ゾンビ探訪

事件の発端

     ◆


 〈転覆の国〉の北部一帯いったいに広がる〈樹海〉。それにほど近い村で起きた出来事が、全ての発端ほったんだった。


 村人からの通報を受け、二人の魔導士――キースとラッセルが村にかけつけた。


 彼らは〈樹海〉の南東に位置する辺境守備隊ボーダーガード詰所つめしょに駐在し、近隣に出没したゾンビへの対処を役目としている。


 村人の案内で、彼らが現場にたどり着いた。凄惨せいさんな光景を見るなり、気の弱いラッセルは、思わず目をおおった。それにはゾンビとは別種べっしゅの不快感があった。


 一頭のシカが草むらに横たわっている。その右の後ろ脚は押しつぶされた上に、あらぬ方向へねじ曲がっていた。息はまだあったが、瀕死ひんしだった。


「これはヒドいな」


 そばに腰を落としたキースが顔をしかめる。


「崖から落ちたんでしょうか」


「崖から落ちて、こんな風になるか? 第一、この辺に崖なんかないだろ」


 キースが傷跡きずあとを入念に調べ始める。すぐに奇妙なことに気づいた。


「右の後ろ脚以外に傷が見当たらないな」


「そうですね……」


「動物の仕業しわざじゃないな。ここまでの傷を負わせて、みすみす逃すバカはいない」


 追撃が加えられていないのなら、捕獲を目的としたものではない。キースは悪趣味あくしゅみな愉快犯ではないかと考えていた。


「それなら人間の仕業ってことですか?」


「断言はできないが、人為的じんいてきなものがあるように思う。例えば、大きな石を投げつけたとか」


「でも、魔法ではないですよね?」


「魔法ではないな」


 厳密には、氷の魔法なら物理的な打撃が加えられる。けれど、実力者がありったけの力をこめても、ここまでの惨状さんじょうになるか疑問があった。


「じゃあ、その方向で報告書を上げます。あと、調査が終わったら食べてもいいかって村人に聞かれたんですけど、どうしますか?」


「これを食うのか?」


 鼻で笑ったキースが嫌悪感けんおかんを表情にうかべる。


「まあ、右後ろ脚以外は何ともないし、クサってもないから大丈夫か」


 立ち上がったキースが辺りを見回す。発見した真新まあたらしい血痕けっこんをたどって行くと〈樹海〉のきわに行き着いた。


「血痕は中に続いてるな」


 キースは〈樹海〉をのぞき込みながらつぶやいた後、ラッセルを振り向いた。


「ちょっと中に入って様子を見てくる」


「……〈樹海〉に入るんですか?」


 ラッセルは正気を疑った。なぜなら、許可なく〈樹海〉に立ち入ることはかたく禁じられているからだ。キースがいったんラッセルのもとまで戻る。


「何か手がかりがあるかもしれない。それとお前の指輪を貸してくれないか?」


「え?」


 突然のもうに、ラッセルは身がまえた。


「オオカミとかに遭遇するかもしれないだろ? 風の指輪じゃ心もとないんだ」


 〈風の家系ウインドミル〉一族のキースは風の指輪しか所持していないが、火の魔法もあつかえた。人間は居住きょじゅうしていない〈樹海〉だが、野生動物は多く生息せいそくしている。その撃退には、ラッセルの持つ火の指輪のほうが効果的だった。


 〈樹海〉への立ち入り同様、指輪の貸し借りもきびしく制限されている。そもそも、指輪は国から貸しだされたものだ。けれど、ラッセルはキースの身の安全を第一に考え、やむなく指輪を手渡した。


「先に帰っていいから」


 キースは代わりに風の指輪を差しだし、のんきな言葉を残して〈樹海〉へ分け入った。


 この姿が目撃されたのを最後に、キースは消息しょくそくを絶った。ひと足先に詰所へ戻ったラッセルが、キースの失踪しっそうに気づいたのは、夜が明けてからのことだ。


 この失踪が〈転覆の国〉全土ぜんどをゆるがす大事件の始まりだったとは、この時はまだ、誰も知るよしがなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る