逃飛行(前)

    ◇


 屋敷を周回しゅうかいしているだけでは、一生男を振りきれない。これこそ、まさに堂々どうどうめぐりだ。姿が見えなくなったところで、一度逆に回ってみたら、鉢合はちあわせそうになったし、いずれボロを出してしまう。


 魔法でこう勝負するしかない。頭ではわかっていても、それはそれで重大な問題をかかえていた。


 火の魔法は手加減が難しいし、容赦ようしゃなく攻撃してくる相手では命の保障はできない。使うとしたら、致命傷ちめいしょうにならない風の魔法だ。


 その場合、指輪だけの力で勝つ自信はないから、〈悪戯〉トリックスターの力を借りなければならない。けれど、それは敵が有効範囲にいれば、相手の魔法も強化する諸刃もろはつるぎ。下手したら、足をすくわれかねない。


 男は追跡にしびれを切らし、見通みとおしの良い屋敷正面に陣取じんどって、待ちぶせ作戦に出た。まるでハンティングを楽しむかのように、病的な笑みをたたえながら、左右に目を光らせている。


 いったん、屋敷の反対側に回ろうと、足音をたてずに裏手を進む。ふと屋敷を見上げた時、屋根の上に身をひそめられるスペースを見つけ、妙案みょうあんがひらめいた。


「屋根の上にのぼりましょう」


「……どうやって?」


「飛びます」


「ああ……」


 この前アシュリーの屋敷で披露したので、すぐにコートニーは察知した。空中飛行はおぼえ立てで、まだうまく制御がきかないけど、の言っている状況ではない。


 しっかり彼女の体をつかんでいれば、能力の恩恵おんけいを受けられ、二人でも飛べるはずだ。手がふさがっていると意識の集中がしづらく、加減が難しくなるものの、魔法の発動自体は問題ない。


 ただ、その場面を想像したら、急に恥ずかしくなった。ためらいがちに抱きかかえるジェスチャーを見せ、こう断りを入れた。


「あの……、いいですか?」


「……うん」


 さすがのコートニーも恥じらいを見せた。


 頭の中で予行練習してから、彼女の肩とひざ裏に手を回し、思いきって抱きかかえた。やっぱり人間は重い。だけど、少しの辛抱だ。


「行きます」


 目標地点を見定めてから、合図を送った。コートニーの両目がつむられ、僕の首に回された彼女の手に力がこめられた。


 重力を軽減した後、すかさず『突風』を地面に向けて撃ち放つ。


 たちまち風景が流れていき、すぐに目測もくそくを見誤ったのに気づいた。頂点にたどり着いた時点で、すでに屋敷を大きく飛び越えていた。


 しかも、ブレーキをかけた反動はんどうで空中を一回転した。前後ぜんご不覚ふかくにおちいり、そこからは体勢を立て直すのに手いっぱいとなった。


 かろうじて両足で着地できたものの、そこは道をはさんだ先にある草むらだった。コートニーが恐る恐る目を開けた。


「飛び越えました」


「うん……」


 素直に反省の弁を述べると、彼女は僕をなぐさめるように言った。


 はるか彼方の目標地点を振り向く。二人分の重量を意識して、初速しょそくをつけすぎたのが原因だろう。微々びびたる重力なら、人間の重量など計算に入れる必要はないのかもしれない。


「ウォルター、後ろ!」


 悠長ゆうちょう考察こうさつを深めていると、コートニーが青ざめた顔でするどい声を上げた。数メートル先にいた男は、すでに攻撃態勢を整えていた。


 さいわいにも、着地点は門口かどぐちの直線上にあった。門扉もんぴはおろか玄関の扉もぬけ落ちていたので、屋敷へ逃げ込むことを思いついた。


 今度は水平すいへい方向に『突風』を起こして、地面スレスレを猛スピードで飛行した。


 彼女を抱きかかえたまま屋敷へ飛び込んでから、すぐさま進行方向にブレーキの『突風』を放つ。難なく着地すると、コートニーを床に下ろした。


「二階へ上がりましょう」


 そして、彼女の手を取って、正面の階段をかけ上がった。


     ◆


 男もウォルターらの後を追って、屋敷へ足をふみ入れた。荒れ果てた大広間おおひろま隅々すみずみにまで目を走らせる。しかし、二人の姿はもうどこにもなかった


 男に二人の命をねらう理由はない。それどころか、自らを『処分』してくれることを望んでいた。


「魔法をおぼえたての私から逃げまどうばかり。魔導士どもは腰ぬけばかりか」


 始めは逃げるから追いかけ、反撃を期待して攻撃をしかけた。


 けれど、今は心から狩りを楽しんでいた。本来の目的は頭から消え失せて、敵を圧倒する自身に酔いしれていた。


「しかし、妙な力を使っていたがあれは何だ。魔導士どもはあんな芸当げいとうもできたのか……?」


 その頃、クレアも旧領主の屋敷近くにいた。数分前に広場近くまで戻った際に、遠くで上がった炎を偶然目撃して、ここまで様子を見に来たのだ。


 そこで彼女は、不審な男がウォルターらを追いかけ回す場面に遭遇した。助けに入ろうとした矢先、ちゅうを舞ったウォルターが屋敷の向こう側から現れた。


 彼女はあっ気に取られ、つい助けに入るのも忘れた。ウォルターが直後に見せた水平飛行も呆然と見送った。


 我に返った時には不審な男の姿は屋敷前から消えていて、彼女はかけ足で屋敷のほうへ向かった。


     ◆


 時を同じくして、廃村の北部にいたギルは、不審者の捜索という役目を果たすことなく、ある男を執拗しつよう尾行びこうしていた。


 相手に気づかれないように一定いっていの距離をたもち、人目ひとめにつかない場所へ移動するのを、辛抱しんぼう強く待ち続けた。


 相手がある民家の裏手に入っていくと、広場方面を振り返った。そこが広場から見えない場所であるのを確認した後、民家の裏手へ反対側から回り込んだ。


 その時、相手――ラッセルは草むらを見渡していた。


「ラッセル、気になるものを見つけたのだが、ちょっと来てくれないか」


 ギルが物陰ものかげから呼びかけた。それにラッセルが応じると、ギルは民家と納屋なやの間のジメジメとした日陰ひかげを指さした。


「それなのだが」


「……どれですか?」


 無警戒に背中を見せたラッセルに、ギルが音もなく忍び寄る。そして、背後から相手の首へ両腕を回すと、渾身こんしんの力でしめ上げた。


「な……に……を」


 ラッセルはそれを引きはがそうと、必死にもがいた。しかし、窒息ちっそく状態となったラッセルの力はしだいに弱まっていく。


 ギルは相手の動きがにぶくなってから片腕をはずし、ふところに忍ばせたナイフを取りだした。そして、それを相手の脇腹わきばら目がけて突き立てた。


「どうして……」


 ラッセルはか細い断末魔だんまつまを残して、命を落とした。力を失った両腕がたれ下がり、ギルがもう片方の腕を引き離すと、その体は人形のように地面にくずれ落ちた。


 ギルが冷酷れいこくな目を周囲にめぐらす。仲間を手にかけても、感傷的かんしょうてきなところを少しも見せず、地面にころがる物言わぬ死体を、手慣てなれた様子で草深くさぶかい場所まで引きずり込んだ。

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