく目を走らせた。


 正体不明の声がナイフに言及したのを思いだす。探してみると――見つかった。長テーブルの反対側のはしに、ナイフがポツンと置かれていた。


 いつからあそこにあったかはさだかでない。最初から置いてあったのを、単に見落としていたのか。ヒューゴが存在に気づいていなかったのは確かだ。


 抜き身のナイフが不気味に光を反射する。ヒューゴは目が離せなくなった。ひとりでに動きだし、今にも襲いかかってきそうだった。


 そして、予感は的中した。


 突然カタカタと振動を始めたナイフが、ちゅうにうき上がった。さらに、空中をフワフワとただよいながら、まるで意思を持つかのように向きを変え始めた。


 やがて、ナイフはピタリと静止した。その切っ先はヒューゴにねらいを定めていた。


 女の能力は〈念動力サイコキネシス〉。能力の名前から女はサイコと呼ばれ、その名は自分にふさわしいひびきがあると感じていた。


 サイコの固有こゆう能力は〈念動力サイコキネシス〉のみだが、借り物の能力を複数保持している。姿を隠すために使用している〈不可視インビジブル〉もその一つだ。


 その名の通り、〈念動力サイコキネシス〉は思念しねんによって物体を操作できる。対象は無機物むきぶつにかぎられ、物理的接触によってリンクを確立しなければならない。また、個数は三つまでに制限され、複数の対象を同時に操作することはできない。


 ヒューゴのほおを冷や汗がつたった。息がつまるような短い時間の後、ナイフが動きを見せた。


 ヒューゴは『電撃』を放って迎撃げいげきを試みた。けれど、知覚を持たないナイフはそれをものともせず、目にも止まらぬスピードでせまって来た。


 ヒューゴは身をひるがえしてナイフを紙一重かみひとえでかわしたが、その場に尻もちをついた。そのままの勢いで進んだナイフは、扉近くの壁に突きささった。


 ヒューゴは慄然りつぜんとしながら、うつろな目をそれにそそぎ続けた。


     ◇


 スージーを会場まで送り届けると、すでにロイは戻ってきていた。パトリックが話を聞きたそうにしていたけど、話が長くなるので後回あとまわしだ。


「みんなでここにいてください。絶対に一人にならないでくださいね」


 そう言い残して、会場を飛びだした。ここへ戻る直前、デリックと一緒にいるヒューゴとすれ違った。あの女とデリックが結託けったくしていたら、ヒューゴの身があぶない。


 ひと部屋ごと立ち止まって、中へ入念にゅうねんに目を光らせる。女はなかなか見つからなかったものの、廊下の先で『電撃』のような光が走ったのを偶然目撃し、そこへ急行した。


 部屋の前にたどり着いた。そこは食堂で、すぐさま異状に気づいた。そばの壁にはナイフが突きささり、おびえた様子の使用人が、長テーブル脇で身をひそめている。


 そして、あの女が部屋の奥にたたずんでいた。


 女に気を取られていると、何かが視界のはしで動いた。


「ヒューゴ!」


 長テーブルのかげに隠れて気づかなかったけど、ヒューゴが床に座り込んでいた。


「気をつけろ! この部屋に何かいるぞ!」


 ヒューゴの言う『何か』が女をさしているかはわからない。どっちにしろ、自分はあの女に用がある。直接問いただしたほうが手っとり早いだろう。


 食堂へ慎重に足をふみ入れ、長テーブルの脇を進んで、女のもとへ向かう。


「おや、また会えたわね」


 女は目を見張りながらも、どこかうれしげだ。


「よくあの状況から生きて帰って来れたわね。何をどうしたのかしら?」


 よくもまあ、いけしゃあしゃあと。さっきのことがあるから、下手へたに耳を貸さないほうがいいか。間合いをつめながら、牽制けんせいの意味をこめて右手を突きだした。


「そっちに誰かいるのか?」


 立ち上がったヒューゴが視線を泳がせながら言った。どうやら、声は聞こえていても、女の姿は見えていないようだ。


 僕の肩越しに入口のほうへ視線を送っていた女が、ふいに頬をゆるませた。


「ウォルター! 伏せろ!」


 ヒューゴの指示に従って、反射的に身を伏せると、ナイフが頭上ずじょうを猛スピードで通りぬけていった。鼻で笑った女がナイフをキャッチする。


 間一髪かんいっぱつだった。女はこんな能力も持っているのか。いつ殺されてもおかしくない。攻撃に一切いっさいの迷いがない。


「ウォルター、敵はどこだ!?」


「奥の壁ぎわにいる!」


 依然いぜんとして、ヒューゴはその姿を視認できていない。けれど、そちらへ目がけて、闇雲やみくもに『電撃』を放つと、女は隣りの部屋へ逃げ込んだ。


 僕が追いかけるしかない。かけ足で女の後を追うと、そこは厨房ちゅうぼうだった。開け放たれた窓の前で、女は外をながめていた――と思いきや、したり顔でこちらを一瞥いちべつした直後、忽然こつぜんと消え去った。


 窓から外を確認する。女の姿は門柱もんちゅうの上にあった。銅像のようにかまえ、屋根を見上げている。ここから十メートル近く離れている。あそこまで瞬時に移動したということか。


 遠隔えんかく操作したり、瞬間移動したり、能力のオンパレードだ。この計り知れない敵に、ろくな策もなしに立ち向かっていいのだろうか。


 だからといって、みすみす逃がすわけにはいかない。あの女がここに来た理由は、この国――ひいては巫女みこを攻撃することに他ならない。


 窓から外へ出て、女のもとへ向かった。けれど、またもやその姿が消えた。しばらく周囲を見渡したものの、どこにも見当たらない。


 ふと、女が屋根を見上げていたのを思いだし、そちらへ目を移した。やはり、女はそこにいた。ここまで来れるものなら来てみろ。そう言わんばかりの顔で、こちらを見下ろしていた。


 望むところだ。悪いけど、屋根にのぼることなんて、こっちにとってはお手のもの。今すぐ行ってやる。

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