試合(後)

     ◆


 対象の巨大さから、今回はピンポイントという教訓きょうくんがいかせない。先日、無意識に行った『エーテルの消失』に望みをたくす。


 ぶっつけ本番という不安と、『豪炎ごうえん』の放つ熱気が相まって、ふき出した脂汗あぶらあせがウォルターのほおをつたう。


 デビッドに自制心がわずかに働いた。降参をうながすような、はたまた願うような目つきでにらみをきかせる。


 しかし、すでにウォルターは腹をくくった。来るなら来いと言わんばかりに、悠然とかまえ続け、それがデビッドの決断を後押しした。


「後悔するなよ!」


 最後通告の言葉と共に、猛威もういをふるっていた『豪炎』がついに解き放たれる。


 雑念ざつねんを捨てるため、ウォルターは考えることをやめた。無我むが境地きょうち――まっさらな心持ちで、ぼんやりと『豪炎』を見つめる。そして、魔法の存在しえない空間を、胸のうちで押し広げた。


「ウォルター!」


 スコットのかけ声がひびいた。背後から見たウォルターは、棒立ちのまま意識を失ったかのようだった。


 中心点さえ定かでなく、軌道きどうという軌道もない。たけり狂う『豪炎』が、ウォルターを取り巻く半球状の空間に侵入した。


 その途端、『豪炎』は不自然なかたちで消失を始めた。難をのがれ、外縁がいえんをはうように突き進んだ残り火も、空間への突入と同時に跡形あとかたもなく消え去った。


 目の前の光景が信じられなかったのは、デビッドだけではない。不可解な現象を目の当たりにし、観衆もざわつき始めた。クレアもその一人。まゆをひそめて、こうつぶやいた。


「何、今の……?」


 観衆の反応を確認するまでもない。自分のしたことながら不自然と感じたウォルターは、二度は使えないと覚悟した。


 しかし、自暴じぼう自棄じきとなったデビッドが、再度同等の『豪炎』をほとばしらせた。


 それの再出現に、ウォルターは苦虫にがむしをかみつぶす。直前の判断を撤回せざるをえない状況に追い込まれたが、ウォルターは自分でも不思議なくらいに冷静だった。


 相手に接近すれば、違和感を緩和かんわできるかもしれない。とっさに妙案がひらめき、ウォルターは静かに前方へ足をふみ出した。


 当然ながら、その意図をデビッドは読み取れない。しばらく身をすくませたが、襲い来る恐怖をふりはらうように、『豪炎』を解き放った。


 相手の動きに合わせるように、ウォルターは右手をかまえ、魔法を発動するそぶりを見せた。それは、少しでも不自然さをごまかすための演出だ。


 先刻せんこくのリプレイが、両者の前で展開した。


「どういうことだ……?」


 デビッドの顔からが失われる。ウォルターは歩みを止めず、右腕をかまえたまま接近を続け、ついに相手を能力の有効範囲におさめた。


 デビッドは新たな魔法の発動を試みたが、周囲をただよっているはずのエーテルが、その求めに応じない。


「どうしてだ……、どうして発動しない!」


 デビッドの悲痛なさけびが中庭にひびいた。辺りは不気味な静寂につつまれ、カツ、カツとウォルターの足音だけが反響する。その一歩ごとに、デビッドの恐怖心がはね上がっていく。


「……どうなってるの?」


 異様な光景を前にして、クレアも疑問を口にした。ウォルターに魔法を発動している様子はない。それにも関わらず、デビッドのそれだけが完全にシャットアウトされていた。


「大技を連発したから、エーテルを食いつぶしたのでは?」


「……そこまでの大技だった?」


 同僚の返事に、クレアは釈然しゃくぜんとしない様子を見せる。事実、デビッドは不用意に大技を乱発した。けれど、クレアの経験上、あの程度で周辺のエーテルが枯渇こかつするとは、とうてい考えられなかった。


 デビッドと歴然れきぜんとした差があるとはいえ、ウォルターの精神状態も良好と言えない。表面上、平静をよそおっているが、ある懸念けねんが頭の中でうず巻いていた。


(マズい。少しでも気をぬいたら火だるまだ)


 接近によって、デビッドの攻撃手段を奪うことに成功した。しかし、両手足をしばられたのは自身も同様だ。ウォルターは特段の策もないまま、相手の少し手前で立ち止まった。


(能力の持続可能時間は三十分。それまでに相手が降参しなかったらどうする。試合はふりだしに戻るけど、このまま何食わぬ顔でバックするしかないか)


 現状はおたがいに手も足も出ない状態。無限ループが始まりそうな予感に、ウォルターは〈悪戯〉トリックスターが万能でないと再認識した。


 ところが、敵前で悠々と考え込むウォルターの姿は、デビッドを絶望のふちへ追いやりつつあった。


(人間の感覚をあやつれるなら、ただちに降参したくなるほど弱気になる、なんていうのはどうだろう。そうなると……、滑舌かつぜつの悪いほうが勝ちか)


 現実逃避とうひのような策にウォルターが自嘲じちょう気味に笑みをこぼす。それが引き金となった。


「うわああああ!」


 デビッドの中で何かが切れ、狂気に満ちたさけび声を上げた。


 その矢先、ウォルターの視界が大きくゆさぶられる。パニックにおちいったデビッドが、衝動的に右フックをくり出し、強烈なそれがウォルターの頬にさく裂したのだ。


 ウォルターは一時的な失神に追い込まれ、今にも倒れそうになった。それに対し、デビッドは追撃の手をゆるめず、おおいかぶさるように押し倒す。


「誰か止めろ!」


 回廊から大声が上がり、近くで見守っていた観衆数名がいっせいに飛びだした。馬乗りになったデビッドがコブシを振り上げた瞬間、観衆の一人が彼を羽交はがいじめにする。


 殴打おうだの衝撃で軽い脳震盪のうしんとうを起こしたウォルターは、かけつけたスコットに抱きかかえられた。そして、目の前のもみ合いを、うわの空でながめていた。

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