第101話 意図せぬ経済戦争(5)サボナ商人前編:(日本は首狩り族だった)

 1062年12月上旬 イタリア北部 アルベンガ離宮 ジャン=ステラ(8才)


 イルデブラントとの会合の2日後、サボナの商人たちがお母様と僕たちに面会を申し出てきた。


「お母様、ようやくサボナの商人達がきましたね」

「私が呼び出しているのですから、なにを差し置いても来るべきでしょう。それなのに1か月近くもの間、一体何をしていたのかしら」


 アデライデお母様はだいぶんご立腹のもよう。商人を呼び出した理由は、1月中旬に開催する大宴会に必要な物資を調達するため。イルデブラントと話し合った結果、クリュニー会の修道士達と手形を発行した商人達も大宴会へと招待することになったというのに、開催日まであと1か月と少ししかないのだ。招待状を発行し、届けるとしたら既に時間的猶予はほとんど残されていない。


 そして、サボナの商人を呼び出してからもう1ヶ月近く経つ。ここアルベンガ離宮からサボナまで船で1日しかかからないのだ。1ヶ月は長すぎだろう。お母様がいら立つのも分からなくはない。


 だから僕が今、商人達に願うことはただ一つ。


「お願いだから、お母様が納得できるような言い訳を準備しておいてね」


 つまり、だ。お母様が「舐められたからサボナを攻め滅ぼす」を実践しませんように。


 取り継ぎの侍女に伴われて執務室へと入ってきた商人は2人。一人は頭を剃った背の高い男で、もう一人は頭がだいぶん寂しい小男。


 背が高くて、真面目な表情をした方が代表して僕たちに挨拶の言葉を述べる。


「アデライデ様、ジャン=ステラ様。ご機嫌麗しゅうございます。クムクアト商会のカポルーツェにございます。そして私の横におりますのが、クリストファー商会トポカルボです。お召しいただいたにもかかわらず、参上が遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます」


 背の高い禿頭がカポ光るルーチェ。名は体を表すというか、それとも名を表すために意図して頭を剃っているのだろうか。商人にとって名前を覚えてもらうことはとても大切な事なので、あだ名をそのまま商売名として使っているのかもしれない。


 一方、髪の毛が疎林そりんになっている小男ははげカルボネズミトポ。こちらもニックネームをそのまま商売上の名前にしたのだろう。トポカルボの顔をジーと見ていたら目が合った。僕がにこっと笑いかけたら、愛嬌のある笑顔が返ってきたよ。なんだか憎めない感じがして、ちょっと心がほっこりした。


 しかし、お母様は「そんな笑顔に騙されませんよ」とばかりに険しい顔つきのまま。2人に冷たく言い放つ。


「なぜ2人だけなのです。プリアマール商会はどうなっているのですか」


 お母様が呼び出していた商会は全部で3つ。のっぽハゲのカポルーツェ商会、はげネズミのクリストファー商会、そして今日ここに来ていないプリアマール商会である。どうしてプリアマール商会が来ていないのかは僕も気になる。


 商会の2人もこの質問が来ることは予想していたのだろう。互いに目配せをした後に背の高い方、カポルーチェのっぽが応答した。


「簡単に申し上げますと、プリアマール商会のカステッロはサボナから逃亡いたしました」

「逃亡したのですか?」


 逃亡という言葉に虚を突かれたらしく、お母様は同じ言葉で質問を返した。その結果すこし緩んだ空気感を狙いすましたのか、カポルーチェのっぽが逃亡理由を一気に説明した。


「手形分の小麦を準備できなかったため、ジェノバへと逃亡いたしました」


 プリアマール商会は当初、小麦を集めようと躍起になっていた。しかし思った分量の小麦が手に入る前に高騰した小麦価格に心が折れてしまったらしい。その結果、プリアマール商会のカステッロは親族を頼ってジェノバへと逃亡したのだ。


「商人なのにそんな簡単に心が折れるものなの?」

 商人ってもうすこしがめつく足掻く生き物じゃないの?こんな簡単に逃亡するなんておかしくないのかな。僕がつい口に出してしまった疑問にもカポルーチェのっぽが即答してくれた。


「プリアマール商会はサボナで一番大きい商会であり、旗振り役でもありました。しかし、羽振りが良かったのは2年前までだったのです」


 2年前である1060年、イタリア半島の西側に浮かぶ2つの島、サルディーニャ島とコルシカ島の支配権を巡ってジェノバとピサは戦った。サボナの商人達はジェノバのがわに立って戦ったが、奮戦及ばずピサに惨敗を喫している。結果、多数の船を沈められたり、ピサに奪われる事になった。


 特に悲惨だったのが今回逃亡したプリアマール商会で、6そうあった船のうち、戦後手元に残った船はたった1そうにまで減っていたのだとか。


「1艘の船で再出発したプリアマール商会だったのですが、船を新造するなど積極的に商いを広げておりました。しかし、そのせいで手元資金が不如意だったのでしょう。小麦の購入を途中で諦め、ジェノバへと向かったのです」


 カポルーチェのっぽは、せめて小麦価格の高騰が無かったらプリアマール商会のカステッロも逃亡する事はなかったかもしれません、と残念そうに首を横に振りつつ話を終えた。


 あーあ、ここにも小麦高騰の犠牲者が出てしまったのね。小麦を買い占めた商人達って本当に罪深いよねぇ。可哀想に。


「それは残念だったね。ほんと、小麦を買い占めて価格高騰を招いた商人たちって酷いことをするなぁ」

「お金儲けを最優先にしているから、今回のような不幸な事が起きたのよ。やはりキリストの教えは正しかったわ」


 僕とお母様はそれぞれの主張を口にし、お互いにうんうんと頷きあった。共通するのは「商人が悪い」ということ。


「お金儲けは悪徳である」というキリストの教えを守らないから悪いというお母様。一方の僕は、お金儲けはともかく買い占めがダメだと思っている。商人が米を買占めたから江戸時代に大塩平八郎の乱が起こったんだよ。それと同じ。何事もやりすぎちゃだめなんだって。


「過ぎたるはなおおよばざるが如し」 


 この言葉を商人たちに贈ってあげよう。



 そんな僕たちを商人2人組は驚きの表情で見つめていた。 えっと、トポカルボちびさん、口が半開きになってるよ。それにしてもなぜそんなに驚くの? 僕の解釈って何か間違っていたのかな。


カポルーチェのっぽのお話って、買占めによって価格を釣りあげた悪い商人がいるという話じゃなかったの?」

「いえ……」

 僕が聞くと、カポルーチェのっぽは困ったように口ごもってしまった。代わりにトポカルボちびが口を開いた。

「恐れ入ります、ジャン=ステラ様。我々も商人なので、返答に困っておるのです。同業者の悪口を言うのははばかられるわけでして……」


 凄く緊張しているのか、トポカルボちびの額に汗が浮かんでいるのが見えた。


 なんだか歯切れの悪い答えだよね。ちょっと意地悪を言いたくなっちゃった。


「そうだったの?もしかして君たちも小麦を買占めていたのかなって思っちゃったよ」

「めめめ、滅相もありません!」

 トポカルボちびはすかさず否定した。


 一方のカポルーチェのっぽはちょっとむっとしたみたい。顔から一瞬笑みが消えるのを僕は見てしまった。


 カポルーチェのっぽは何か覚悟を決めたかのように背筋を伸ばし、僕たちの方を正視しながら落ち着いた声を発した。


「我らも小麦を買っておりました。しかし買占めのためではございません。アデライデ様からの手形の引き換えに応じるために行っていたに過ぎません」


 そっか、手形と引き換える小麦を準備していただけなのかぁ。そういえば手形のせいで小麦価格が高騰したってイルデブラント助祭枢機卿が言っていたっけ。しかし、小麦と引き換えてほしいと要求する前に先走ってしまう商人がやっぱり悪いんじゃないのかなぁ。


 僕と同じ事を思ったのか、お母様がニコニコ笑顔で商人達に声をかけた。


「あら、それでは手形を持っている私たちが悪いという事なのかしら」

「小麦を買い占めたくて買っていたわけではないとお分かりいただけましたら幸いです」


 手形を持っている僕たちを非難するのかと、お母様が直球を投じる。


 それに対してカポルーチェのっぽは怯むことなく、爽やかな笑顔で自分の立場を主張した。小麦の買い占めは誰のせいだと思ってるのか。手形が無ければ買い占めは発生しなかったと、そう言いたいのだろう。権力者を前にして凄い胆力だと思う。カポルーチェのっぽの命はお母様の一存でどうとでもなるのだ。それなのに直言するだなんて。命知らずにも程があるよ。


 笑顔でにらみあうお母様とカポルーチェのっぽ。それをハラハラとしながら見守る僕。ふとトポカルボちびの方を見ると、今にも泣きそうな表情だった。目が合った。その目が何とかしてくれと僕に訴えている。


 ごめん、僕にもどうすればいいのか分からない。僕が小さく首を横に振ったら、トポカルボちびは目を伏せてしまった。


 どのようにこの事態を収拾すればよいんだろうと気を揉んでいたところ、二人は急に笑い始めた。


「おほほ」 「ふふふ」


 2人の笑い声が執務室を支配する。


 作り笑いのような乾いた「おほほ」「ふふふ」がだんだんと、楽しそうな普通の笑いに変わり、それにつれて2人の表情が柔らかいものに変わっていった。


「いいわ、直言に免じてあなた方の遅参は許してあげます」

「アデライデ様の寛大な措置に感謝申し上げます」


 カポルーチェのっぽが深々と頭を下げた。事態の急変に頭がついていかなかったのか、トポカルボちび

 はすこし遅れて頭を下げた。


 トポカルボちびの行動が遅れてしまったのはよくわかる。僕も未だに何がおこったのか分からないでいる。


「あの、お母様?」

「なあに、ジャン=ステラ」


 お母様はいつもの声色に戻っている。不機嫌さは残っておらず、むしろ上機嫌な時のお母様がそこにいる。


「どうして、お母様はカポルーチェのっぽをお許しになったのですか? 打ち首になるのではないかと、ハラハラしていたんですよ、僕」

「打ち首?」


 お母様がすっごく不思議そうな顔になり、僕の顔を覗き込んでくる。


 おおおぅ? 僕、なにか変なことをいった?


「ええ、打ち首。頭と胴を首ちょんぱ」

 意味が伝わらなかったのかな。そう思った僕は右手で手刀を作り、首を切り落とす動作を見せた。


「相手が平民だったとしても、そんな野蛮なことを私がするわけないでしょう!」


 お母様がすごい早口で捲し立てつつ、僕に怒ってくる。打ち首というのは、商人たちがいる前だという事も忘れる位のキーワードだったらしい。


「え? 野蛮?」

 一方の僕は何が野蛮なのかわからない。死刑執行って武士なら切腹で、町民なら打ち首じゃないの?ヨーロッパでもフランス革命の時に、国王と王妃がギロチンで打ち首になってるよね。


 戸惑っている僕に対して、お母様が続ける。


「ええ、首と胴を切り離すだなんて、最後の審判の時にどうするつもりなのです! 首と胴が別々では神もお困りになるでしょう! 地下牢に繋ぐだけですよ、まったくこの子は何を言い出すのやら」

 と、ぷりぷりおかんむりなお母様。


 天使が吹くラッパを合図に始まる最後の審判において、それまでに亡くなった人も含めて全人類が神のもとに集められる。そして、天国行きか地獄行きかを審判されるのだ。その時に体の一部が欠けていたりすると、神が困ってしまうという事らしい。


 思い返すとオッドーネお父様が亡くなったとき、教会地下に安置しただけで火葬しなかった。これも遺体を傷つけない事に繋がるのかな? じゃあ、ギロチンってキリスト教徒にとって打ち首以上の酷い仕打ちなのかもしれないんだね、などと前世で習った世界史の知識と照らし合わせていたら、お母様が恐る恐る話しかけてきた。その声も、ネコナデ声といってもいいくらい優しい声。


「ねえ、ジャン=ステラ。もしかして神の国では、打ち首という刑罰があるのかしら。


 そうよね、最後の審判を待つまでもなく地獄行きを神が決めてしまう、というなら打ち首もありなのかもしれません。しかし、それは神の行いを代行することに繋がる不敬行為ですよね。


 でも預言者であるジャン=ステラが行うと言うのなら、それは正しい行いなのかしら……」


 最後の方、お母様は小声になっていた。顔面も蒼白となっている。信仰心の篤いお母様にとって神という言葉はとても重いものらしい。


 小声を拾って聞いていると、お母様の思考があらぬ方向に向かっていくのがわかる。まずい。止めないとまずいよね。


「いえいえいえ、お母様、ちょっとまってください。まずは僕の話を聞いて! 僕が神から預かった知識に、打ち首という刑罰が神の国にあるという知識はありません。だから安心して!僕も二度と打ち首だなんて言わないから!」


「そ、そうよね。打ち首はさすがに酷いわよね。地下牢で飢え死させるぐらいに止めておくことにしますわ」

 お母様は震える声で言う。打ち首よりは飢え死させる方が優しいのだと。


 うーん。僕なら飢えてじわじわ死ぬよりは、一思いに殺してほしい気がする。しかしまぁ、今は横に置いておこう。


「そうですよね、お母様、あはは。この話は実際に死刑犯が出たときまで置いておきましょう」


 あー疲れた。お母様の暴走に付き合うのも疲れるなぁ。そう思った時、思考から忘れ去られていたデコボコ商人2人組が目に入った。


 2人は両ひざを床に着け、教会のキリスト像を拝むかのように両手を合わせ、僕を拝んでいる。


「ああ、ジャン=ステラ様は噂通り、預言者、神の代弁者だったのですね」

「修道院においてセイデンキの偉業を見た身として信じていなかったわけではありません。しかし、改めて知識の一端を披露いただき、そして神の代行をお認めいただいている事を我らの前で御披露いただけるとは。我ら感無量でございます!」


 あ?え、う、うん。

 最近は拝まれてしまっても、あーあ、またかぁ、としか思えなくなってきた。慣れって恐ろしいよね。


 今後、人の前でお母様との不用意な会話は慎まないとだめだと、僕は改めて心に刻んでおいた。

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