チーフの過去

     ◇


「こんなところで油を売ってたのか」


 ふいにチーフが姿を見せた。一日中ボーッとしている姿を見慣れているせいか、普通に歩いているだけでも見違みちがえた思いがする。


「誰か一人でいいから持ち場に戻れ」


「新しい仕事が入ったんですか?」


「そういうわけじゃないが、ちょっとした仕事がたまに舞い込んでくるんだ。お前ら、それをマリオン一人に押しつけてる自覚あるか?」


 正論だけど、チーフが言うとだいなしだ。


「……少しぐらいチーフが手伝ってくれてもいいですよ」


「それはダメだ。ここへ入る時、『何もしなくていい』と上から言われたから」


「『何もしなくていい』は『何もするな』という意味ではないのでは……?」


 スコットやケイトの率直そっちょくな反論にも、チーフは動じない。理由は知らないけど、断じて仕事を手伝わないという鉄の意志を持っている。


「ここで何をやってたんだ?」


「ちょっとウォルターに魔法の講義を」


「君はいきなり序列じょれつつきの士官しかんに勝ったんじゃなかったか?」


「はい。正確には相手の反則負けですけど」


 他人はおろか万物ばんぶつに興味がない様子なので、その話をおぼえていてくれたのは意外だし、うれしかった。


「だったら、もうお前が教えられる立場じゃないだろ」


 相手がチーフだろうと、スコットは毅然きぜんと対応する。そのため、日頃から二人がにらみ合う光景はめずらしくない。けれど、おたがいに引きぎわがいいので、口論こうろんに発展することはない。


「ウォルターはまだ試合経験が少ないですから」


「そんな彼に、お前は楽々と先を越されたわけか」


 ところが、今日の二人はかつてないケンカ腰の応酬おうしゅうを見せた。


「風の魔法のみで戦うっていう、しょうもないことはまだやってるのか?」


「しょうもなくないですけど、まだやってますよ」


辺境伯マーグレイヴうわつらをマネしてるだけだと気づかないのか?」


「俺の自由ですよね」


 スコットは怒りをこらえながらも、退く様子は見られない。二人を見守るケイトが目を泳がせ始めた。


「お前、まさか負けた時の言いわけにするために、くだらない意地を張っているんじゃないだろうな?」


 たて続けに挑発され、スコットは今にもつかみかかりそうな勢いだ。二人の間へすぐに割って入れるようスタンバイした。


 ケイトはオロオロと胸の辺りで指いじりをしている。何か言いかけたけど、なかなか言葉にならないようだ。


「ん? 図星ずぼしか?」


 スコットの右腕がきざみにふるえだし、右のコブシに力がこめられた。それを思いとどまらせようと、僕はスコットの腕にソっと手をかけた。


「オフィスには誰が戻りましょうか? やっぱり、私ですよね!」


 ひどくうろたえながらも、ケイトが能天気な調子で言った。


「さあ、チーフも一緒に戻りましょう」


 ケイトが腕を引っぱり、この場からチーフを連れだそうとする。


「チーフって確か、数年前までは辺境守備隊ボーダーガードでデカい顔をしていたそうじゃないですか」


 チーフが自ら一歩をふみだすも、その言葉を聞くと足を止めた。


「ウォルターも俺も本気でジェネラルの座をめざしています。同じ〈氷の家系アイスハウス〉だから、チーフは仮想ジェネラルとして格好の特訓相手になると思うんです。ヒマを持てあましているなら、未来ある後進こうしんのために、ひと肌脱いでくださいよ」


 これでもかという挑発的言動。ケイトが口を半開はんびらきにしてかたまった。それが胸につきささったのか、失笑しっしょうをもらしたチーフが、瞳に怒りを宿らせた。


 初めてチーフの人間らしい一面を見た。これまでのうつろな視線とは違う。まさしく、一触いっしょく即発そくはつの状態におちいり、しばらく両者のにらみ合いが続いた。


 けれど、それも長く続かず、チーフは気のぬけた普段の顔を取り戻すと、スコットの怒りをいなすように、視線をそらした。


「嫌だよ、面倒くさい」


 そして、おもむろに右手の指輪をはずしたチーフが、それをスコットの前に差しだした。指輪には〈氷の家系アイスハウス〉の証たる白濁はくだくした宝石が取りつけられている。


「だったら、これやるよ。これでお前が彼の相手になってあげればいい。何なら、試合でも使ってくれ。犬も食わないカッコつけをやめれば、お前も身のほどを知ることができて一石二鳥じゃないか」


「チーフ。指輪は気安くプレゼントするものじゃありませんよ!」


 二人の世界に入り込んでしまい、ケイトの言葉は耳に届いていない。当然ながら、差しだされた指輪に、スコットが手をのばす気配はない。


「しょうがない。代わりに、将来有望な君にプレゼントしよう」


「さあ、オフィスに戻りますよ!」


 見るに見かねたケイトにうながされ、チーフは連行されるように立ち去った。スコットがくちびるをかたく結んだまま、地面に目を落とした。


「そうだったのかもな……」


 スコットの口からもれたのは、そんな意外な言葉だった。


     ◇


 チーフはどうしてこんな、ひねくれた無気力むきりょく人間になったのか。昔からこんな感じなのかと、以前聞いたことがあった。


「チーフの過去を詮索せんさくしてはいけません」


 けれど、その時はケイトにはぐらかされた。


 あんな事があったので、ほとぼりが冷めてから、ケイトに思いきって尋ねてみた。


「中央広場事件の前に起きた〈樹海〉での戦闘のことを知ってますか? チーフはその唯一の生き残りなんです。応援を呼びに現場を離れたため、なんをのがれたらしいです。〈樹海〉で何があったかはよく知りませんけど、チーフが現場に戻った時には、もう部隊は壊滅かいめつ状態だったそうです」


 そうだったのか。自分だけ生き残ったがために、後悔に押しつぶされ、ふさぎ込んだのだろうか。


「〈資料室〉の所属となったのは事件後ですが、最初からあんな感じでした。噂によると、あれでも昔は女性にだらしないと悪名あくみょう高い人だったそうですよ」


 それにしても、それほど圧倒的な力を持つ〈侵入者〉達が、五年前からさしたる事件を起こしていないのはなぜだろう。もしかしたら、もうすぐそこまで、彼らの魔の手が忍び寄っているのかもしれない。

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