パトリックの戦い(後)

     ◆


 以前からパトリックは、周囲と比較して、巫女みこに対する尊崇そんすうの念がうすかった。きっとそれは自分が平民であり、魔法の能力をさずけられたわけでもないからだと分析していた。


「もう一度、よくお考えください。今回、仮に敵の襲撃を撃退げきたいできたとしましょう。その場合、我々は敵が態勢たいせいを立て直すまで、指をくわえて待つことしかできず、反撃のチャンスをのがしてしまいます。

 対して、『転覆の魔法』を解いてしまえば、我々から〈外の世界〉へ打って出るという選択肢せんたくしが生まれます」


「しかし、君の予測が正しければ、外へ打って出る余裕もなくなるじゃないか」


「そうだ。今は目先めさきの岩の巨人撃退に専念せんねんすべきだ」


 『転覆の魔法』の解除が悲劇的な結末を迎えることを、パトリックは十年以上前から予想していた。それでもなお、彼の信念はゆるがない。


「これ以上、決断を引きのばせば、取り返しのつかないことになります。問題を根本的こんぽんてきに解決をするには、この手段をおいて他にありません」


 パトリックはまるで脅迫きょうはくするかのように、きっぱりと言いきった。


     ◆


 その時だった。白熱はくねつした議論を妨害ぼうがいするように、はたまた議員たちの反論をふうじるように、突然テーブルの中央に何かが落下した。それはドンという衝撃音を議場に反響はんきょうさせた。


 おどろきのあまり、イスから飛び上がったり、ころげ落ちる議員が続出ぞくしゅつした。その後、言葉を失った面々めんめんは、こおりついた表情で顔を見合わせた。


「……どこから落ちてきたんだ?」


「何だ、これは……、人間か?」


 数名の議員が次々と天井てんじょうを見上げる。議場には明かり取りや換気かんきのための窓が数多くあるが、警備上の関係で、人間が通りぬけられるものは一つもない。


 テーブルの上に横たわるのは明らかに人間だが、人形のようにピクリとも動かない。ほどなく、あの人物であることに、議員の一人が気づいた。


「……ジェ、ジェネラルじゃないか!」


「本当だ。ジェネラルだ」


「どうしてジェネラルがここに……?」


 議員たちが口々くちぐちに声を上げ、議場が騒然となった。


 混乱がおさまる前に、議場の扉がバタンと勢いよく開かれた。議員たちのおびえた目がその方向へいっせいに注がれる。


「ご報告いたします! たった今、敵に大門おおもんを突破されました!」


 議場にかけ込んできたのは伝令でんれいの魔導士だった。うなだれながら床に両膝りょうひざをつき、張り上げた声には無念むねんさがにじんでいる。


「すでに、相当数そうとうすうの岩の巨人が市街へ侵入しております。大門に展開てんかいしていた部隊は完全に崩壊ほうかい……。立て直しのメドは立っておりません。

 あと、ジェネラルについてですが、マーグ……いえ、元辺境伯マーグレイヴと思われる男が前線に現れ、その男と共に姿が見えなくなりました。現在も行方がわからず、全く連絡が取れない状況です」


 伝令は嗚咽おえつまじりに言った。話を聞いた議員たちは、テーブルに横たわるジェネラルらしき人物へ、困惑した表情で目を移す。


 一方、パトリックの瞳だけは別方向を向いていた。その目にだけ映る男がそこにたたずみ、微笑をうかべながら、彼を見返していた。


「落ち着いてください。ジェネラルも辺境伯もここにいます」


 パトリックが襲いくる恐怖を振りはらうように言った。わずかに声をふるわせながらも、ジッと相手を見すえ続けた。


 耳を疑う言葉が発せられ、議員達がいっせいに視線を泳がす。ジェネラルはともかく、辺境伯の姿は彼らの目に映っていない。


 議員たちがパトリックの視線を追いかけ始める。元老院げんろういんの議員が相次いで暗殺された事件は、まだ記憶に新しく、彼らの動揺どうよう尋常じんじょうではない。


「どういうことだ、学長がくちょう。辺境伯がそこにいるのか?」


 辺境伯がふいに顔をほころばせ、〈不可視インビジブル〉を解いた。元老院相手に啖呵たんかを切ったパトリックを見て、彼は上機嫌じょうきげんだった。


「リトル、言うようになったじゃないか。見違えたぞ」


 彼が議場へ侵入したのは、先ほど扉が開いた時。それから、柱のかげに身をひそめながら、議論に聞き入っていた。


「お前は……、やはり生きていたのか!」


「辺境伯、これはお前の仕業しわざか!」


 多くの議員はうろたえていたが、一部の議員はかつての部下に対して強気つよきだ。とはいえ、彼が国の窮地きゅうちにはせ参じたと勘違いする者は一人もいなかった。


「あの時の選択はまちがっていなかったみたいだな」


 あの時の選択――五年前のあの日、辺境伯はパトリックの暗殺も考えたが思いとどまった。『転覆の魔法』を解除するためには、パトリックの存在が必要不可欠ふかけつと判断したからだ。


『お前も殺そうと思った』


 あの日に投げかけられた言葉が脳裏のうりをかすめ、パトリックはその身を硬直こうちょくさせた。


「その様子だと、『転覆の魔法』を解く当てがあるようだな」


「当ても何も、あなたから得た情報ですよ」


「……俺から?」


 辺境伯はまゆをひそめた。


 彼は忘れていた。一連の出来事の多くが記憶から失われ、おぼえているのは〈樹海〉における同士討ちや、仲間を失ったいきどおり、そして、元老院議員の暗殺に走った事実。


 彼は『〈外の世界〉へ連れて行く』という見返りのため、それ以外の記憶を差しだした。また、鎮座ちんざへ侵入し、『源泉の宝珠ソース』に対して〈分析〉アナライズを使用することも交換条件の一つだった。


 そのため、ネクロたちと手を結ぶことに抵抗を感じていない。彼らが仲間の命を奪った張本人ちょうほんにんであるとは夢にも思っていない。


「まあいい。準備はできているか。『根源の指輪ルーツ』ならここにある」


 辺境伯はジェネラルから奪い取ったそれを、すでに右手にはめていた。しかし、パトリックは首をたてに振らなかった。


 それはあくまで元老院の同意を得た上でのこと。反対を押しきってまで行う意思はない。また、停戦や和睦わぼくのための交渉材料でもある。


「さっきの威勢いせいはどうした? 今さら、尻込しりごみしたなんて言わないよな?」


「要求があります。『転覆の魔法』を解除したあかつきには、ただちに全ての岩の巨人を引き上げると約束してください」


「いいだろう。元々、今回の作戦の目的はそれだからな。たとえ連中が応じなくとも、俺が力ずくで引き上げさせよう」


「みなさま、よろしいでしょうか?」


 議員達はあ然としたまま、誰も口をきかない。その反応を見た辺境伯は、パトリックに歩み寄って片腕を取った。


「待て! 我々はまだ許可を出していないぞ!」


 議員の一人がテーブルをたたきながら言った。辺境伯は殺意さついの宿った目でにらみつけた。


「命のしくないやつだけがついて来い」


 そのおどし文句で、議員たちは一瞬でだまらされた。そして、辺境伯はパトリックもろともに彼らの前から姿を消した。


『スージー。議場をぬけて〈とま〉まで来てください』


 その『交信』を受け、スージーが〈止り木〉へ向かう。塔をのぼる階段のたもとで、パトリックは一人で待っていた。


「あなたも一緒に来てください。あと、ウォルターに伝えていただけますか。今にも殺されそうなので、至急しきゅう〈止り木〉の最上階へ来るように――と」


「は、はい……」


 スージーがとまどい気味に答える。辺境伯の姿が見えない彼女には、命の危険を感じる状況に思えなかったからだ。

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