魔法を使える?

    ◇


 アシュリーが疑問に思うのはもっとも。かといって、ジャンプして飛び乗りましたとは、口がさけても言えない。いや、言ってもいいけど、正気を疑われるだけだ。


「あ、え……」


 うろたえながら、言葉にならない声を発していると、思わぬ人物が助け船を出してくれた。


「何をやっているんだ、騒々そうぞうしい!」


 屋敷の正面側で怒声がひびいた。


 声の雰囲気は例の貴族の男。おびえた様子のアシュリーと顔を見合わす。先に彼女が窓のほうへ向かい、自分もそれに続いた。


 彼女が窓から少しズレた位置から、外の様子をうかがう。部屋の窓はブラインドのような形をしたよろい戸。外からはほぼ見えない構造なので、堂々とながめても問題ない。


 貴族の男と執事の男が見える。相対的な立ち位置は同じだけど、現在は敷地しきち内に舞台を移していた。


 かたわらにはあの二人組もいて、かしこまった様子で立ちすくんでいる。さっきの怒声は、彼らに向けられたもののようだ。


「実はですね、ついさっき、屋敷から出てきた男とケンカになりまして。そうしたら、そいつが魔法を使いまして……、それから、そいつが逃げだして……」


 長身の男の説明はしどろもどろだ。


「魔法を?」


 貴族の男が話をさえぎった。


「突然、こう体がちゅうにういたんです」


「……体が宙に?」


 小太りの男がジェスチャーをまじえて説明する。貴族の男はけわしい表情で、思案に暮れ始めた。


「魔法を使ったってことは、あいつは魔導士ってことか?」


「ああ……、そうなるな」


「魔導士ってことは、貴族ってことだよな?」


 小太りの男は口をつぐんだ。言葉をかわす二人組に、先ほどまでの横柄おうへいな態度は見られない。


 この世界なら、何でも魔法だと言いはれば、言いわけが立つのか。光明を見出した気分だったけど、ちょっと様子がおかしい。


 二人の会話によれば、魔法は万人が使えるものでなく、貴族にかぎられるというニュアンスだった。もしくは、魔法が使えるイコール貴族だろうか。


「魔法をお使いになられるんですか?」


 アシュリーが信じられないといった様子で言った。返答に困った。魔法の正確な知識がない。〈悪戯〉トリックスターが魔法であるかもはっきりしない。


 けれど、二人組が事実をふれ回っている以上、否定するのは賢明だと思えない。


「魔法と呼べるものかどうかは……」


 やむなく、あいまいな答えではぐらかした。


「その男はどこへ行った?」


「屋敷へ逃げ込んだのは、まちがいありません」


 返答を聞いた貴族の男が、ほくそ笑んだように見えた。


「あの……、俺達はとんでもないことをしでかしたんでしょうか?」


「あまりに身なりが貧相ひんそうだったので、つい村人かと……」


 貴族の男の顔色をうかがいながら、二人組が口々くちぐちに不安をもらした。


「気に病む必要などない。むしろ、お手柄だよ。ケンカごときで魔法を行使する。そんなやからが貴族であるはずがない。いや、断じてあってはならないことだ。ただ、今後は無用なもめ事を起こすのは、厳に慎んでくれたまえ」


 貴族の男が執事の男へつめ寄った。


「その男をここへ連れて来い。君も貴族のはしくれなら、職務外における魔法の行使が、重大な規律違反に当たることを承知しているはずだ。ましてや、丸腰の人間が相手ならば言語ごんご道断どうだん


 大事おおごとになってきた。そんな法律があるなんて、夢にも思わなかった。


 魔法を使ったことや、貴族だという既成きせい事実が、いつの間にか醸成じょうせいされている。アシュリーの視線を感じていたけど、顔を向けることができない。


「先ほど、お帰りになられたのでは?」


「この二人が屋敷へ逃げ込んだと言っている」


 執事の男は言葉につまった。貴族の男が語気を強めてたたみかける。


「ならば、その男の名前だけでも教えろ」


「なにぶん、今日初めてお見かけした方なので……」


 執事の男が肩をすぼめる。他人事ではない。攻撃材料を与えているのは自分だ。下に出向いて、すぐにでも名乗り出るべきところだけど、ふんぎりがつかない。


「あっ……」


 居たたまれない気持ちで事態を見守っていると、アシュリーがささやき声をもらした。彼女の視線を追うと、ダイアンが村人数名を引き連れて戻ってきた。


 村人達と貴族の男達が鉢合はちあわせる。屋敷前が不穏な空気につつまれ、正門をはさんで無言のにらみ合いが続いた。


「あの女です。あいつはあの女と一緒にここへ来ました!」


 長身の男が集団の中のダイアンを指さした。貴族の男が獲物を見つけた肉食獣のような目つきを見せる。ダイアンがとっさに村人の背後へ隠れた。


 これ以上、傍観ぼうかんしているわけにはいかない。僕が出向けば、かえって事態は混乱するだろう。かといって、ふぬけた恩知らずにはなりたくない。


「下に行ってきます」


 自身を鼓舞こぶするように、アシュリーへ語りかけた。


「はい……、くれぐれもお気をつけて」


 その言葉を聞きとどけた後、部屋を飛びだして、ダイアンのもとへ急行した。

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