第223話 聖剣バクチクの噂

 1064年5月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


 気が重い。まるで心が重い鎖にとらわれているかのよう。


 火薬と大砲を開発するってアデライデお母様に約束しちゃったもんなぁ。


「はぁ」

 これが何度目のため息なのか、もうわからないや。


 いやいやだけど、頑張らなきゃね。そうしないと、また死人がでちゃいそうだもの。


 ということで、まずは火薬の開発にたずさわっていた教授に話を聞くことにする。


「バシリオスは怪我の回復が思わしくありません。誠に恐縮でありますが私、ヨハネスがジャン=ステラ様の質疑にお答えするということで、ご容赦いただきますよう、伏してお願い申し上げます」


 本来ならば科学者のヨハネス・イタルタス、そして錬金術師のバシリオス・ペトロスの両名から爆発事故の事情を聞きたいところである。しかし、爆発事故に巻き込まれて手足を骨折したバシリオスは、まだ動ける状態にない。


 骨折から1日で回復するわけもないから、報告者がヨハネス一人なのは仕方ないと諦めよう。


「ヨハネス、まずはどうやって火薬を開発していたか、その方法を教えてくれるかな」


「はい、ジャン=ステラ様。我々は実験小屋に木炭、硝石、硫黄を持ち込み、さまざまな割合での調合を試みておりました」


 調合した火薬候補は、割合ごとに陶器1杯分ずつ。全部で10種類ほど作成し、小屋にて保管していたとのことだった。


「その陶器の大きさってどのくらいなの?」

「人の頭くらいの大きさにございます」


 ヨハネスやバシリオスは、東ローマ帝国の秘密兵器である「ギリシアの火」の調合にも関わっていた。

 液体である「ギリシアの火」は、陶器一杯ずつ調合していたらしい。


「そこで、火薬候補も同じ分量ずつ調合した次第にございます」


 火薬って、数グラムあれば鉄砲の弾を打ち出せたはず。それが陶器一杯分って何キロあったんだろうか。


「その陶器はどこに保管しておいたの?」

「すべて小屋にて保管しておりました」

「え、10個の陶器を全部、同じ小屋に置いていたの?」

「我々が使える場所は、実験小屋一つだけでしたので、全て小屋に置かざるをえなかったのです」


 うげげっ。火薬を大量に調合し、それを同じ場所に置いておく。ガクブル事案でしょ、これって。


 ヨハネスとバシリオスは、それぞれ科学者と錬金術師だというのに、その危険性をどうしてわかっていないのさ? 


 思わずヨハネスに詰問しちゃった。


「爆発とはこれほど凄まじいということを、我々は知りませんでした。自身の暗愚あんぐはじいるばかりでございます」


「あ!」


 火薬を知らない人に火薬を作らせていたんだった。たとえ彼らが科学者と錬金術師であっても、火薬の爆発が危険だと彼らが知っているわけない。


 きちんと説明していなかった僕のせいだ……。


「ごめんなさい、僕の説明不足でした」

 その言葉が口元まで出てきたけれど、飲み込んだ。


 だって、お母様から貴族が簡単に謝ってはだめ、って言われているから。


 謝罪を禁じられた僕ができることといえば、これ以上死者がでないように、僕が開発の指揮をることだろう。

 ふんむっと気合を入れなおしたのに、そのタイミングで横やりが入ってしまった。


「ジャン=ステラ、火薬は危ないのです。指揮をとるのは構いませんが、開発現場への立ち入りは禁止しますからね」


 アデライデお母様が、現場に立ってはだめだと僕に強くくぎをさしてくる。


 爆発事故を見てしまったお母様にしてみれば、そんな危険な場所に僕が出入りする事は言語道断なのだろう。


 とはいえ現場に居たところで、前世で火薬を扱った事のない僕にできる事は、ほとんど何もないんだけどね。


 それでも、安全第一に開発を進めよう。


 まずは、一度に調合する火薬量の制限と、火薬を溜め込まないことから始めようと思う。火薬の危険性を知ったヨハネス達は、僕よりも上手に火薬の爆発を制御できると信じたい。


「ヨハネス、一回に作る火薬の量は、スプーン一杯分だけです。そして作った火薬は、安全な扱い方がわかるまで小屋に溜め込まないこと」


「ジャン=ステラ様の仰せのままに。しかしながら、実験小屋が爆散した現在、我々には実験する場所がありません。どこかに新たな実験小屋をいただけませんでしょうか」


「もちろん、その点についても理解しているよ。離宮内で再び爆発事故を起こすわけにもいかないよね。だから、人の住んでいない離宮裏手に新たな実験区画をお母様に作ってもらうね」


「実験小屋ではなく、区画ですか?」


「周りに人がいない方が、万が一の際の被害も少ないでしょ。それに、実験区間を隔離して秘密保持も万全にしたいんだよ」


 今までははずれとはいえ離宮内にあったから、機密保持は万全だった。


 これからは実験の場が離宮外になるから、火薬の秘密が漏れないようにしないとね。


「ジャン=ステラ様、スプーン一杯分の火薬で、どのように爆発実験を遂行すいこうすればよろしいのでしょうか」


 お皿の上にスプーン一杯の火薬を乗せ、火をつけるというのもありだろう。その場合、一番激しく爆発する調合を見つけ出せばいい。


 けれども、それでいいのかな? 激しく爆発するって、スプーン一杯分でわかるものだろうか。


 どうせなら、爆竹にして音の大きさを競った方がいい気がする。その方が分かりやすいよね。


「スプーン一杯分の火薬を紙に包んでね。それに火をつけたら、大きな音がするはず。一番大きな音がする調合をまずは見つける所から始めよう」


 爆竹と大砲とでは、火薬の調合は全く違うかもしれない。それでも、まずは安全なところから一歩ずつ進んでいこう。


 ーー そして、1ヶ月後 ーー


 1064年6月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


 あーあ、実験小屋の場所をもっと執務室から遠い場所にすればよかったなぁ。

 あまり遠くにすると警備と情報漏洩の問題があるから、仕方なかったんだけどさ。


「パンパンパン」

「ヒヒーン」「イヒーン」「ブフゥー」


 爆竹が連続して爆発する音が、アデライデお母様と僕の執務室まで今日も元気に響いてくる。

 そして、爆発音の後に馬が暴れる叫び声も同時に聞こえてきて、とってもうるさい。


 馬は大きな音に敏感なのだ。近くで爆竹が鳴ったら、そりゃ、大声を出して暴れるのも仕方ない。


 そして、執務室で聞こえる音はもう一つある。それがお母様の笑い声。


「うふふっ、ふふっ」


 込み上げる嬉しさが抑えられないほど上機嫌なんだよね。


「お母様、どうしてそんなにご機嫌なのですか?」


 爆竹音と馬のいななきは、結構うるさい。集中が途切れちゃうから、僕にとっては執務や勉強の邪魔でしかないのだ。


「ジャン=ステラは、どうして喜ばずにいられるのですか? あれは勝利を約束してくれる音なのですよ。あふふっ」


 お母様にとっては「約束された勝利の音エクスカリバー」という事らしい。


 たしかに、火薬と爆竹の開発が順調に進んでいる証左の音ではある。


 しかしそれだけではない。アデライデお母様は、爆竹の音に兵器としての意味を見出したのだ。


 事の発端は、お母様の護衛隊長からの苦情だった。


「アデライデ様、ジャン=ステラ様、大きな音を鳴らす実験をおやめ頂けませんか。軍用馬に看過かんかできない事態が生じております」


 二週間ほど前、ヨハネスたちは爆竹として使える火薬の調合に成功した。

 そして一週間前には「ぱんぱんぱんっ」と連続して音をならす爆竹の開発を成し遂げたのだ。


 爆竹ができたとはいえ、その音はまだまだ小さく可愛いらしいもので、その音量は執務室にいてもあまり気にならない程度だった。


 そのためか、アルベンガ離宮の人間はすぐさま音に慣れた。


「あぁ、ジャン=ステラ様が開発されたバクチクがまた聞こえてきたぞ」

 といった程度で、もう驚く人はだれもいない。


 しかし、慣れなかったものもいる。それが馬たちだった。


 離宮には多くの軍用馬が飼育されている。爆竹の音がなるたびに、その馬が「ひひひーん」「ぶひーん」といななき、厩舎で暴れるのだ。


 タイミング悪く馬に乗っていた騎士たちは、次々と竿立ちになった馬から振り落とされたらしい。


 その報告を聞いたお母様は、「まぁ、軟弱な事。それで私の護衛が務まるのかしら」と嘆いていた。


 お母様、その言い分は、さすがに無茶じゃないでしょうか。


「馬が急に後ろ足で立ち上がったら、落馬するのは仕方ありませんよ、お母様」


 前世のアメリカでは、暴れ馬から振り落とされないよう乗り続けるロデオという競技があった。この競技の目標は数秒間だけ乗り続けることであり、大半はすぐに振り落とされてしまう。


 馬が暴れることがわかっていて、準備していても数秒間しか乗っていられないのだ。いかに鍛えられたお母様の護衛騎士とはいえ、突然暴れられては落馬するのは当然のこと。


 暴れ馬の危険性を知っている護衛隊長も、僕と同じ意見である。


「はい、その通りですジャン=ステラ様。いくら技量があろうとも、落馬は免れません。これ以上の負傷者を出さないためにも、爆発実験はおやめいただけませんでしょうか」


「負傷者がでるようなら、仕方ないよね。せめて、馬に爆発音が聞こえない場所に実験場を移せばいいんじゃないかな?」


 爆竹の音が原因でけが人が出るのを避けたいから、僕は実験の中止に同意した。爆竹用の火薬開発には成功したのだから、これからは馬がいない場所で実験すればいい。


 僕はそう思ったんだけど、アデライデお母様は納得していない。


「うーん、そうねぇ……」

 と、何やら思案している。


「ねえ、ジャン=ステラ。人間は爆竹の音にすぐ慣れたわよね」

「ええ、人間の順応力って高いですよね」


 初めて爆竹の音が鳴り響いた時には驚いたものだけど、みんな、すぐに慣れてしまった。


「では、ひとと同じように、馬も音に慣れないかしら?」


「うーん、どうでしょう」


 前世の記憶では、「馬の近くで大きな音をだしてはだめ」と教わってきた。


 そのため、あえてわざと大きな音を出し続けたら馬はどうなるか、なんて試さなかった。


 もし試したら「馬の虐待に反対!」とか、過激な動物愛護団体の抗議でも押し寄せてしまうのかもしれない。


 しかし、ここは中世だもの。動物どころか人間を酷く扱ったとしても、貴族に逆らうものはいない。


「なら、試してみましょう。ジャン=ステラもいいわね」

 そんなお母様の提案に、僕も逆らうことはできなかった。


 それから一週間の間、馬の近くでパンパン、パンパンと爆竹を鳴らし続けてみた。


 その結果、馬も音に慣れてくるということがわかったのだ。


 お母様の先見の明、おそるべし。


 トリノ辺境伯家は爆竹という、敵だけを落馬させる音響兵器を手に入れたのであった。


 ■■■ 嫁盗り期限まであと1年2か月 ■■■


 ーーーーーーーーー

 お母様の暗躍

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 アルベンガ一帯に正体不明の爆音が鳴り響くとの噂が急速に広がりました。


 雲一つない青空に鳴り響く爆音は、いつしか、預言者ジャン=ステラが召喚した雷との噂となり、やがてアルプスを超えてドイツへと到達したのです。


 その噂を耳にした神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世は激怒するのでありました。


ハ:神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世

ア:摂政アンノ2世


ハ:ジャン=ステラから雷を呼ぶ剣を取り上げたのではなかったのか(怒)

ア:聖剣セイデンキは、ハンガリー王家に譲り渡されています

ハ:ならば、なぜアルベンガで毎日、雷鳴が響き続けているのだ!

ア:それは、ただいま調査中です(汗)

ハ:聖剣セイデンキ2号ができたとでもいうのか、アンノよ。

ア:バクチクという名の聖剣を賜ったという噂もありますが、定かではありません

ハ:それではトリノ家から聖剣を取り上げた意味がないではないか!

ア:そうは申されても……

ハ:元はと言えば、お前がジャン=ステラを偽預言者だと主張したからだぞ

ア:……

ハ:本物の預言者だったらどうするつもりだ! 身の破滅じゃないか!

ア:さらに元を辿れば、ユーグ・ド・クリュニー様の進言でありまして……

ハ:言い訳は許さ~ん、おまえなんて左遷だ!


 ※史実でもアンノ2世は、この時期に権力の座から失脚しています。ただし一年程度で再び権力の座に返り咲きました。


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 髭公ゴットフリート3世

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 聖剣バクチクだと?

 それがどうしたというのだ。下手な噂を流しおってからに。


 トスカーナの諜報員は優秀なのだ。

 聖剣バクチクのせいで軍用馬の負傷・死傷が相次いでいる事はお見通しなのだぞ。


 このままでは、トリノは軍用馬を失って自滅するだろう。馬鹿な奴らだ。


 あるいは、聖剣ではなく、悪魔の剣でも手に入れたのかもしれぬ。


 いずれにせよ哀れなことよ。

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