ダイアンの想い

     ◇


 街の人の助けを借りながら、役所前の広場にたどり着いた。


 そこですぐに思いだした。この世界に来た当日。パンの配達途中に、この広場のそばを通りかかったことを。


 広場には多くの人が集まり、にぎやかで活気かっきにあふれていた。これがカーニバルの準備なのだろう。山車だしのようなかざり立てられた車が一台と、まん中に巨大な人形がくくりつけられた、長槍ながやりのような棒が大量に置いてある。


 本番さながらに仮装かそうする人がチラホラといて、ものめずらしさでつい見入ってしまった。


「ウォルター!」


 うわの空で広場を歩いていると、人ごみの中から声をかけられた。それは何十年たっても忘れられそうにない、なつかしい声だった。


「いつ帰ってきたの?」


 ほがらかな笑みに出迎えられた。服装は普段とまるっきり違っていたけど、まぎれもなくいつものダイアンだ。


「……今日」


 長い沈黙のはてに、やっと声をしぼり出した。様々な思いがうかんでは消え、そんな短くてつまらない言葉を発するために、五秒も要してしまった。


「ねえ、これ見て見て」


 スカートのすそをひらめかせながら、ダイアンがその場で一回転した。彼女は今、目立ちたがり屋の魔女といった格好をしている。


 スカートのたけは短めで、アカデミーでなく、ユニバーシティの制服がベースに見える。けれど、色のついたラインが入っていない上に、花やら羽根やらで装飾そうしょくされているため、見る影もなくなっている。


 見違えたというか、空前くうぜんのかわいさだった。けれど、うまく褒め言葉が口をついて出ない。


 肩の荷が下りたら、疲労がドッと押し寄せた。安心感もあるだろうけど、無意識に使っていた能力を解いた影響がほとんどだろう。近くにあった柱に寄りかかった。


「そんなにあわててどうしたの? 何かあったの?」


「ちょっと気になることを聞いたから。それで居ても立ってもいられなくなって」


 しばらくまごついてから、意を決して、こう尋ねた。


「街の人達は、一週間以上前のことを忘れてしまうって本当?」


「それであわてていたのね」


 ダイアンが笑みをもらした。


「本当だよ。たわいのない会話や、日常のささいな出来事は、すぐに忘れられちゃうかな。でも、毎日のように会ってさえいれば、顔を忘れられることはないから安心して。それに、ずっと昔から知っていることはおぼえているのよ。例えば、このカーニバルのこととかね」


 返す言葉が見つからず、不安げに押しだまった。答えを聞くのが怖くて、一番聞きたいことが切りだせない。すると、彼女がおだやかな表情を見せて言った。


「私は大丈夫よ。みんながみんなってわけじゃないの」


「ベーカリーのみんなは?」


「ベーカリーのみんなはダメみたい」


「つらくなかった? 一緒に作った思い出が、いつの間にか自分だけのものになっていたり……、つまり、そういうことだよね?」


「そうよ。私がおぼえていても、みんなはおぼえていない。それなのに、私が知らないことをみんなはおぼえていたりする。上手じょうずに話のに入れなくて、のけものにされていると感じたことはたくさんあった。でも、この状態が当たり前だったから。慣れちゃったというか、感覚がマヒしちゃったのかな」


 ダイアンのけなげな思いが胸につきささった。彼女の立場を自分に置きかえて考えた。いったい、それはどれだけ苦しいことだろう。とめどなく思いがあふれ、心の整理が追いつかなかった。


 それでもわからないことがある。そういう人達と歩む生活を、あえて選んだのはなぜだろう。そうでない人達が少なからずいるはずなのに。


「そうならない人達と暮らしていこうとは考えなかった?」


「反対よ。実はウォルターの誘いを断ったのはそれが理由。ベーカリーのみんなだけじゃない。配達で顔を合わせる一人一人から、忘れられたくなかったの」


 出会ってから一ヶ月に満たないのに、何を思い上がっていたのだろう。ダイアンの気持ちを軽々しく考えていた。


「でも、ベーカリーに残り続けた理由はそれだけじゃないの。自分でもよくわからないんだけど、どうしてもあそこに居続けなければならない気が、ずっとしてたんだ」


 ダイアンが遠い目で空を見上げながら言った。ふいにこちらを振り向いて、ドキッとするような、意味深いみしんな笑みを見せた。


「もしかしたら、ウォルターのことを待っていたのかもね」


 照れくさそうに言ったダイアンが軽く身をかがめた。そして、恥ずかしげに僕の顔をのぞき込んで、すぐに視線をそらす。それは、彼女が時々見せるしぐさだ。


 彼女の笑顔に魅了みりょうされ、この時は頭が回らなかったけど、あの屋根裏部屋に転送されたことに、運命めいたものを感じた。いや、そうあってほしいと心から願った。


(ダイアン。僕はおぼえている。君と出会った日のことも、あの時、分けてもらったパンの味も。こんな言葉をかけるのは不謹慎ふきんしんだろうか。デリカシーに欠けるだろうか)


「ちょうど帰るところだったの。一緒に帰る?」


 差しだされたダイアンの右手をソっと手に取る。こんな風に心から笑う人が、幸せでないわけがないと切実せつじつに思った。

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