頼もしい仲間(前)

     ◇


 現実に戻ってから、昼すぎに土井どい先輩へ電話をかけた。他の誰かを異世界に連れて行くという実験に、協力してもらうためだ。


 初めて異世界へ行った日の翌日以外、家族や文芸部の部員はもちろん、現実の誰にも異世界の話をしていない。


 それもこれも、異世界の話を口にしようとすると、のどをしめ上げられる感覚に襲われるからで、最近は頭に思いうかべることすら敬遠けいえんしていた。


「先輩。異世界へ行ってみたくありませんか?」


「この間の続きかい?」


「はい、続いてます」


「まだ……、生きていたいかな」


「大丈夫です、死んだりしません。僕は生きてますから」


 冷やかされても、こんな話に付き合ってくれるだけでありがたい。


 今晩、僕の家に泊まりに来てほしいと頼み込んだ。今日は土曜日だったので、先輩はあっさりオーケーしてくれた。


     ◇


 夕方、先輩が約束通りやってきた。


「武器とかは持って行かなくていいのか?」


「いりません」


 部屋に招き入れた先輩の第一声だいいっせいをサラッと流し、本題に入った。


 あの日から、連日異世界へ行く夢を見続けていること、夢の内容がずっと継続していて、現在は二重生活の状態であることを説明した。


 さらに、このベッドで寝れば、先輩を異世界へ連れて行けると考えたことも簡潔かんけつに話した。


「僕はモルモットというわけか」


「……悪く言えば」


「君が一週間がかりで悪ふざけをする人間だと思っていない。本心では無条件で信じてあげたいが、事が事だからな。まあ、そんな夢のような体験ができたらいいなとは思うし、ここで寝るだけなら、何度だってやるよ」


 先輩は心良こころよく引き受けてくれた。さっそくベッドで寝てもらい、一時間後に起こすと段取だんどりを決めた。


「普通のベッドにしか見えないけどな」


 ベッドに腰かけた先輩がクッション性を確かめる。


「異世界へ行くようになってから、ビックリするくらいストンと眠れるようになったんです。何ていうか、魂がぬけ落ちていく感覚なんです」


「そんなこと言われると、逆に怖くなるだろ」


 先輩が身をあずけるようにベッドへ横たわる。天井へしばらく視線を投じた後、おもむろに目を閉じた。息をつめて見守ること一分。先輩が上体を起こした。


「こんな時間に眠れるわけないだろ。まだ六時すぎじゃないか」


 もっともな話だった。そこで、ある事を思い出した。机の引き出しに充満する黒煙こくえんだ。


 まるで日の高さと反比例はんぴれいするように、夜になると再び姿を現す謎の物質だ。ただ、朝方にはきれいさっぱりなくなっているので、引きだしの使用には問題ない。


「何か見えませんか?」


 そう言って、黒煙が満ち始めていた引きだしを開けた。そこへ目を落とした先輩が、中からUSBユーエスビーメモリを取りだした。


「これが異世界へのキーかい?」


「違います」


 あわててそれを取り上げると、勘ぐるような視線がそそがれた。


     ◇


 その後、ゲームや雑談、食事などで時間をつぶし、先輩はおりを見てベッドへ横になった。


「ダメだ、とても眠れそうにない」


 けれど、数分程度で起き上がってしまう。


 時刻は夜の十時目前。いつもなら、もうベッドに入っている時間だ。現実では休日でも、向こうの休日は日曜日だけ。そろそろ行かなければ始業に間に合わない。


 はやる気持ちをおさえるように、意味もなく引きだしを開ける。黒々とした煙で中はおおいつくされ、視界は完全に失われている。


 この先に異世界があるのではないか。そう考えて、顔を近づけて目をこらしてみる。だんだんとむなしくなってきたので、ふとベッドの先輩を振り返った。


 すると、思いがけないものが目に飛び込んだ。先輩のかたわら――ちょうど右肩の先に文字がうかび上がっていたのだ。


 それは〈悪戯〉トリックスターの説明が表示されたメッセージウィンドウとそっくりだった。だけど、ここは異世界ではなく現実。あ然としながら歩み寄ると、先輩が幽霊でも見たかのような目つきで僕を見上げた。


「先輩、この辺りに文字がうかんでいます」


 夢うつつのまま張りのない声で言った。あっ気にとられた先輩にかまわず、眼前に表示された文章を読み上げる。


 能力『〈委任〉デリゲート

 説明『対象への能力付与ふよを交換条件に命令を一つ受け入れさせる』

 制限『対象に付与する能力はランダム。同一対象への再使用は不可』


 さらに、能力の説明書きのそばに『対象に一つ命令することができます。対象に与えられる能力――〈梱包〉パッケージング』と別枠べつわくで書かれていた。


「何の話だか、さっぱりわからないな」


 さしもの先輩も苦笑し、当の自分も困惑していた。黒煙だけでも不気味なのに、異世界における現象が現実に顔を出したのだから。


「先輩に〈梱包〉パッケージングという能力を与える代わりに、一つだけ命令できると書いてあります」


徹底てっていしてるな。おもしろい」


 先輩は他人事のようだけど、声をはずませている。


「とりあえず、従ってみませんか? 命令は……、『異世界へ一緒に行って僕に協力する』なんていうのはどうですか?」


「うん……」


 難しい顔をした先輩は、しばらく返答をしぶった。


「協力するというのはしゃくだから、指導するっていうのはどうだろう?」


 先輩はつまらないことにこだわった。


「それでかまいません」


 多少シラケた気持ちで答えると、突然目の前の表示が切りかわった。


 最終確認のメッセージ――『契約が成立しました。本当によろしいですか?』と表示される。僕達のやり取りを認識して、連動しているようだ。


 心の中で「はい」と念じると、僕と先輩の間に、唐突に光の粒が出現した。そして、爆発的にふくれ上がったそれが、瞬時に部屋中をまばゆい光で満たす。


 発光が収束しゅうそくしてから数秒後、恐る恐るまぶたを開き、愕然がくぜんとした先輩と顔を見合わす。


「すごいじゃないか! 口先だけじゃなく、演出まで用意してたのか!」


 先輩が僕の両肩をつかんで、興奮気味にまくし立てる。一方、強い既視感きしかんをおぼえた自分は、懸命に記憶を掘り起こしていた。


 その時、ふいに心臓の辺りに針でされたような痛みが走り、たまらず顔をしかめた。


太田おおたくん、約束しようじゃないか。明日、何事もなく朝を迎えたとしても、君をあざ笑ったり、危ないやつだと思ったりしないことを」


「……ありがとうございます」


 興奮めやらぬ先輩に、若干引き気味に答えた。


「さあ、これからどうするんだ。今や半信半疑のところまで、気持ちがかたむいてるぞ」


「じゃあ、さっそくこのベッドで寝てみましょう」


「まかせろ」


 先輩がベッドに勢いよく身を投げだす。自分も床にしいた布団で寝る準備を始めた。


「僕も一緒に寝ますけど、異世界へ行けなかったら遠慮なく起こしてください」


「わかった」


「電気消します」


 出発を知らせる汽笛きてきを鳴らすような気分で、部屋の電気を消した。そして、布団に身をうずめた。


「興奮してきた。こんな状態で眠れるのか?」


 暗闇の部屋にひびいた先輩の声を聞いたのが最後。またたく間に意識は異世界へ旅立った。

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