不運な出会い(前)

     ◆


 ウォルターが去ってから、パトリックは意味もなく『源泉の宝珠ソース』へ視線をとうじていた。発光はっこう現象はおさまったが、輝きは色あせていない。


 ふと辺境伯マーグレイヴへ目を向けると、心ここにあらずといった様子でたたずんでいた。血走ちばしった目つきは消え失せ、顔つきは別人のようにおだやかだった。


「どうしました? ものがとれたような顔をしていますよ」


「ああ……。まるで、夢から覚めたような感じだ……」


 いったい自分は今まで何を――。ためらいなく行ってきた数々かずかずの悪事が、頭の中をかけめぐる。彼は恐ろしい気持ちになり、罪悪感で胸が張りさけそうだった。


 辺境伯が〈不可視インビジブル〉の能力と引きかえに背負わされた宿命しゅくめい――それは『転覆の魔法を解くために尽力じんりょくすること』だ。その効力こうりょく洗脳せんのうに近い。


 かねてから望んでいたことだけに、彼は二つ返事で引き受けてしまった。善悪ぜんあくの区別すらつかなくなり、それに狂奔きょうほんする事態をもたらすとは夢にも思わなかった。


 『転覆の魔法』が解けたことで契約は満了まんりょうした。ようやく呪縛じゅばくから解放され、辺境伯は五年ぶりに正気しょうきを取り戻した。


「やはり、何らかの能力をかけられていたようですね。あの日、〈樹海〉で何が起きたのか教えてくれませんか?」


「わからない……。あの日、多くの仲間を失った。誰が味方なのか、誰が敵なのかもわからず、俺たちは疑心ぎしん暗鬼あんきとなり、狂気にかられて同士討ちをした。最初におかしくなったのはダレルだ」


 ダレル・クーパー――実際は、彼の体を乗っ取ったスプーと、辺境伯は死闘をくり広げた。


「戦闘は俺が優位ゆういに進めた。だが、ダレルが正気を取り戻すことを願い、決着をさけ続けた。その結果、相手に逃走を許してしまった。気づいた時には、仲間の姿が見えなくなっていた」


 そして、変わり果てた姿となった彼らを、次々と発見することになる。


「俺がダレルをやれていれば、こんなことにならなかったかもしれない。俺は失意しついの中、〈樹海〉をさまよい歩いた」


 まだ生存者がいるかもしれない。わずかな望みにかけて、辺りがやみに閉ざされても、彼は懸命に捜索を続けた。


 夜通よどおし歩き続けた。帰り道はわからなくなり、心身しんしんともに疲れ果て、大木たいぼくのたもとで腰を下ろした。目の前に、死という現実がチラつき始めた。


「結局、誰一人見つけられず、立ち上がる気力も、生きていく気力さえも失いかけていた。そこで俺は……何かに出会った」


 明け方、何かが近づいてきた。その光景はおぼえていた。しかし、近づいてきた何かの部分だけが黒ぬりになっていて思いだせない。


「そして――生きたいと願った」


 当然、その後のやり取りも記憶にないが、その心情だけは彼の胸に残っていた。


 その時、階段のほうから足音が聞こえた。ほどなく姿を現したのは、後ろに二人の魔導士をしたがえ、あざやかなドレスで着飾きかざった女性――ダイアンだった。


「ダイアン」


 パトリックと違って、スージーはすぐに気づいた。


「……巫女みこ?」


 辺境伯にいたっては、巫女であることさえ見ぬいた。


「あっ、巫女。彼は……」


 ダイアンは魔導士の制止せいしに耳を貸さず、躊躇ちゅうちょなく辺境伯のもとへ向かった。


 相手はおどろきの行動に出た。あわててひざとなって、敬礼したのだ。それは体にしみついた本能的な行動であり、鈴の音――『王笏セプター』がかなでたそれを聞いたことによる条件反射だった。


 『転覆てんぷく』前の大戦争――人狼じんろうおう討伐とうばつ戦の際、辺境伯は巫女に同行した。絶えず身近みぢかで接し、絶大ぜつだいな力を肌で感じ続けた。そのため、巫女に対する畏敬いけいの念が、体にきざみ込まれている。


「申しわけありません。俺はとんでもないあやまちを犯しました」


「ライオネル」


「……はい」


 辺境伯は声をふるわせた。国に対する反逆行為を犯した身として、罪の意識で顔を上げることができない。


「顔を上げて」


 ダイアンは相手の目をまっすぐ見つめて、心を読んだ。そこから聞こえたのは悔恨かいこん懺悔ざんげの言葉。悪意にそまっていないことを確認した。


「もう大丈夫ね」


 ダイアンは優しく、さとすように言った。


「……はい」


 今までの行為にも自覚があったわけではない。辺境伯は迷いを見せながらも、真摯しんしなまなざしで答え、深々ふかぶかと頭を下げた。


(ダイアンが巫女……)


 パトリックは話のに加わらず、少し離れた場所から見守っていた。


 心臓の鼓動こどうが早くなり、ある衝動が全身にくまなく行き渡った。のぞいたダイアンのうなじを食い入るように見つめる。いつしか、そこから目が離せなくなった。


(今なら、巫女の息の根を止められる)


 さながら先ほどまでの辺境伯のように、理性的な思考が遮断しゃだんされた。何かに取りつかれたように、それしか考えられなくなった。


 背後から近づき、一気に首をしめ上げる。そのシーンがパトリックの脳内でくり返し再生され、かたわらの魔導士の姿も目に入らなくなった。


 所詮しょせん、パトリックもトランスポーターと同じ『最初の五人』。背負わされた宿命から、のがれることはできなかった。


 足音をしのばせ、息を殺しながら近づく。近くで様子を見ていたルーが、殺意さついをたぎらせるパトリックに気づき、ダイアンの肩に飛び乗った。


「おっと、チビすけ。おじょうちゃんに近づいていいのはそこまでだ」


 パトリックが我に返った。しかし、自分が何をしようとしていたのかさえ、すぐにわからなくなってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る