トレイシーの最期(後)

     ◆


 スプーとネクロの二人は〈侵入者〉の一味いちみだ。


 十日ほど前、彼らは〈樹海〉において、ある実験を行っていた。その現場をキースに目撃されてしまい、彼を場当ばあたり的に殺害した。


 その結果、大規模だいきぼな捜索活動をまねき寄せてしまい、彼らの活動が制限されかねない事態となった。これ以上〈樹海〉をかぎ回られれば、ひそかに進めていた計画まで発覚しかねない。


 捜索活動を終息しゅうそくさせるために、彼らはキースの体を処分すると決めた。失踪場所から遠く離れた廃村はいそん芝居しばいをうち、幸運にも同じチームのトレイシーらをおびき寄せるのに成功した。


 当初から、ネクロはラッセルの体へ乗りかえる予定だった。ウォルターの登場で紆余うよ曲折きょくせつはあったが、予定通り、事は運んでいた。しかし、最終段階で誤算が生じた。


 どういうわけか、ラッセルの体で魔法が使えなかった。これではキースの体を処分することができない。さらに、ネクロは魔法の使用に楽しさを見出みいだしていたので、それに不満をもらした。


 やむなく、ネクロは元のキースの体へ戻り、ラッセルをキースに偽装ぎそうして処分すると決めた。火の魔法で見る影もないほど死体を焼損しょうそんさせれば、見やぶられないとふんだのだ。


「ギル、何を言っているんだ?」


 トレイシーは底知そこしれない恐怖を感じていた。ギルが不敵ふてきな笑みをうかべる。


「君こそ何を言っているんだ。君の後ろにいる男は、本当にラッセルか?」


 理解不能な言葉を投げかけられ、トレイシーはかたまった。背後から人が近づく気配を感じ、とっさに振り向こうとしたが、相手の腕が自身の首にかかるのが先だった。


 トレイシーは懸命に振りほどこうとした。不意をついたとはいえ、体格差がない上に片腕しか使えないため、ネクロは大きく左右に振られた。


 しかし、前方にいたギルが、たたみかけるようにナイフでおそいかかった。脇腹に深くナイフを突き立てられ、トレイシーの顔が苦悶くもんにゆがんだ。


「お前ら、何を……」


「君ら魔導士は魔法を過信かしんするあまり、刃物はもの軽視けいししがちだ」


 人体に『寄生きせい』する能力は、スプーとネクロが共通して持つものだが、彼らは血液を別の物質へ置きかえるため、刃物で血をぬく手段を好んでいる。


 腹部からドクドクと血が流れ落ち、トレイシーは手足に力が入らなくなった。最後の力を振りしぼって、背後のネクロを振り向くと、その顔はラッセルでなく、キースのものへ変貌へんぼうしていた。


 大量出血と酸欠さんけつで意識がうすれていく中、トレイシーが前方に目を戻す。事もあろうに、ギルの姿さえ別人になりはてていた。


 ギル――スプーの能力は〈扮装〉スプーフィング。それは容姿から体格、声色こわいろ、服装にいたるまで完璧にコピーし、他人になりすますことができる。


 無論むろん、他人に対して能力を使用することも可能だ。また、人体じんたいデータの保持数に制限はあるが、能力をかけられる人数に制限はない。


「お前は……、どうしてお前が……」


「私が誰だかおぼえているのかな?」


 別人と化したスプーがほくそ笑んだ。黒髪のいかめしい中年男性は、金髪の若々しい姿に様変さまがわりしていた。それこそ、スプーが『うつわ』とする体の本来の姿だ。


 トレイシーは目を疑った。最後に目にした男は、五年前に〈樹海〉で戦死したはずの、なつかしき友の姿をしていた。


     ◆


 事切こときれたトレイシーの体が、ネクロの腕をすりぬけた。ネクロは嗜虐的しぎゃくてきな笑みをうかべ、足もとに横たわるそれをなめ回すように見た。


「スプー。腕がプラプラしてないし、こっちのほうがいいな」


「好きにしろ」


 スプーは周囲を警戒しながら答えた。村に残っているのは彼ら以外にいないが、クレア達が戻って来ないともかぎらない。


「それより、例のウォルターという男が気にかかる。お前の話が本当ならば、一度検証しなければならないな。いざという時に『アレ』が役立たなければ、我々の計画が破綻はたんするのは目に見えている」


「しかし、あんな能力を持つやつは〈外の世界〉にもいなかったよ。あの男はいったい何者なんだい?」


 二人の懸念はウォルターの空中飛行でなく、ゾンビとつないだリンクが強制的に切断された現象だ。マヌケなネクロのことだから単純ミスではないか。最初、スプーはそう疑っていた。


「思いあたる人物が一人いる。お前もトリックスターという名を耳にしたことがあるだろう。伝承に残るそいつの能力なら、そんな芸当も可能かもしれない」


「あの『最初の五人』の一人かい? そいつはずっと行方不明だったよね?」


 ネクロと違い、スプーはギルという魔導士の仮面かめんをかぶって、国家機関に潜入している。そのため、国の事情に精通せいつうしていた。


 けれど、そんなスプーでも、ウォルターの話は初耳であり、そのような能力の持ち主がいるという噂すら、聞いたことがなかった。


「突然この国に現れたのか、単にスプーが見落としていただけか。そのどちらかだね」


 ネクロの自身を非難するような物言ものいいに、スプーはイラだちを見せて、相手をにらみつけた。


「で、そいつはこっちの仲間なのかい?」


「『最初の五人』なら我々のがわでもおかしくない。だが、すでにヒプノティストという例外がいる」


 彼らはパトリックをヒプノティストと呼び、その所在はおろか、能力の詳細しょうさいさえ把握していた。


(二十年近く、ようとして行方のつかめなかった男が、今になってなぜ姿を見せた。もしや、我々の計画が露見ろけんしているのか?)


 スプーは疑念を持たざるを得なかったが、たとえそうであっても、長年続いた膠着こうちゃく状態を思えば、大きな前進を期待させる出来事だ。


「『転覆の巫女エックスオアー』が動き出したのかもしれない」


 彼らの目的は宿敵しゅくてき転覆てんぷく巫女みこ』の命ただ一つ。いくらあがいても、ささいな糸口さえ見つけられなかったが、ついにしっぽをつかむチャンスがめぐってきたように思えた。


「ネクロ、レイヴンズヒルへ行くぞ。事は――確実に動いている」


 冷血漢れいけつかんのスプーも、この時ばかりは打ちふるえるような興奮をおぼえていた。

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