水路のゾンビ(後)
◇
ゾンビのなれの果てへ、ヒューゴが慎重に歩み寄っていく。自分も心持ちそれに近づいた。
「
背後で聞きおぼえのある女性の声が上がった。振り向くと、ベレスフォード卿の屋敷で見かけた、侵入者対策室の女性が立っていた。確か、ニコラという名前だったと思う。
「
「代わりに、〈資料室〉の人間を連れて来てもらったほうがありがたいな」
「あの……、〈資料室〉の人間ならここにいます」
「そうなの? それなら、
「でも、まだ
自ら名乗り出ておいて何を言っているのかと思った。この間の聞き取り調査も、ほとんどスコットとケイトが片づけてしまったし、実際何もわからないんだけど。
「お前、〈資料室〉に入ったのか」
ヒューゴが不思議そうに見つめてきた。
「そんなことより、どんな人だったか、しっかりおぼえてる?」
「若い男だったよな」
「若い男でした」
「それと、ゾンビになってからまもない感じだったな」
「はい、まもない感じでした」
「……それだけ? あんた
ニコラがあきれた様子で言った。同じ〈
ニコラの言う通りだ。身元が確認できなければ、聞き取り調査だって行えないし、〈資料室〉の一員としては
「おい、こいつ指輪をしているぞ」
ヒューゴがおどろきの声を上げ、場の空気が一変した。死体の右手に目を向ける。軽く黒ずんでいたけど、白色に光る宝石が確認できた。
「本当だ。氷の指輪ね」
ニコラが死体のそばにしゃがみ込み、信じられないといった表情で指輪をはめた右手を取る。
「貴族ってことですか?」
声をかけづらい雰囲気だったけど、思いきって聞いてみた。
「指輪をはめる平民がいないとは断言できないけど……」
「まぎらわしいから、指輪自体はめないからな」
ヒューゴが死体から指輪をはずし、魔法を発動するそぶりを見せた。けれど、何も起こらなかった。
「これはレプリカだな」
ロイがこう耳打ちしてきた。
「貴族はゾンビにならないのか?」
「理由は不明ですけど、ゾンビになるのは平民が多いそうです」
ただ、
「〈
「私の耳には入ってきていない。そもそも私達の
◇
二十分後、馬をかった
ニコラは近くで
次に姿を現したのは〈資料室〉の人間。予想にたがわず、スコットとケイトのコンビだった。ゾンビを
「あれ、ウォルター。何でお前が来てるんだ?」
「偶然居合わせたんだ」
「俺とこいつで始末したんだよ」
ヒューゴが補足した。
「何だ、大活躍じゃないか。ていうか、めずらしい組み合わせだな。知り合いだったのか?」
「この
スコット達にゾンビ出現の経緯を説明した。
「ゾンビに足をつかまれたんですか? 足からゾンビ化したりしてませんか?」
そう言ったケイトが僕から距離を取る。急に不安になった。やはり、接触で感染するものなのだろうか。
「さわられてもかまれてもゾンビにならないから安心しろ。足止め役がいない時に、ゾンビに直接つかみかかって、投げ飛ばしていた知り合いがいるが、今でもそいつはピンピンしているよ」
ヒューゴはぶっきらぼうで、常に人をにらみつけるように見てくるけど、意外にも気を使ってくれる。
「そうすると、水路に落ちておぼれたとか、そんな感じか」
「何言ってんだ。水路でおぼれたくらいでゾンビになるかよ」
スコットの意見に、ヒューゴが反論した。
「だったら、どうやって
ケイトがスコットの肩ごしに尋ねた。
「誰かに殺され、ゾンビ化してから水路に落とされたんだろ」
「お言葉ですが、殺人によるゾンビ化はきわめてまれなことですよ」
「そうだ。そして、それはたいてい〈侵入者〉の手によるものだと言われている」
張りつめた空気の中、一同が口をつぐむ。その仮定が正しいのなら、〈侵入者〉がレイヴンズヒルに侵入を果たしたことになる。
「人間がおぼれるほど
「……やけに詳しいな」
「あやしいですね」
ヒューゴに疑いの目を向けるスコットとケイトコンビ。いつもながら息が合ってる。ほほえましさを感じてしまった。
「まじめにやれ。一つ重大なことを教えてやるよ。こいつ、もしかしたら貴族かもしれないぞ」
「貴族? ユニバーシティの制服でも着てたのか?」
「制服は着ていなかったがレプリカの指輪をはめていた」
スコットが死体のそばで腰を下ろす。盾を失ったケイトが、僕の背後に移動してきた。
「指輪なんかしてないじゃないか」
「もう俺が回収したよ」
ヒューゴが手にしたレプリカの指輪を見せる。
「確かに指輪だな」
「でも、レプリカなら普通に
「それでゾンビはどんな感じのやつだった?」
「若い男だったな」
「若い男でした」
ヒューゴと自分でさっきと同じ返答をする。それしか答えようがなかった。
「もっと具体的にお願いします。顔や体格、身体の特徴とか」
ゾンビの動きに気を取られ、それ以上のことはおぼえていない。一応、骨折の話を伝えたけど、身元の特定に役立たないから聞き流された。
「ゾンビのことなら自分がおぼえています」
ロイが控えめに口をはさみ、おどろくほどの記憶力で
◇
「結構な騒ぎだったな」
「レイヴンズヒルではめずらしいみたいですから」
帰り道、辺境で多発することや、平民に多いことなど、ゾンビ化についてひと通りロイに説明した。
「科学的に解決できそうにない話だな。ゲームのバグみたいな感じか?」
帰りがけにパトリックの屋敷に寄ると、すでに話が伝わっていた。パトリックは僕らを質問攻めにした後、ゾンビの一件で緊急の会合があるからと、レイヴン城へ向かった。
寝る時間がせまっていたので、ロイに別れを告げてベーカリーへ帰った。休日だというのにかえって疲れをため込んでしまった。
まあ、ゾンビのおかげで、ヒューゴとの約束がウヤムヤに終わったのは幸運だったかな。
それにしても、つい先日、数年ぶりに現れたはずのゾンビが、またもやレイヴンズヒルに出現した。自分がゾンビ化を招き寄せたのではないか。そんな不安を感じていた。
結論から言えば、それは考えすぎだった。けれど、今回のゾンビに関しては、自分と全くの無関係ではなく、ベレスフォード卿の一件と
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