水路のゾンビ(中)

     ◇


 ヒューゴが壁ぞいを走る水路のほうへ歩きだした。危機感ゼロのロイと一緒に後をついて行く。水路前の通りには多くの水夫の姿があり、同じ外観の倉庫が整然せいぜんと建ちならんでいた。


 ヒューゴの情報は盗み聞きして得たものと同一どういつだった。ただ、実際の現場を見ると、問題点がすんなり飲み込めた。


 水門から荷揚げする桟橋さんばしまでは距離がある。しかも、水夫達が荷揚げはおろか、倉庫内に運び入れたり、荷車にぐるまに積み込む作業を手伝っている。


 灰色のローブを着た役人が数名いるけど、水夫とくらべると圧倒的に少人数だ。積み荷の検査に付きっきりで、人間へ注意をはらっている様子はない。


 確かに、これなら水夫としてたやすく市街へ侵入できる。ただ、不用心と言えば不用心だけど、この程度で目くじらを立てると、経済が成りたたない気もした。


「実際、ここから侵入された例があったんですか?」


「あった。もう数年前の話だけどな。一度や二度ではなく、水門経由で市街へ侵入するのが常態化じょうたいかしていたらしい。発覚後は水夫自身が市街へ入らない措置そちを取っていたが、それだと余計よけい手間てまがかかるってことで、半年もたたないうちに元通りさ」


「じゃあ、最近はないってことですね?」


「〈侵入者〉自体捕まえられてないんだよ。ったく、連中はどこ行っちまったんだ」


 まるで現れてほしいかのような口ぶりだ。ベレスフォード卿に対しても、そんなこと言ってたっけ。でも、アシュリーの両親が殺害されたのが一年前らしいから、〈侵入者〉がいなくなったわけではない。


「下に下りてみてもいいですか?」


 ロイが桟橋付近を指さした。ヒューゴがうなずきを返す。


 階段をつたって桟橋近くまで下りた。この桟橋と接する一帯いったい以外、岸壁の高さは水面から三メートルほど。石造りのそれは足をかける場所が少ないものの、よじのぼれない高さではない。


 桟橋から身を乗りだし、水面をのぞき込む。水は汚くないけど、すき通ってもいない。街中を大小様々な水路が走っているけど、それのたどり着く先がここなのだろう。


 ざっと左右をながめてから、引き返そうとした瞬間――突然足首をつかまれ、心臓が飛び出るほどおどろいた。


 力ずくで振りほどいて、桟橋から離れた。ロイが悪ふざけをしたと思って周囲を見回すも、その姿は数メートル先の場所にあり、ヒューゴも隣りにいた。


 そばには誰もいない。キツネにつままれた気分でいると、こちらへ視線を寄こした二人の表情が、みるみるけわしくなった。


「後ろ後ろ!」


 そして、唐突にロイがさけんだ。


 とっさに振り返るも、やはり誰もいなかった。けれど、足もので何かの気配を感じた直後、派手はでに水しぶきが上がった。


「こっちへ来い!」


 ヒューゴの指示に応じ、一目散いちもくさんにその場から離れた。二人のところまで行き、さっきまでいた桟橋を振り返ると、若い男が水路からよじのぼってくるところだった。


 始めは誤って水路に落ちた水夫かと考えた。けれど、明らかに様子がおかしい。せき込むわけでも助けを呼ぶわけでもなく、つんばいの状態でうなだれ続け、ピクリとも動かない。


 僕らだけでなく、周囲の水夫達も異状を察知していた。けれど、確信が持てないのか、固唾かたずを飲んで見守り続けた。


 若い男が立ち上がろうとするも、片足にケガを負っているようで、あらゆる動作がゆっくりでぎこちない。


 何とか立ち上がってからも、直立不動を維持できなかった。うつろな顔つきで視線をただよわせ、異様なのはひと目でわかった。


 周辺が一気にざわつき始めた。後ずさって距離を取る人達が現れだす。


「こんなところでゾンビをおがむことになるとはな」


「あれが噂の……」


 ヒューゴはゾンビと断じたけど、自分は迷いがあった。独特どくとくで不気味な動作から、以前見たゾンビの姿がすぐに脳裏のうりをかすめた。


 けれど、ズブぬれなのは仕方ないにせよ、身なりは小ぎれいで血色けっしょくも悪くない。片足を骨折しているようだけど、その他の目立った傷は見当たらない。


「本当にゾンビですか?」


「あの動きを見ればわかるだろ。ゾンビ化してから、ほんの数時間ってところか。そのぐらいだと、見た目では判別できない」


「ゾンビだ」

「ゾンビだよな」


 口々くちぐちに言う声が、周辺から上がり始めた。一人が荷物をまとめて逃げだすと、水夫達が雪崩なだれをうってそれに続いた。


「お前、〈風の家系ウインドミル〉だったな。ちょうどいい。お前が足止めしろ。俺がとどめをさす」


 ヒューゴが身にまとう制服には、紫色のラインが入っている。〈雷の家系ライトニング〉なら使用するのは雷の魔法か。


「後ろの壁に押しつけて、ゾンビの動きをふうじろ」


「わかりました」


 まさか、ゾンビを退治する機会がめぐってくるなんて。いや、相手は少し前まで生きていた人だ。『とむらう』という表現を使わなければ。


 好都合にも、ゾンビの背後に高さ二メートルの石垣がある。突きだした右腕をゾンビへ向け、石垣いしがき目がけて吹き飛ばすように『突風』を起こした。


 ゾンビは両腕を体の前にかざし、頑強がんきょうに抵抗した。けれど、押し倒されるように尻もちをつくと、そのままの勢いで地面を一回転して、石垣と衝突した。


「もう十分だ」


 チリチリと音が立ち始めると、ヒューゴの手元で無数むすう電光でんこうがひらめきだした。数メートル離れていても肌にピリピリとした感触が伝わり、反射的に魔法をストップした。


 目もくらむ稲光いなびかりが瞬間的に辺りを照らし上げた。その矢先、目にも止まらぬ『電撃』が、ゾンビに向かってうねるようにくうを切った。


 そこからは目をそむけたくなる光景が展開した。放出された容赦ようしゃのない『電撃』は、その場でのたうち回るゾンビが黒こげになるまで続いた。


 『電撃』がやむと、ゾンビは正視せいしにたえない無残むざんな姿となっていた。生前せいぜん面影おもかげはない。近くにいたロイが静かに手を合わせていた。

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