転覆の日

トランスポーター(前)

     ◆


 トランスポーターが〈転覆の国〉の地をふんだのは、この日が初めてだった。


 前言ぜんげん撤回てっかいするかたちで、ローメーカーの『盟約めいやく』に加わったのは三年前。その日から、いつでもここへ来ることはできたが、あえてしなかった。


 悔しかった――それもある。それだけ『盟約』への参加は不本意ふほんいだった。人の手をかいしていたとはいえ、あの日まで、この国は自分だけがアクセスできる特別な場所だった。


 ひとりめにしていた場所が、手のひらからこぼれ落ちた瞬間、急激に輝きが色あせたように感じた。


 彼が〈侵入者〉をこの国へ送り始めたのは十数年も昔のことだ。〈侵入者〉から報告を受けるたび、様々な想像をふくらませた。


 いつしか、胸の中におけるこの国の姿は、理想郷りそうきょうと化していた。その幻想を壊されたくなかったという側面そくめんもあった。


 また、この国へ行くだけならともかく、〈外の世界〉へ戻るには、約束の期日きじつまでリンクを保持ほじしてもらうか、別の誰かに迎えに来てもらう必要がある。


 『盟約』を結んでいる仲間といえど、自身の命運めいうんを赤の他人にあずける行為は気が進まなかった。実際、彼は仲間たちに気を許していない。


(向こうとあまり変わらないな)


 彼にはエドワードという名前もあったが、その名で呼ぶのは『最初の五人』であるローメーカーとエクスチェンジャーの二人のみ。その二人も、公的な場では彼をトランスポーターと呼ぶ。


 年齢はウォルターとほぼ変わらない。軽く目にかかった髪に、伏し目がちな表情。彼の性格は、良く言えば神秘的しんぴてきでクールだが、悪く言えば無愛想ぶあいそう気難きむずかしい。


 口下手くちべたではないが、口数くちかずは少ない。孤独を愛していて、人見知りでもある。人と話す時はいつも距離をとって、軽く背を向けるクセがあった。


 この性格が原因で、ローメーカーとは昔から折り合いが悪かった。


     ◆


 ローメーカーの性格を一言で言い表すならば命知らず。かつて反乱軍のリーダーとして、ドワーフ族と共に人狼じんろう族に対して立ち向かった。その時、二人の間にこんなことがあった。


「敵の本拠ほんきょに奇襲をかけるから、そのまっただ中に〈転送〉トランスポートで送りだしてくれないか? 帰りは自分でどうにかする」


「友としての忠告だ。死に急ぐような、無謀むぼうな作戦には協力できない。もし君が命を落とせば、僕の寝覚めも悪くなるからね」


「お前の気持ちはわかった。ただ、もうドワーフたちと約束したんだ。〈転送〉トランスポートがなくとも、俺はそこへ行くつもりだ。だから、お前が責任を感じる必要はない」


「手を貸してもいい。ただ、その場合、ここでお別れだ。君に協力するのはこれが最後になるけど、それでもかまわないか?」


「……ああ。残念だけど仕方がない。それでも俺はやりげなければならないんだ」


 幸いにも、ローメーカーの奇襲作戦は成功に終わった。人狼族による独裁どくさい的な体制は崩壊し、人間とドワーフ族中心の新国家樹立じゅりつにつながった。


(彼と一緒にいると早死はやじにするな)


 そう思ったトランスポーターは、ローメーカーとたもとを分かち、〈転覆の国〉へ〈侵入者〉を送り続ける活動を一人で始めることになる。


 エクスチェンジャー――〈交換〉エクスチェンジの能力を持つ彼女が仲を取り持ったこともあり、定期的ていきてきに顔を合わせていたが、元々なれ合うのが嫌いだったため、別行動を続けた。


    ◆


「どうだ、トランスポーター。この国の印象は?」


 かたわらのインビジブル――辺境伯マーグレイヴが声をかけた。


「普通かな。そっちは? この国に帰ってきたのは久々ひさびさなんじゃないか?」


「この国の景色けしきはもう見飽みあきたよ」


 彼らがいるのは〈樹海〉にほど近い山中さんちゅう。そばにはもう一人の男がいる。黒いローブで全身をおおったネクロだ。


 眼下に整然せいぜんとならぶゴーレムを、トランスポーターは見渡した。地面にうずくまるように座ったまま、それはピクリとも動かない。草むらの上にいなければ、岩石と見まちがえただろう。


(これが噂のゴーレムか。こんな岩のかたまりにしか見えない化物ばけものと、共同戦線をはることになるなんて)


 トランスポーターは顔をしかめて、内心ないしんでため息をついた。


「こいつらは僕たちを襲ったりしないのか?」


「現状、その心配はございませんが、戦闘が始まってからはお約束できません。他の人間とお二方ふたかたを見分けるすべはございませんから。それは私も同様ですよ」


「活動できる時間に限界があるそうだな」


「はい。ジッとしていれば別ですが、我々がエサを与えなければ、三、四日で活動を停止します。どうも、この国は『転覆てんぷく巫女みこ』の力がおよんでいるようで、それが行えるのは、この近辺きんぺんのみなのです」


「そんなに短いのか」


「なので、ここからレイヴンズヒルまで丸二日は見込まないといけませんから、到着の当日、遅くとも翌日までに決着をつけていただかなければなりません」


 生物でないゴーレムには〈転送〉トランスポートが通じない。そのため、レイヴンズヒルへは徒歩で向かわせる必要があった。


 そっぽを向いたトランスポーターは、あきれながら鼻で笑った。そこまで活動時間の短いものが、作戦の中核ちゅうかくをになうことが信じられなかった。


「気が早いですが、作戦と役割分担について再確認させてください」


「俺がジェネラルとやって、『根源の指輪ルーツ』を手に入れる」


「その間、僕はトリックスターの相手をしよう」


 辺境伯とは対照的たいしょうてきに、トランスポーターは冷ややかに言った。


「わかりました。我々はお二方のご武運ぶうんを祈りながら、他の有象うぞう無象むぞうを相手にいたしましょう」

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