異世界

屋根裏部屋(前)

     ◇


 ふと肌寒さで目がさめた。もう七月だというのに、体が異様にスースーする。


 窓をあけっぱなしで寝てしまったのだろうか。体はしんまで冷えきって、まるで冬に逆戻りしたようだ。


 まだ、目覚まし時計は鳴っていない。ふるえながら猫のように身を丸め、手探りで見つけた毛布のはしを、頭からかぶるように引っぱった。


 ところが、何かに引っかかって、毛布はピクリとも動かない。ベッドと壁のすき間に落ち込んだか、もしくは、自分の体が重しになっているのかもしれない。


 さっきよりも力を入れて引っぱるも、やっぱりダメだ。動かないのなら、自らくるまりに行こうと考えつく。けれど、そこで異状に気づいた。


 ――毛布の肌ざわりが全く違った。いや、そもそも毛布を使っていたっけ。その上、ベッドもゴツゴツとして寝心地が悪い。


 何かがおかしい。言い知れない不安が胸をおそった矢先、ふいに逆側から毛布が引っぱられた。


 「えっ!」


 おどろきのあまり、反射的に背後を振り向いた。


 ――誰かが背中合わせで寝ている。


 後頭部に見おぼえはない。体つきと肩甲骨までのびた髪で、それが女性だということはわかった。


「んー?」


 こちらの声に気づいた彼女が、うわ言を言いながら寝返りを打つ。鼻先がぶつかりそうな距離まで、彼女の顔がせまった。


 はち切れるかと思うほど、心臓が鼓動こどうを早める。しばらく、我を忘れて彼女と見つめ合った。


「えーーっ!」


 彼女のさけび声でこおりついた時間が動き出した。


 その声は、悲鳴というよりおどろきに近かった。彼女がベッドからあわてて飛び出し、反対の壁ぎわまで後ずさる。そして、こわばった顔をこちらへ向けた。


 自分も上体を起こす。彼女に注意をはらいながら、横目で部屋を見回す。部屋は薄暗い。右手に小さな窓が見え、そこからさし込む光が頼りだ。


 部屋の広さは十畳ほど。家具や調度品は少なく殺風景だ。壁紙がはられていない板張りの壁が、それに拍車はくしゃをかけている。


 おかしなことに、部屋のどこを見ても扉が見当たらない。おまけに天井もない。屋根の裏側と縦横じゅうおう無尽むじんに走るはりがまる見えだ。とっくに気づいていたけど、ここが自分の部屋じゃないのは一目いちもく瞭然りょうぜんだった。


「……誰? どうして裸?」


 彼女が声をふるわせながら言った。おびえた様子で、右腕を盾のようにかまえている。


 さっきから感じていた肌寒さの原因が判明した。とっさに毛布で上半身を隠したけど、恥ずかしがっている場合じゃないか。


 幸いにもパンツ……らしきものははいている。でも、部屋はともかく、自分がはいているパンツにすら見おぼえがないのは、どういうことだろう。


 事態が相当深刻であることにまちがいない。ただ、気が動転していて、考えがまとまらない。


 安直な答えを出すなら、ここは夢の中だということ。けれど、早々に夢を夢だと気づいてしまうあたり、夢らしくないと思った。


 現実だろうと夢だろうと、こちらが他人――しかも、若い女性の部屋に不法侵入したことは、争う余地がない。真摯しんしに謝罪の言葉を述べ、許しをこうべきか。それとも、さっさと開き直って逃げ出すべきか。


 彼女は僕から片時かたときも目を離さない。誰であるか、懸命に記憶を探っているようにも見える。だけど、彼女の顔に見おぼえはない。きっと彼女も僕を知らないはずだ。


「ん?」


 ところが、彼女は何かに気づいたそぶりを見せた。警戒心をやわらげ、こちらへ近づいてくる。ベッドの脇で立ち止まると、僕の顔をまっすぐ見下ろした。


「あれ?」


 一心に見つめ合った後、彼女はそう言って眉をひそめた。


(僕のことを知っているのだろうか……?)


「どうした、ダイアン」


 ふいに野太い男の声が耳に届いた。しかし、視界に人影は見当たらない。


 彼女が顔を引きつらせた。瞳は何かをとらえていて、それをたどってみると、金髪の中年男性が、床にあいた穴から顔をのぞかせていた。


 血の気がサーッと引いた。意識が遠のいていくのを感じた。中年男性があ然としながら、僕と彼女の顔を見くらべる。絶体絶命のピンチ――になるはずだった。


「すまん、ダイアン」


 ところが、男は気まずそうに言い残して、顔を引っ込めてしまった。


「違うんですよ!」


 彼女が下り口のそばにひざまずき、階下へうったえかけた。


 彼女はベッド脇で無防備に立ちつくしていた。その姿が、あらぬ誤解を生んだのだろう。自分が上半身裸でいたことも、良くも悪くもひと役買っていた。


 運良く命びろいした。けれど、このまま助けを呼ばれたら元も子もない。すぐにでも誤解を解かなければ。


「あの、すいません! ここはどこなんでしょうか。なぜ自分がここにいるのか、何もおぼえていなくて……」


 相手を刺激しないよう、ありのままを申しわけなさそうに告白した。


 少し考え込んだ彼女が、無言で戻ってきた。僕の顔を不思議そうにのぞき込み、うめくような声をもらしながら、軽く首をひねった。


 彼女の疑問が何であるのか、何に納得できないのか。この時は見当もつかなかった。

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