ミート・ア・ゾンビ(前)

     ◇


 なりゆきでパンの配達を手伝うことになった。ハシゴと階段を使い、一階までコソコソと下りる。


 パン屋を経営するトーマス夫妻と、奥の厨房であいさつをかわす。夫妻は時代を感じさせる大きなオーブンで、せわしなくパンを焼いている最中だった。


 家の中はどこを見てもファンタジー色でいっぱい。特異なのは屋根裏部屋でなく、自分のほうだった。我ながら、よくできている夢だと思った。


 出発を前に、ダイアンが鏡の前でささやかなおめかしを始める。手慣れた手つきで、下ろした髪を三つ編みにゆい、かたわらに置かれた刺繍ししゅう入りの肩かけを羽織はおる。


 配達するパンはすでに外へ運び出され、裏口の脇に大きなバスケットがうず高く積まれていた。重ね合わせれば、自分の背丈を優にこえそうな数。鼻を近づけると、焼きたてのパンの香ばしい匂いがただよってきた。


「今日は何往復もしなくて済みそうかな」


 楽しそうに言ったダイアンが準備を始める。両手と背中がバスケットでふさがった。ただ、所詮中身はパンだから、大きさのわりに軽い。


 周囲を見回すと、ヨーロッパ風の街なみが広がっていた。ただ、屋内とくらべると、特段の目新しさはない。こういった街なみが残る地域なら、世界にいくらでもありそうだ。


 それに、何となく見たことのある風景だと思った。まあ、自分の夢なら当たり前か。いずれにせよ、時代設定が現代でないのはまちがいない。


     ◇


「それじゃあ、行きましょ」


 ダイアンの後ろをだまってついて行く。住宅にはさまれた薄暗い路地から、明るい表通りのほうへ進む。そこへ出ると、一挙に視界が開けた。


 照りつける太陽が風景をあざやかに色づかせる。景色は言いようのないほど美しい。前方にある石塀の先はくぼ地になっていて、うっそうとした森林が広がっている。


 建物のデザインは申し合わせたように統一感がある。石灰せっかい色の外壁に、茶褐色の木材がバッテン模様をえがいている。


 また、通りぞいの建物は所せましとひしめき合い、ほぼ壁と壁が接している状態が多い。きっと、土地が足らないのだろう。この街はかなりの都会かもしれない。


 降りそそぐ陽ざし、鳥の鳴き声、屋内からもれ出す生活音。五感から飛び込む刺激は、夢と思えないほどあざやかで、正直自分の想像力に脱帽した。こんな夢なら毎晩でも見たい。そう切実に思った。


 先ほどまでいた屋根裏部屋を見上げる。下の階のものとくらべて、窓がひと際小さい。あれは単なる通風口だろうか。


 視線を下の階に戻す。店先にかかげられた看板に目が釘づけとなった。なぜなら、トーマスベーカリーとカタカナできざまれていたからだ。


(作り込みが中途半端だな……)


 気持ちが冷めていくのを感じながらも、よく考えれば、ダイアンは普通に日本語を話しているし、今さらな感想か。文句をつけても、自分にはね返ってくるだけ。この辺りが想像力というか、知識と教養の限界か。


 ダイアンにつかず離れずで、ゆるいカーブをえがく石畳いしだたみの坂道をのぼる。


 猫が道ばたを歩いていたり、ハトが地面をつっついていたり、街を歩いていても、あまり違和感がない。タイムスリップしているのは、街の人達の服装ぐらいだ。


 ただ、少し行ったところで、荷物を背負わされた牛とすれ違った。遠くに巨大な建物が建ちならんだ大きな街が見えるけど、自動車や電車などは確認できない。まだ産業革命が起きていないのは確かだ。


「こんにちわーー!」


 ダイアンはハツラツとあいさつしながら、配達先の一軒一軒に立ち入る。玄関先に無言で置いていくことは一度もない。住人と会話がはずむこともしばしばあり、その場合、僕は待ちぼうけを食らう。


 坂ばかりの入り組んだ路地を行ったり来たりし、出発から二時間足らずで、最初に持ち出したバスケットの中身がからになった。


     ◇


 いったんベーカリーに戻り、裏口前の石段に腰かけて、ダイアンと軽い昼食をとる。


「はい、少ないけど」


 昼食はパン屋だけにパン。分量も朝と同じだ。長時間歩き回った後なので、量的には物足りなかったけど、注文をつける立場にない。


 それに、ひょっとしたら、トーマス家に迷惑をかけないよう、自分の分を分けてくれているのかもしれない。


「次は大通りを渡って東地区まで行くから」


 一回目と同程度の荷物をかかえ、ベーカリーが面する坂道を、大きな街の方向へ進む。その坂をのぼりきって、前方に大通りが見えてきた時だった。


「ゾンビが出たぞー!」


 そんな耳を疑う言葉が聞こえてきた。


 ダイアンが信じられないといった表情で立ち止まる。あいにく、声の主は視界に見当たらない。ただ、声にふざけた調子はなく、切迫感があった。


 追い打ちをかけるように、女性の悲鳴が遠くで上がる。付近はにわかに騒然となった。


 大通りから折れまがってきた男性が、必死の形相ぎょうそうで建物へかけ込み、沿道の建物の窓からは、住人達が続々と身を乗り出してくる。


「私たちも隠れましょ」


 ただ事ではない。ダイアンにそでを引っぱられ、近くの路地へ逃げ込んだ。それからしばらく、建物のかげで身をひそめて、大通りのほうへ目を光らせた。


「……ゾンビが出るんですか?」


「出ないことはないんだけど、こんな街中に現れるのはめずらしいかも」


 ダイアンは表情に緊迫感をただよわせ、大通りから目を離そうとしない。ほのぼのとした雰囲気が一瞬で吹き飛んだとはいえ、怖いもの見たさからか、ワクワクしてきた。


 心の奥底にこんな願望が眠っていたのか。ゾンビフェチだと自覚したことはないから、内心おどろいている。それに、欲を言えば、ゾンビよりもモンスターのほうが良かった。

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