ダイアンの決意(前)

    ◇


 行き場のない感情を持てあまし、発作的ほっさてきに〈とま〉から飛び下りた。自分にも責任の一端いったんがある。助けを呼んでいる人たちだけでも、助けなければ。


(ちくしょう……、ちくしょう!)


 胸のうちではき捨てながら、重力に身をまかせた。風を全身に受けながら落下する。地面の直前でブレーキをかけて、ふわりと空中で一回転して群衆ぐんしゅうのまっただ中に着地した。


 周囲の視線を集めながら、状況の把握はあくにつとめる。ゾンビらしき足もとがおぼつかないのが数人おり、まわりから距離を置かれている。


 ゾンビは目についた人を、手当たり次第に追いはらおうとする。そのたびに周囲からさけび声が上がり、それが刺激しげきとなって、興奮をあおり立てる悪循環あくじゅんかんとなっていた。


「あそこのゾンビをどうにかしてください」


「宮殿の中にはもっといるんです」


 近くに他の魔導士は見当たらない。自分がとむらうしかない。一番攻撃的なゾンビにねらいをさだめた。


「どいてください!」


 射線しゃせん上にいた人たちが両サイドへはけると、『かまいたち』を放った。数メートル吹き飛ばされたゾンビは、三度も地面をころがった。


 本来なら火の魔法でとどめをさすところ。自分にはそれができる。けれど、あの人はついさっきまで生きていた。その事実が頭をよぎると、途端に罪悪感ざいあくかんつつまれた。


(まだ彼らを救う方法があるかもしれない)


 ふと、そんな考えが胸に芽ばえ、かまえた右手を下ろした。


巫女みこをさがしだして、もう一度『転覆の魔法』をかけてもらえば、彼らを救えるかもしれない)


 巫女の居場所は見当もつかない。けれど、一縷いちるの望みにすがるしかなかった。残りのゾンビを次々と転倒させた後、同様に大きな騒ぎとなっていた東棟ひがしとう方面へ移動した。


     ◇


 建物へは入らず、大声おおごえが聞こえる東門のほうへ向かった。すると、ゾンビから逃げてきた人たちが、そこに殺到さっとうしていた。


 かたく閉ざされた門の前で、守衛しゅえい懸命けんめいに制止している。


「外に出してくれ! ゾンビがそこまで来ているんだ!」


「ダメだ! 門は開けられない! 建物に引き返せ!」


「建物はゾンビだらけなんだよ!」


「だったら、ゾンビを早くどうにかしてくれ!」


 その時、一体のゾンビが群衆の中へつっ込んでいき、人だかりが二つに分かれた。あわててそこへ向かい、ゾンビだけを排除はいじょした。


「ありがとうございます」


 近寄ってきた守衛が感謝の言葉をのべた。


「今はどんな状況ですか?」


「ご覧の通り、大量のゾンビが現れたというか、いっせいにゾンビ化が始まったんです。それなのに、門が開けられないので、魔導士の方を呼び戻すこともできません」


「他におかしなことは起きてませんか?」


「そうですね。今は落ち着いていますが、さっきまで地鳴じなりがひどかったです」


 自分は気づかなかったけど、いつの間にか、地鳴りがほとんど聞こえなくなっていた。


 少し離れた場所で悲鳴が上がった。新たに現れたゾンビの対処へ向かう。


「ウォルター」


 それを終えた時、ふいに呼びかけられた。


 振り返ると、ダイアンが立っていた。全身から力がぬけていくような安心を感じた。けれど、あのことが頭をかすめると、反射的に顔をそらした。そして、自分を責めるように声をしぼりだした。


「ダイアン、ごめん……。守れなかった、守れなかったんだ……」


 彼女がゆっくりと歩み寄ってきて、両手でソっと僕の手をにぎった。


 顔を見ることができない。約束を守れなかった。彼女の大事にしていた生活を守ることができなかった。


「城外も通りに人が出てきています! おそらく、同じ状況です! 岩の巨人がうろついている分、外のほうが断然だんぜん危険です!」


 城壁の上にいた守衛が大声で言った。


「今のを聞いただろ。外は岩の巨人だらけだ。まだゾンビのほうがマシだ」


「俺たちもいずれゾンビになるんじゃ……」


 守衛がおどすように言うと、群衆は口をつぐんだ。


 そうだった。今はゾンビよりも岩の巨人を先にどうにかしなければ。


「行かなきゃ……。助けに行かなきゃ」


 そうダイアンに言い残して、数メートル進んでから一気に飛び上がり、城壁を越えて市街へ向かった。


     ◆


 ウォルターが飛び去るまで、ダイアンは顔を上げられなかった。なぐさめの言葉をかけなければ。その思いはあっても、相手の目を見れば、心をかき乱されそうだった。


 彼女には能力が一つある。名前は〈読心〉マインドリーディング。彼女が手元に残したささやかな能力だ。発動条件は相手の目を見るだけでよく、許可は必要ない。


 それが自身の選択とわかっていても、この能力を残した経緯けいいは明らかでない。『転覆てんぷく』前の記憶は大半が残っているものの、『誓約せいやく』によって肝心かんじんな部分が欠落けつらくしていた。


 特に、『最初の五人』が深く関わる『転覆』直前に関しては、ぬけ落ちた記憶のピースがあまりに多い。


 〈読心〉マインドリーディングは身を守るのに役立った。幸いにも、一度も現れることはなかったが、心を読むことによって、自身の命をねらう敵を見ぬくことができる。それは安心感をもたらした。


 『誓約』の影響で、出会った直後はウォルターに能力が通じなかった。けれど、同意を得てからは心を読めた。おかげで、すぐに疑いは晴れ、突然部屋に出現した相手にも、心を許すことができた。


 とはいえ、心を読めるのは恐ろしいことだ。知りたくもない相手の気持ちも知ってしまう。そのため、彼女はウォルターと背中合わせで話すことが多かった。


 『巫女』と呼ばれていた時代は、片膝かたひざをつかせ、顔を伏せた状態で家来けらいに話をさせた。『巫女は心を見透みすかせる』という話が常識として広まっていた。


 『転覆』後、彼女は身を隠し続けた。確実なことは言えないが、それが自分で自分にした役目であり、『転覆』前の自分からのメッセージだと判断した。


 能力を失った今の自分では、周囲に迷惑をかけるだけ。その思いがあり、名乗り出ることは考えなかった。しかし、彼女を長年ながねんしばり続けた考えを、ついにあらためる日が訪れた。


「私も――戦わないと」


 自身を勇気づけるようにつぶやいた。ダイアンは表舞台おもてぶたいに立つ決心をかためた。

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