屋根裏部屋(後)

     ◇


 息のつまりそうな沈黙が流れる。ふと彼女の服装に目が移った。


 彼女はワンピースの白い肌着を一枚着ているだけ。それは着くずしたようにゴワゴワとしていて、えり元から大胆に素肌がのぞいている。


 その魅惑の部分に目を奪われていると、不覚にも彼女に気づかれた。ほおを赤らめた彼女が、たしなめるようにキュッと口をむすぶ。


「とりあえず着替えるから、ちょっとあっち向いてて」


 彼女の指示に素直に従う。反対を向くだけにとどまらず、頭から毛布をかぶった。


 扉を開けるような音がしたのを皮切りに、想像をかき立てる生々しいきぬずれの音が耳をくすぐる。それが途絶えた後も、箱をあさるような音が部屋にひびき続けた。


「もういいよ」


 まもなく、彼女のおだやかな声が上がった。毛布から顔を出すと、彼女は胸元のあいたワンピースに着替えていた。濃紺の素朴な色合いのもので、えりやそで口からのぞく白い肌着が、アクセントの役目を果たしている。


 部屋の内装はもちろん、服装にも現代的なものが見られない。やはり、ここは夢の中だと確信した。起きようと思えば、いつでも起きられるのだろうか。


「はい、あなたもこれに着替えて」


 手にした上下の衣服を、彼女はベッドの上に置いた。表情も声の調子も、すっかり自然体。不自然なほど落ち着いていて、どこかへ警戒心を置き忘れたかのようだ。


「今、パンを持ってきてあげるね」


 そして、彼女は信じがたい言葉を残し、階下へ姿を消した。


     ◇


 そそくさと着替え始める。用意されていたのは、上下の白い肌着にえんじ色の上着。ちょうどそれを終えた時に、彼女が戻ってきた。


「あっ、ピッタリだね」


 僕の姿を見るなり、彼女はうれしそうに言った。


 事実、肌着のそでやすそたけはピッタリだ。ただ、肌着も上着もブカブカで、上着のほうは裾がヒザ近くにまで達していて、ベルトでしめつけるとスカートをはいているように見える。


 彼女は窓ぎわに置かれた机からイスを引っぱり出し、僕の正面にそれをすえた。


「はい、どうぞ」


 手にしている木皿には、大きめのロールパンが二つのっていて、その片方を親しげに手渡してくれた。パンにはチーズがそえられている。


 ここまで親切にされると感謝の言葉もない。彼女は女神か何かだろうか。逆に怖くなった。


 ロールパンは妙にリアルな味だった。お世辞にもおいしいとは言えなかったんだけど、何というか、まあ、味わい深かった。


 彼女がイスへ腰を下ろし、正面から向き合う。僕は姿勢をただした。


 彼女は小柄で体型は若干丸みをおびている。また、ほがらかな表情からは包容力を感じる。一方で、ピンと背筋をのばした居住いずまいには、威厳さえ感じた。


 年齢差はそれほど感じない。ただ、二十歳はこえていそうで、まちがいなく年上だという印象を持った。


「じゃあ、あなたのことを聞かせてくれる?」


 ささやかな食事を済ますと、彼女が改まった調子で言った。どこか尋問のような雰囲気があった。


「はい」


 すっかりゆるんでいた気を引きしめ、神妙にうなづいた。


「私の名前はダイアン・シムズ。あなたは?」


 彼女が先に名を名乗った。さっきも耳にした欧米風の名前。少し前に顔を見せた中年男性とくらべれば、親近感をおぼえる顔立ちだけど、やはり日本人ではないらしい。


太田おおたです」


「……ウォルター?」


「それでかまいません」


 理解してもらうのに、時間がかかりそうだったので、あっさり引き下がる。正確におぼえてもらう必要は感じない。彼女も追及することなく、次の質問へ移った。


「どこから来たの?」


「この世界ではないと思います」


「〈外の世界〉から来たってことね?」


「……はい、たぶん」


 〈外の世界〉の定義がわからず、あいまいな答えになった。


「そっか」


 意外にも、彼女はその返答で満足した。


 この世界では、〈外の世界〉から人が迷い込んでくるのが、めずらしくないということだろうか。もしそうなら、彼女の落ち着きはらった態度にも納得がいく。


 質問はたった二つで打ちきられ、その後、彼女は身の上話を始めた。


 ここがパン屋の屋根裏部屋で、彼女は居候であること。このパン屋を営むトーマス一家の家族構成や個々の人柄、はては、全く無関係の世間話まで始めた。


 彼女は笑みを絶やさず、饒舌じょうぜつに話し続けた。話すことを心から楽しんでいる様子だ。


 自分で言うのも変だけど、彼女は不用心すぎると思ったし、この話を聞かせる理由もわからなかった。ただ、気を許してくれているのだから、悪い気は全くしなかった。


 もしかしたら、警察が到着するまでの時間かせぎではないか。そんな悪い予感が、頭をかすめなかったと言えば嘘になる。


 結局、それも無用の心配に終わった。雑談を中断させたのは、パン屋の主人トーマスだ。


「ダイアン。今日はメイフィールドのお屋敷も頼めるか?」


「はい、わかりました」


 彼女がこちらを向き直って言った。


「これからパンの配達に出かけるんだけど、ウォルターも一緒に来る?」


「はい、行きます」


 僕は即答した。この時はもう、あれこれ考えるのはやめて、現実とも夢ともつかない不思議な時間を、心ゆくまで楽しむつもりだった。


 ふいに彼女が身を寄せてきた。少し背のびをして、耳元へ顔を近づけてくる。


「家出してきた従兄弟いとこってことにしてあるから、そのつもりでね」


 そう耳打ちしてから、目を細めてほほえんだ。


 彼女が何を考えているのかわからない。胸が高鳴ってしょうがなかった。

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