メイフィールド

メイフィールド邸

     ◇


「あれがアシュリーのお屋敷よ」


 ダイアンが左手に見えてきた屋敷を指さした。


 レンガの塀と樹木が目隠しとなり、ここからは青い屋根と二階部分の一部しかうかがえない。角をまがって、屋敷の正面側へ出ると、その全貌ぜんぼうが明らかになった。


 農村の風景にとけ込んでいるとはいえ、場違いに大きな豪邸だ。反対側のはしが、はっきり確認できない。この地域をおさめる、領主の屋敷というだけのことはある。


 正門の近くに、馬車が停まっていた。その付近には複数の人影がある。


「また来てる」


 それに気づいたダイアンが、不愉快そうにつぶやいた。これまでに一度も見せたことのない表情だった。


 ラフな格好をした二人組が馬車の手前に立っている。その脇を通りすぎる時、ダイアンは目も合わせようとしなかった。ただならぬ雰囲気を察し、ガラの悪い二人組をチラッと見る。


 一人は長身、もう一人は小太りで、年齢は二十代後半だろうか。二人とも、挑発的な笑みをこちらへ投げかけている。両者の間に何かがあったのは、想像にかたくない。


 黒光りする馬車は、屋根と扉つきの豪勢なもの。ちょっとした小屋と言っても、言いすぎではない。二頭引きで、御者ぎょしゃらしき人が馬の面倒を見ていた。


 馬車が目前にせまると、一歩前を行くダイアンが、意識的に道ばたへ寄った。そして、会釈えしゃくをするように頭を下げた。自分もそれにならった。


 馬車の側面には紋章がえがかれている。幾何学きかがく模様のようなシンプルなデザインだ。扉は開けはなたれ、中に人影がある。すれ違いざまに、ソっと中をのぞき込んだ。


 そこには貴族らしき中年男性が座っていた。眉間みけんに深いシワをきざみ込み、風格がある。足首までのびた黒一色のローブを身にまとい、つばのない四角い帽子をかぶっている。


 思いがけず、貴族の男と目が合う。するどい眼光をあびせられ、反射的に視線をそらした。その目には人を萎縮いしゅくさせるスゴみがあった。


 なぜか、ダイアンは正門の前を素通りした。ここが目的地じゃないのかと不思議がっていると、角の手前に、人一人が通るのがやっとの通用門を発見した。


 ダイアンは誰にも断りを入れずに、そこから敷地内へ入り、自分も後に続いた。


 すぐそばの出入口から、屋敷内へも無断で入る。そこは台所のようで、人の気配はなく閑散かんさんとしていた。ダイアンは黙々と奥へ進んで行く。よそ見していると置いてけぼりにされそうだ。


 台所を出る直前、彼女がふいに立ち止まった。こちらを振り向き、気まずそうにはにかむ。どうやら、僕の存在を忘れていたようだ。


 台所をぬけた先の階段から、二階へ上がる。いくつもの部屋の前を通りすぎたけど、誰とも出会わない。屋敷内は物音一つせず、まるで空き家か廃墟はいきょのようだ。


「ここで待ってて」


 吹きぬけの大広間を通りぬけると、ダイアンはそう言って、すぐ先にある部屋の中へ姿を消した。


「アシュリー」


「ダイアン」


 名前を呼び合う声がかすかに聞こえた。二人は小声で談笑している。ダイアンの声が何とか聞き取れる程度で、相手の声はか細い上に幼い。


 話し相手は領主のはずだけど、ダイアンのくだけた口調に変わりはなく、友達と話しているみたいだ。まあ、ダイアンの領主ではないということだろうか。


 立ち聞きに後ろめたさを感じ、近くの窓から外をながめる。そこからは屋敷の正面側が一望いちぼうでき、身なりのキチンとした男性二人が、玄関先で話し込んでいた。


     ◇


 数分後、話を終えたダイアンが部屋から出てきた。来た道を戻って屋敷を出ると、その短い間で、正門前の状況が様変わりしていた。


「その言いわけはこの前も聞いた!」


 怒声を上げていたのは、馬車の中にいた貴族の男だ。


 相手は玄関先で話し込んでいた二人のうちの一人。平身へいしん低頭ていとうで応対する彼が、屋敷の関係者なのは疑いようがない。おそらく、執事しつじ的な存在だろう。


「少し話をするだけだと言っているんだ。その程度のこともできないとは何事だ。いったい、どんな重病をわずらっているというんだ!」


 貴族の男の怒りは尋常じゃない。執事の男は言い返すことなく、だまって頭を下げ続ける。両者の力関係がまざまざと感じられた。


「メイフィールド卿はまだ幼少の身だ。考えるに、教育する側の人間が、よほどなっていないのだろうな」


 皮肉たっぷりに言った貴族の男が、ちょうど通りかかった僕らを振り向いた。


「こいつらとは会うのか」


「あの方々はパンを届けにいらっしゃっただけで……」


「パン? これだけの屋敷をかまえていながら、パンを焼く人間に事欠いてるのか」


 僕らをダシに罵倒が行われたので、胸が痛くなった。不愉快な気分だったけど、他人――ましてや、貴族同士の対立に、割って入れる身分ではない。


 無力感につつまれながら、馬車の脇を通りすぎると、先ほどの二人組と出くわした。貴族の男の剣幕に力をもらったのか、彼らの敵意はいっそう露骨になっていた。


 ダイアンに向け、からかうように口笛をひと吹きする。彼らはここへケンカを売りに来たようだ。僕らは相手にしないでやり過ごした。


 しばらくして、カッ、カッと、乾いたするどい音が背後で鳴りひびいた。何の音かと振り返ると、屋敷の塀に向かって、二人組が笑いながら小石を投げつけていた。


 心の底から嫌悪感をおぼえた。自分でも、怒りで表情がゆがんでいくのがわかった。ちょうどその時、長身の男がこちらを振り向いた。


 不運にも目が合った。相手の顔から笑みが消えた。

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