逃飛行(後)

     ◇


 僕らは二階の一室にかけ込んだ。壊れたイスとさびついた燭台しょくだいがころがっているくらいで、部屋はガランとしていて、床板にはところどころ穴があいている。


 戸口そばの壁に張りつき、耳をとぎすます。まだ足音のようなものは聞こえない。男は追ってきていないのだろうか。


「私達、追いつめられたんじゃない?」


「大丈夫です」


太田おおたくん、何でそんなに冷静なの。相手は魔法を使うのよ? 言ってみれば、私達は火炎放射器を持った異常者に追いかけ回されてるの」


 現実の呼び名を口にするほど、コートニーは取り乱している。非常時に不謹慎ふきんしんだけど、感情的な彼女を見るのは新鮮だった。


「魔法は怖くありません。いざとなれば、〈悪戯〉トリックスターで魔法を打ち消せますから」


「……じゃあ、何でそれをやってくれなかったの?」


 コートニーがキョトンとした顔で言った。もっともな意見だ。だけど、それにはちゃんと理由がある。


「手の内を見せたくなかったのと、距離を取って魔法に頼ってもらったほうが、こっちとしては好都合なんです。〈悪戯〉トリックスターは周囲十メートル以内のあらゆる物に適用されますので、相手の魔法を打ち消せば、自分も魔法が使えなくなります。接近戦では役立ちませんから、あくまで奥の手です」


 重力無効化という最終手段があるものの、腕力わんりょくにまかせた取っ組み合いだけは、何としてもさけたい。


「そっか……」


「いざとなったら使います。ですから、僕のそばを離れないでください」


 コートニーを安心させようと、彼女の手にかぶせるように手を当てた。


「わかった」


 彼女は軽く指先をからませながら答えた。信頼してくれたのか、その瞳に落ち着きが戻った。


     ◇


「これからどうするつもりなの?」


「ギリギリまで引きつけて、そこの窓から飛びおりましょう」


 たとえゾンビでも、二階から飛びおりるのはためらうはずだ。あとは屋敷内からの攻撃にさえ注意すれば、確実に相手から逃げきれる。


 今さら思いついたけど、広場まで空中飛行で逃げることもできたか。でも、誰かに目撃されると後々あとあと面倒なので、賢明な策とは言えないな。


 その時、階段をのぼる足音が聞こえてきた。カツ、カツと一歩一歩をじっくり味わうかのような足どりだ。思いのほか、慎重さを持ち合わせているようだ。


 いつでも飛びおりられるよう、窓の位置を再確認する。窓はあまり幅がなく、さっきのようなお姫様だっこでは足が引っかかりそうだ。


 飛びおりるだけなら、手をつなぐぐらいでかまわないか。そんな結論に行き着いた時、ふと暖炉だんろが目に入った。


「暖炉から屋根にのぼれるかもしれません」


 二階から飛びおりるよりも、相手の裏をかけると考えた。コートニーの賛同さんどうが得られ、さっそく暖炉の中へもぐり込む。


 暖炉の入口は広かったものの、その先の煙突は二人で立っているのが精いっぱいの広さ。また、息をするのをためらわれるほど煤けていた。


 息がかかりそうなほど相手の顔が間近に来てしまった。おたがいに顔をそらすも、密着みっちゃくする体が興奮をあおり立て、気が気じゃない。ある意味、天国のようで地獄だった。


「しっかりつかまっててください」


 煙突の先を見上げながら告げると、コートニーの両手が僕の肩にかかった。


 もっととんでもない体勢になった。まさに、正面から抱き合うかたちとなり、顔がほてってきて彼女の顔が見れない。


 自分から言い出しておいてなんだけど、これが目的だったと思われてないか心配になった。かといって、スペース的に体の向きは変えられないし、かえって、あらぬ誤解を生みそうだ。


 男がいつやって来るとも知れないし、興奮している場合ではない。さっさと、ここから脱出しよう。


「行きます」


 重力から解放されたのを確認後、合図を送ってから、腕の力でゆっくりと煙突をはい上がった。


 何事もなく、屋根の上にたどり着いた。僕らは煙突に背中をあずけて、服にびっしりとついたすすやホコリを手ではらった。


「あのゾンビ、何で私達をつけねらうのかしら?」


「ゾンビ化すると、理性を失って本能のおもむくままに行動するそうです」


「殺人衝動があるってこと?」


「おなかが減ってるんじゃないですか?」


 言ったそばから、自分の言葉に疑いを持った。あれだけの知能と身体能力があれば、食料を得る手段はいくらでもあるはずだ。危険をおかしてまで人間をおそう必要性が感じられない。


「ここをのぼったのか」


 ふいに男の声が煙突内に反響はんきょうした。うかつだった。暖炉の床面ゆかめんには灰がたまった状態だったので、そこに入った形跡が残っていたのだろう。


「……声がしなかった?」


 コートニーが声をふるわせる。あの男だと決めてかかったけど、ゾンビが言葉を発するのはおかしいか。


「ダメだ、片腕ではのぼれないか」


 息をこらして耳をすますと、今度はため息まじりの声が聞こえた。ソっと煙突内をのぞき込むと、やっぱりあの男だ。こちらを見上げていた男と、運悪く目が合った。


 猛烈もうれつな炎が煙突から柱のようにふき出した。紙一重かみひとえで顔を引っ込められたけど、何という凶暴きょうぼうさだ。心臓が止まるかと思った。


「大丈夫?」


 僕の顔にケガがないか、コートニーが心配そうに確認する。痛みは全く感じていない。髪の毛ぐらいなら燃えたかもしれないけど。


「大丈夫です。でも、屋根の上にいるのがバレました」


 今すぐここから下りるべきか。けれど、下から魔法で攻撃を受ける危険はあるものの、それ自体は打ち消せるから、安全地帯と言えないだろうか。


「ねえ、普通に言葉を発してなかった?」


「はい……。そうですよね、どう考えてもおかしいですよね」


「理性を失ってないってこと?」


 本当に男はゾンビなのか。釈然しゃくぜんとしない思いが、再び頭にうず巻いた。言葉も話すし魔法も使う。それが貴族きぞくがたゾンビの特性という可能性は否めないけど……。

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