アシュリー

    ◇


 二人組を出しぬいた――けれど、すぐに馬車が視界に飛び込んできて、反対方向へ走りだしたのに気づいた。自分のうかつさ、つめの甘さを呪った。


「待ちやがれ!」


 後方で怒号が飛ぶも、振り返らずにひたすら走る。帰り道は逆方向でも引き返すことはできない。そのままつっ走って屋敷の角をまがる。


 その先は爽快なほど視界が開けていた。一面の小麦畑をつらぬく道が、果てしなくのびている。これでは隠れる場所もない。とっさに屋敷へ逃げ込むことを思いついた。


 塀の高さはせいぜい二メートル。重力の軽減も経験済み。行きすぎと重力の加減に注意し、ふわりと塀を飛び越えるイメージで、地面をけった。


 体が軽くなり、想定通りの跳躍ちょうやくになる。塀のてっぺんに手をかけ、腕の力も借りながら、悠々と屋敷内へ飛び込んだ。着地の衝撃でバランスをくずし、前のめりになるも、何とかふんばった。


「屋敷の中に逃げ込んだぞ!」


 背後から上がった声で、さらなる誤算に気づいた。さっき出入りした通用門から、この場所はまる見えだったのだ。


 やることなすこと、嫌になるほど裏目に出てしまう。引き返すわけにもいかないので、スピードをゆるめずに、屋敷の裏手へ回り込んだ。


 そこには大小様々な小屋がならんでいる。ふと頭上に目を移すと、建物から張り出したバルコニーが目にとまった。


 先ほどの成功で気を良くしていた自分は、バルコニーへ飛び乗るアイデアを、躊躇ちゅうちょなく実行に移した。今度は、さらに強く地面をけった。


 風景がまたたく間に下へ流れていく。たちまち開放感につつまれた。周囲に存在するのは……屋根から突き出た煙突しかない。


 ――勢いあまって飛びすぎた。


 すぐに眼下のバルコニーを探し当てた。けれど、無謀な挑戦だったと思い知らされる。そこの広さは人一人が寝そべれるかどうかしかなかった。


 ブレーキをかけようと、自転車をこぐように両足を回転させる。無意識に能力を解除したのか、バルコニーが加速度的にせまってくる。


 きもを冷やしたものの、バルコニーのふちに運良く片足がかかった。格子こうし状の手すりにつんのめる形で、頭からつっ込む。


 息を押し殺しながら、バルコニーに寝そべる。嵐がすぎ去るのをひたすら待った。ジッとしていると、心臓の鼓動が強く感じられる。両足もジンジンと悲鳴を上げていた。


 近づいてくる気配に、全神経をかたむける。足音は一定のリズムをきざんでいない。僕を完全に見失い、ウロウロとさがし回っているようだ。


 そのまま通りすぎろと強く念じる。思いが通じたのか、長身の男はバルコニーの下を素通りし、屋敷の正面側へ向かった。


 命をすり減らすような緊張から解放され、ひと息ついた――のもつかの間、ふいに間近で物音が上がった。


 上体をひねるように起こし、左手の窓を見上げた。よろい戸のすき間からこちらを垣間かいま見る瞳と、偶然にも目が合った。戦慄せんりつをおぼえ、手すりへ飛びすさる。


 すぐに屋敷の住人だと思考が働いた。でも、それはそれでマズいか。はからずも、本日二度目の不法侵入を果たしてしまった。


     ◇


 どう言いのがれすべきか、頭をフル回転させていると、ギーッときしむ音を立てながら、ゆっくりと窓が押し開けられた。


「どうぞ」


 すき間から半身をのぞかせた少女に、か細い声でまねき入れられる。少女の言葉に甘えることにした。


 足をふみ入れた部屋は、落ち着かないほど広かった。


 部屋の中央には細長いテーブルがある。燭台しょくだいや水差しなど、調度品はオシャレなものばかりで、外観に引けを取っていない。


 奥に暖炉があり、その手前には向かい合ったソファ。さらに、書斎しょさいデスクにベッドもあって、もはや、何のための部屋かわからない。ここだけで生活が完結しそうだ。


 少女の容姿も目を引くものだ。年齢は十代なかば。クセのある長い髪は、金色に輝いている。


 身にまとうワンピースは、複雑な花柄の刺繍ししゅうがほどこされ、華やかの一言。まるで古い絵画から飛びだしてきたようだ。


 おそらく、この子が領主のアシュリーだろう。年端としはもいかない少女が、領主というのもおかしな話だけど。


 アシュリーは軽く背を向け、気弱そうな瞳をこちらへチラチラと向ける。今にも話しだしそうな様子だけど、なかなか口を開かない。


 後ろめたさから、自分自身もちぢこまっていた。敷地に無断で入ったことならともかく、バルコニーにいたことは言いわけのしようがない。


「ダイアンと一緒に来られた方ですよね?」


「僕のことを知っているんですか?」


 すかさず疑問を口にする。彼女と顔を合わせたおぼえはない。話をそらして、不法侵入の件をウヤムヤにできるかもしれない。


「この部屋から、ずっと見ていましたから。ダイアンと一緒に来られたところも、外の方々と言い争いになっているところも」


 彼女がたどたどしく答えた。嫌な予感がする。やぶへびだったかもしれない。


「……あそこへは、どのように上がられたんですか?」

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