催眠テスト(前)

     ◆


 ウォルターは意を決して、帰りがけにパトリックの執務しつむ室へ足を向けた。


 不穏ふおんなニオイのする中央広場事件は置いておくとしても、『樹海の魔女』だけでも明らかにしたい。それが巫女みこの行方につながる可能性を、少しでも感じたからだ。


 幸いパトリックは在室していたが、戸口のそばに従者じゅうしゃの姿がある。ウォルターがそれを気にするそぶりを見せると、ただならぬ雰囲気を感じたのか、パトリックが顔つきを一変させた。


火急かきゅうの用件ですか?」


「まあ……、何とも言えないんですけど……」


「では、私の屋敷でうかがいましょう」


 パトリックがそそくさと帰りじたくを始め、二人はレイヴン城を後にした。屋敷に到着するまでは世間話に終始した。


     ◆


 ウォルターは以前にも来たリビングへ通された。


「それでは、話をうかがいましょうか」


 パトリックが改まった様子で言うと、ウォルターは慎重に言葉をつむいだ。


「『樹海の魔女』について知りたいんです」


「……どうして知りたいのですか?」


 パトリックが警戒感をにじませた。


「巫女と何か関係が……」


「巫女と『樹海の魔女』は一切関係がありません」


 相手が言い終わらないうちに、パトリックは強い調子で否定した。これ以上は話さない。そんな意思表示にさえ思えた。しかし、ウォルターは食い下がった。


「それは『樹海の魔女』が何であるか知っているということですか?」


「『樹海の魔女』は十年以上前にたんを発する迷信めいしんにすぎません。魔女は時に人を食い殺し、それに魅了された者は正気しょうきを失う。まことしやかに噂される話は、根強く語りつがれていますが、信頼に足る証言、目撃談は皆無かいむに等しいです」


「それなら全くの無関係だと言いきれないですよね?」


「巫女はこの国を築き上げ、我々に魔法というたぐいまれな能力を授けられた方です。とりわけ、貴族からは崇敬すうけいの念を集める特別な存在です。私だけならともかく、巫女と魔女を同一視どういつしする発言は、げんに慎んでください」


 その言い分は理解できても、否定の根拠はとぼしい。相手がムキになってるのにも、何か裏があるのではないかと、ウォルターは感じた。


「私も巫女の記憶を失った一人ですが、きっと人徳じんとくがあり、慈愛じあいに満ちた方だと思います。悪く言えば、お人好ひとよしかもしれません」


「記憶もないのに、どうしてそんなことが言えるんですか?」


「単なる想像です」


 パトリックの返答はにべもない。うまくけむにまかれたという思いから、ウォルターは不満げに口をとがらせた。


「〈樹海〉へ行きたいのですか?」


「〈樹海〉へ行きたいのではなくて、『樹海の魔女』について調べたいんです」


「同じことです」


学長がくちょうは忘れているのかもしれませんが、僕は巫女を探して……」


「ウォルター。私が先日の会合で述べたことをおぼえていませんか?」


 またしても話の腰を折られた上に、話題転換までされ、ウォルターはイラだちを見せた。


「先日の会合ですか? あの日はいろいろあったので、詳しいことまでは」


「私があいさつに立った際、〈樹海〉の話をしたのをおぼえていませんか?」


「はい、思い出しました。〈樹海〉の話をしてました。そういえば、『樹海の魔女』のことも……。確かあの時、学長は能力を使っていましたよね?」


「……私が能力を使ったことをおぼえているんですか?」


 〈催眠術ヒプノシス〉は『暗示あんじ』をかけた瞬間に記憶が失われ、それは解除後も継続する。能力の性質上、『暗示』をかけられたことを記憶していては成立しないからだ。


 能力の行使こうしを認識している――つまりそれは、能力の影響下にないことを意味していた。


 〈催眠術ヒプノシス〉は三つまで能力の効果を継続できる。手元てもとに表示されるパネルによって確認・継続・破棄が行え、それは他人の目に映ることもない。ウォルターが目にした能力の説明書きと同質のものだ。


 パトリックがあわてて確認を行う。定例会合の場で行使した〈樹海〉にまつわる『暗示』は継続中だ。それは元老院げんろういん意向いこうを受けたものであり、自身の意思も多分たぶんにふくんでいる。


 能力を行使した直後、ウォルターが拒絶を示す行動をとったとは考えにくい。だが、注意深く観察していたわけではない。


 初めてウォルターに能力を行使した時の違和感も頭をもたげ、パトリックの胸のうちは、みるみる猜疑心さいぎしんで満たされていった。


 パトリックは常に持ち歩いている羽ペンやインクを入れたケースを取りだし、それをウォルターの前にかかげた。


「ウォルター。これはリンゴです、いいですか?」


「……何の冗談ですか?」


「口答えしないでください。これはリンゴです。いいですか?」


 パトリックがたしなめるように言った。


「わかりました。それはリンゴです」


 面食らいながらも、ウォルターは素直に従った。パトリックが一度下ろしたケースを、再度相手の前にかかげる。


「今度は見たままに答えてください。これが何に見えますか?」


「リンゴじゃないんですか?」


「……やっぱりいてますよね」


 ウォルターに不審な点は見られず、パトリックは途方にくれた。


 定例会合の際に用いた『暗示』は、〈樹海〉や『樹海の魔女』に関心を持つことを敬遠けいえんさせる内容であり、ウォルターの言動は説明がつかない。


 パトリックは『暗示』の不備ふびを疑い、手元のパネルで念入りに再確認を行うも、問題は見つけだせなかった。

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