辺境伯とネイサン

     ◆


 事件後に〈資料室〉へ異動いどうとなるまで、ネイサンは辺境守備隊ボーダーガードの一員として、北部のストロングホールドに駐在ちゅうざいしていた。


 〈樹海〉で戦闘が起こる数日前。ネイサンは勤務中に辺境伯マーグレイヴから声をかけられた。


「ネイサン、今週いっぱいヒマか?」


「ん? レイヴンズヒルなら、仕事をほったらかしてでも行くぞ」


「残念ながら、レイヴンズヒルじゃないんだ」


「山はもう二度と行かないぞ」


 『山』とは外世界がいせかい研究会のメンバーで敢行かんこうした大滝おおたき調査のことを言っている。


「惜しい。今回は山じゃない、森だ」


「山も森も同じだろ。人間が住んでいないところには行かない。男しかいないところにも行かない」


「女ならいるぞ。魔女だけどな」


「何だよ、〈樹海〉かよ。魔女ってシワシワのばあさんなんだろ。パスパス」


 辺境伯の出身は〈雷の家系ライトニング〉。性格は底ぬけに明るく勝ち気。向こう見ずの怖いもの知らずで、冒険心に満ちあふれている。細かいことにこだわらず、儀礼ぎれい的な堅苦しいことが嫌いだ。


 長らく辺境守備隊ボーダーガードちょうを務めていたため、周囲からは役職名で呼ばれている。ライオネル・フォックスという本名は、ごく親しい人間しか口にしない。


 まじめなジェネラルとは対照的たいしょうてきで、組織のリーダーとしての資質を疑問視する声がありながらも、胸のすくような性格なので、人望じんぼうはとにかく厚かった。


 かねてより天才魔導士の名をほしいままにし、『転覆てんぷく』前は人狼じんろう族との戦争で勇名ゆうめいをはせた。敵方からは『迅雷じんらいのライオン』という二つ名で恐れられた。


 『転覆』後はジェネラルに一歩およばず、序列じょれつ二位に甘んじていたが、この頃にはジェネラルを凌駕りょうがすると噂されるほど力をつけていた。


 ところが、彼はそう言われるようになった途端に、ジェネラルからの試合申し込みを断るようになった。敗北を恐れたからではない。


 辺境伯という役職に居心地いごこちの良さを感じていたし、外世界研究会を設立し、〈外の世界〉に対する多大ただいな関心を隠さなかった彼は、より近い場所に身を置きたい気持ちが強かった。


 ネイサンも外世界研究会の一員だった。そのため、辺境伯とは頻繁ひんぱんにレイヴンズヒルへ一緒に通う仲だ。


 ただし、辺境伯の馬車に相乗りすれば、タダでレイヴンズヒルへ遊びに行け、おまけに食事や宿泊場所の面倒まで見てくれると、不純ふじゅんな動機で所属していた。そのため、活動には熱を入れていなかった。


 ネイサンは下級貴族の生まれで、実家が裕福でない。ユニバーシティでは年長ねんちょうの部類だが、他に活躍の場がないため、魔導士を続けている面が強かった。


「いや、外世界研究会の集まりじゃなくて、れっきとした任務だから。序列の高い順から、手のあいている八人をかき集めろって、上から言われたんだよ。何でも相当ヤバい案件らしい」


「何だよそれ。今から序列を下げてもらうよう頼んでくるから待ってろ」


 ネイサンは序列十位台、二十位台を行ったり来たりだが、辺境守備隊ボーダーガードでは指折ゆびおりの実力者。けれど、ズボラな性格な上に私生活しせいかつがだらしないので、周囲からは頼りにされていない。


 夜の遊びにかけては右に出る者がいない。女性にモテたいがため必死に序列を上げている。などと陰で言われているが、本人も自認するところなので、特に気にかけていなかった。


「おいおい、ムダなあがきはよせ。もう決まったことなんだ」


「何で八人なんだよ。ヤバいなら八人と言わずに百人くらい連れて行けよ」


「あちらさんのご希望だとさ」


「あちらさんってどちらさんだ?」


「詳しく聞かされていないが、〈樹海〉を待ち合わせ場所に指定するくらいだからな。少なくともまともなやつじゃないな」


 二人はこの時点で交渉相手が〈侵入者〉だと確信していた。


「それで、森へ探険に行くのはいつなんだ?」


「さあな。あちらさんの気分次第らしい」


「そんな非常識なやつの誘いなんて断れよ」


     ◆


 交渉役には元老院げんろういんの議員であるイェーツ卿が選ばれた。彼は南部に所領しょりょうを持つ〈風の家系ウインドミル〉の一族で、今回の一件と利害りがい関係がうすいことから、その役目を一任された。


 イェーツ卿にはアカデミーの研究員が一人同行していた。〈侵入者〉の事情に精通せいつうし、助言役をつとめる予定の男は、ほとんど口をきかず物静かだった。


 イェーツ卿の一行は〈樹海〉の南東に面するウッドランドの街へ向かった。そこは林業りんぎょうの中心地であり、〈樹海〉近郊きんこうとしては人口の多い街だ。


 〈樹海〉の中へ入れるのは十人までと条件をつけられていたが、不測ふそくの事態にそなえたため、メンバーは二十人以上にふくれ上がった。


 準備ができ次第、迎えを寄こすという約束だったが、街で待機していても、もたらされるのは伝言ばかり。交渉の日取ひどりは三度も延期させられた。


大人数おおにんずうを連れてきたので、相手側が警戒しているのかもしれませんね」


 護衛の一人――ダレル・クーパーが言った。〈水の家系ウォーターウェイ〉出身で、頭脳ずのう明晰めいせきと評判の彼は、辺境守備隊ボーダーガードにおいて参謀さんぼう的な役割をになっている。


 事務作業が苦手な辺境伯に代わり、実質的に組織を取りしきっていて、今回のチーム編成も彼が行った。容姿は金髪で中性的な顔立ち。性格はいたっておだやかだ。


「数キロ南に行った街に、ダベンポート卿の屋敷があります。最小限のメンバーだけ残して、そちらへ移しましょうか」


「そうだな。我々は戦争でなく、交渉をしに来たのだからな」


 イェーツ卿が賛同した。辺境伯が口をはさんだ。


「イェーツ卿。それはかまわないんですが、一緒に危険な橋を渡るんですから、俺たちにもそろそろ交渉の内容を教えてくれませんか?」


「実は、私も詳しく聞かされていないのだ。何でも、相手方がもったいぶっているらしい。ただ、〈雷の家系ライトニング〉にとって恵みの雨となる話と聞いている。人手不足を一挙いっきょに解決する画期的かっきてきなモノがあるとか何とか」


「人手不足を一挙に解決……?」


 こうして、護衛として〈樹海〉へ入る予定の主力メンバーを残し、他のメンバーはウッドランドの街を離れた。しくも、その中にはトレイシー・ダベンポートの姿もあった。


 その翌日。これまで伝言しか寄こさなかった相手方の使者ししゃが、ようやく街へ現れた。ただ、使者は汚い身なりをした上に、足元がおぼつかない高齢こうれいの男で、ただの案内役に思われた。


 同行できるのは十人までという条件以外に注文はなく、イェーツ卿の一行はいよいよ〈樹海〉の中へ分け入った。

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