クレアの夢(後)

     ◇


 ここで二枚舌にまいじたを使えば、かえって事態が悪化しかねない。とはいえ、どこまで話すかの線引せんびきがむずかしい。嘘にならない範囲で、最小限の内容にとどめよう。


「自分には周囲の重力をあやつれる力があるんだ。屋敷を飛び越えられたのはそれのおかげ。正確に言えば、その能力と風の魔法を併用へいようしたんだ」


「……重力って?」


 クレアが眉をひそめる。まだ重力という概念がいねんが知られていないのか。


「地面に引き寄せられる力のこと。その力を弱めると、体が羽根はねのように軽くなって、完全になくせば、ちゅうにうくことだってできる」


「ふーん。そうすれば、風の魔法で空を飛べるってことね」


 納得してくれたけど、これで追及が終わるとは思えない。


「その能力を隠していたのはどうして?」


学長がくちょうに口止めされたんだ。そういった能力があると〈侵入者〉だと疑われるからって。だから、このことは誰にも言わないでほしいんだ」


 クレアが顔をしかめて、うなるような声を上げた。どうやら、違う何か――〈侵入者〉であることを期待していたようだ。


「わからない」


 クレアが駄々だだをこねるように口をキュッと結んだ。


「そんなスゴい力を持っているのに、まわりに隠し続けるなんておかしい。私だったら、誰に何と言われようがみんなにふれ回るわ。何か、やましいことがあるんじゃないの?」


「別にやましいことなんてないよ」


 真摯しんしなまなざしを向けても、逆ににらむような視線を返された。振り上げたコブシを下ろす気配はない。僕はさらなる譲歩じょうほをせまられた。


「だったら、こうしない。秘密にしてくれたら、〈外の世界〉へ行くためのことなら、何でも協力するよ」


 結局のところ、クレアの関心は〈外の世界〉へ向いている。自分自身も興味がないわけじゃないし、一石いっせき二鳥にちょうじゃないか。


「……何でも?」


 そう聞き返したクレアが、お菓子をもらった子供のように瞳を輝かせる。


「何でも」


 若干じゃっかん不安をおぼえながらも、彼女の言葉を復唱ふくしょうした。


「わかったわ。それで手を打ちましょう」


 クレアが思案しあんにくれながら、ふくみ笑いを見せた。


「ねえ、こんな言葉知ってる? あらゆる流れは大滝おおたきよりづる」


 大滝という言葉自体初めて耳にした。首を横にふると、クレアが北の方角を指さした。


「ここからだと見えないけど、向こうに見える大きな山の先、つまり、この国の果てにおっきな滝があるんだけど、水が断崖だんがい絶壁ぜっぺきのいたるところからきだして、本当に壮観そうかんなのよ。

 それは〈外の世界〉の地下水が流れ出ているってのが通説つうせつ。水が噴きだしてるのは、あの山の頂上ちょうじょうよりはるかに高い場所だから、近づくことはできないんだけど、大滝は〈外の世界〉と通じているって信じられているわ」


 元々〈転覆の国〉と〈外の世界〉は地続じつづきで、巫女みこの力で天地が逆転し、二つの国は完全に隔絶かくぜつされたと、パトリックから聞かされた。


 にわかに信じがたい話だけど、二つの国がさかさまの状態にあるなら、上空から地下水が流れ落ちてきても不思議ではない。


「大滝のそばにたどり着くには、いくつも山を越えないといけないから、簡単に立ち寄れないんだけどね、一度だけ行ったことがあるの。真下から見上げる大滝は、本当にスゴかったわ」


 クレアは昔をなつかしみながら、喜びと悲しみの入りまじった表情を見せる。


「あの頃は楽しかったな。辺境伯マーグレイヴがいて、リトルがいて、ヒューゴがいて、私がいて。嫌々いやいやだったけど、ネイサンもいたっけ。今となっては、みんな勝手気ままに自分の道を歩んでいるけど、あの時は、みんなで同じ空を見上げて、同じ夢を見ていた。結局、その夢はかなわなかったけどね」


 クレアは一人一人の名前をかみしめるように口にした。


 話は見えないけど、聞きおぼえのある名前がならんでいる。リトルとはパトリックのことだ。前にクレアはその名で呼んでいた。ヒューゴはパトリックと因縁いんねんのある、あのヒューゴだろうか。


 辺境伯マーグレイヴ――パトリックの親友であり、中央広場事件を起こした犯人の名だ。本来は辺境守備隊ボーダーガードちょうたる称号しょうごうだけど、長年務めた関係で彼の代名詞となり、事件後は空位くういのままだそうだ。


 以前、ヒューゴから『パトリックが彼を売りわたした』と聞いた。真相はヤブの中だけど、因縁の関係はこの頃にたんを発しているようだ。


 ネイサンという名も気になった。わが〈資料室〉のチーフの名だ。冒険的なことが最も似合わない人だから、別人だろうか。今の姿からは想像もつかない。


「夢って?」


「もちろん、〈外の世界〉へ行くことよ」


 クレアの思い出話は胸にせまるものがあった。巫女がこの国を『転覆てんぷく』させたのが事実なら、なぜそんなことをしたのだろう。きっと何か理由があったのだろうけど、息苦しさをおぼえている人達がいるのは確かだ。


「ねえ、空を飛べるんだったら、あの大滝も飛び越えられないかな?」


 えっ、そこまで飛んでいくつもりなの? あの山の頂上より高いぐらいなんだよね。


 まあ、できなくもなさそうだけど、たとえそこまで行けても、滝の流れをさかのぼるのは自殺行為ではないだろうか。


「くわしくはレイヴンズヒルに戻ってから、ゆっくりと話し合いましょ」


 クレアは鼻歌まじりに屋上を後にした。傷が浅くてすんだと前向きに考えよう。さて、パトリックにはどう報告しようか。

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