樹海の戦闘(後)

     ◆


 辺境伯マーグレイヴの指示を受け、ネイサンは戦場を脱出した。


 方角とおぼろげな記憶を頼りに、ウッドランドへ向けてひた走った。道に迷ったがため二時間近くかかったが、無事目的地に到着した。


 ウッドランド滞在たいざい中に宿所しゅくしょとした屋敷へ、その足で向かう。すると、屋敷の主人から不可解な話を聞かされた。


「お言いつけ通り、みなさまが出発されてから使いを出しました。それで、ダベンポート卿のお屋敷へ行かれた方々がお戻りになられたのですが、その少し後にイェーツ卿が一人でお見えになられたんです」


「……イェーツ卿が?」


「交渉は決裂けつれつした。他のみなさまはストロングホールドへ直接戻った。私はこちらに用事があるから、君たちも解散していい、とおっしゃっていました」


「そんなバカな。ありえない」


 ネイサンはわけがわからず、なかなか言葉をげなかった。


(イェーツ卿と連中が裏でつながっていた……?)


 そんな考えが頭をかすめた。事実、敵に連れ去られたとはいえ、イェーツ卿はネイサンより早く現場を離れた。戻って来れないことはない。


(それとも、俺が〈樹海〉を迷っている間に、何もかも解決した……?)


 こちらへ帰り着くまでに、行きの倍の時間を要したため、こちらの案もありえなくない。


「それはどのくらい前だ?」


「一時間以上前です」


 しかし、戻ってくるには早すぎる。あの後、瞬時に泥人形どろにんぎょうを全て始末しても、時間的に間に合わない。ネイサンはその希望的観測を捨てた。


「何かございましたか?」


「やつらと戦闘になった。辺境伯たちは、まだ残って戦っている。イェーツ卿は……」


 『拉致らちされた』と言いかけたが、ネイサンは口をつぐんだ。


「それは大変だ」


「悪いが、あいつらをここへ呼び戻してくれないか?」


「わかりました。ただちに使いをだします」


 単なる戦闘以上のことが起きている。ネイサンは言い知れない不安と、尋常じんじょうではない胸騒むなさわぎに襲われた。


 応援の部隊が戻ってくる頃には日が暮れているかもしれない。ネイサンは居ても立ってもいられず、伝言を残して〈樹海〉へ引き返した。


     ◆


 ネイサンは体力の限界まで走った。戦場の原っぱ付近に一時間あまりで戻った。


 その少し手前で、ふいに荒々あらあらしい息づかいが耳に届く。斜面しゃめんを見下ろすと、ルイス――護衛の一人を発見した。


 地面に座り込んだルイスは、片足を投げだして、斜面へもたれかかっていた。そして、肩で息をしながら、周囲へしきりに目を配っていた。


「ルイス!」


 ネイサンは急いで斜面を下りてかけ寄った。


「誰だ!」


 相手の異常な剣幕けんまくにおどろき、ネイサンは思わず立ち止まった。


 ルイスの投げだされた片足は深手ふかでを負っていた。まっ赤な血にそめ上げられた太ももの付け根は、やぶったズボンの切れはしで、キツくしばり上げられている。


「俺だ。どうした、ケガをしているじゃないか」


「それ以上近づくな!」


 ルイスがおびえながら右手を突きだし、その先に電光でんこうがひらめかせた。ネイサンは一歩後ずさった。


「何言っているんだ。お前、一人なのか? みんなはどうした?」


「……知らない」


「そのケガは泥人形にやられたのか?」


「違う。泥人形はとっくの昔に片づけた」


「だったら、その傷は誰にやられたんだ。他のみんなはどこに行った」


 ルイスが小きざみにふるえる両手へ目を落とす。憔悴しょうすいしきっていたが、それがケガの影響なのか、それとも精神的な混乱なのか、ネイサンは判断がつかなかった。


「……りになったからわからない。泥人形を始末してから、手分てわけしてイェーツ卿の捜索にとりかかった途端、みんなおかしくなっちまった」


「わかった。話は後で聞こう。とにかく傷の手当てが先だ。急いでウッドランドへ戻ろう」


「必要ない!」


 ルイスがネイサンの足もとへ『電撃でんげき』を放った。


「……いったいどうしたんだ」


「信用できない。お前、本当にネイサンなのか?」


「何をバカなことを。俺はネイサンだ。見ればわかるだろ?」


「この傷を負わせたやつも、そう言っていたぞ」


 ルイスは正気しょうきを失っていた。話をすれば落ち着くだろうと考え、ネイサンはなだめるような口調くちょうで言った。


「それなら、何があったのか、話を聞かせてくれないか」


 しばらく言いよどんだルイスが、声をしぼりだすように話し始めた。


「最初におかしくなったのはダレルだ。あいつがサムをやりやがったんだ」


「……ダレルがサムを?」


「ああ。サムが『氷柱つらら』で腹を突きぬかれた。俺たちが発見した時は手遅れだったが、死ぬ直前にハッキリとこう言ったんだ。『ダレルにやられた』って」


 ネイサンには到底とうてい信じられなかった。精神的に追いつめられても、温厚おんこうで理性的なダレルが凶行きょうこうに走るとは思えない。最もそれが似合わない男だった。


「辺境伯はどうした?」


「わからない。ダレルとやり合っているのを見たと言っていたやつがいたが、俺は見ていない」


 ルイスが激痛に顔をゆがめて、太ももの傷口へ手を押し当てた。


「その傷もダレルにやられたのか?」


「違う……。この傷はサムにやられた。あいつがいきなり攻撃してきたんだ」


「サムが……? ちょっと待ってくれ。サムはダレルにやられたんじゃなかったのか?」


「そうだ。サムはダレルにやられたはずだった。それなのに……、あいつは死んだはずなのに、何食わぬ顔で俺の前に現れやがった」


 ネイサンはあることが気になり、ルイスの傷口に目を向けた。火の魔法によるヤケドではなく、それは明らかに鋭利えいりなもので突きさされた傷跡きずあとだった。


「ナイフか何かでさされたのか?」


「いや、『氷柱』でやられた。ネイサンは〈氷の家系アイスハウス〉なんだから、見ればわかるだろ?」


「それはわかるが、サムは〈火の家系ボンファイア〉だろ?」


「そうだ……、そうだよな。俺もおかしくなったみたいだ。あれはサムじゃなかったのかもしれない。もう誰が誰かもわからない。俺は『樹海の魔女』に魅入みいられてしまったみたいだ……」


 肩を落としたルイスが両腕に顔をうずめた。ネイサンは静かに近づこうとしたが、ルイスは顔を上げて、うつろな表情でこう言った。


「ネイサン。もうほうっておいてくれ」


 手のつけようがなかった。ルイスを背負ってウッドランドまで戻るのは現実的でない。そう考え直したネイサンは、他の仲間の捜索を優先した。


 泥人形の残骸ざんがいが大量にころがる原っぱを起点きてんに、周辺をさがし回った。


 しかし、生存者は誰一人として見つからず、発見できたのは別の二人の死体。その内の一人は、腹部に生々なまなましい傷跡を残したサムだった。


 気づいた時には完全に日がしずんでいた。


 辺りはまさしく一寸いっすん先は闇の状態。今からウッドランドへ戻るのは遭難そうなんの危険をともなう。また、ネイサンにそんな体力は残されていなかった。


 挫折感ざせつかんを味わいながら、ネイサンは斜面のくぼみで体を休めた。〈樹海〉には魔物が住んでいる。昔からの言い伝えは、あながち嘘ではないのかもしれない。そう痛切つうせつに感じていた。


 もはや、立ち上がる気力もなくなり、時おり聞こえた断末魔だんまつまのようなさけび声には耳をふさいだ。


 きっとオオカミのとおぼえに違いない。そう自分に言い聞かせ、ネイサンは夜が明けるのを静かに待ち続けた。

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