第102話 意図せぬ経済戦争(5)サボナ商人後編

 1062年12月上旬 イタリア北部 アルベンガ離宮 ジャン=ステラ(8才)


 呼びつけたサボナ商人と話をするつもりがなぜか、打ち首の話になり、さらに神の審判の話になってしまった場を収めるため、執事に飲み物を4人分準備してもらった。


 僕は白湯。お母様は温めた赤ワインのオレンジジュース割を選んだ。


「ジャン=ステラは今日も白湯なのね。たまにはワインを飲んだらいいのに」

 おいしいわよと、お母様はワインを勧めてくれる。しかし、お酒にあまりいい記憶がないのだ。


 大学の新入生歓迎会でやたらお酒を進めてくる先輩がいた。20歳未満にお酒を飲ませないよう指導していると入学式で説明されたけど、ふたを開けてみたらなんとやら。


「あかりちゃんは真面目だね。ただ真面目一辺倒なのもどうかと思うよ。ここは場の空気を読んで、一杯だけでもどう?」

「いいえ結構です」

「ちぇ、あかりちゃんはつれないなぁ」

(うっさいわ、下心見え見えなんだよ、このゴリラ!)


 同じ新入生が「では少しだけ」とアルコールを摂取していくなか、周りで素面なのは私一人。大声で話す先輩方に辟易し、1次会で早々に退散した。アルコールに対する第一印象が悪かったから、それ以降もお酒を飲みたいと思ったことはなかった。


 しかし、これってお酒が嫌いなんじゃなくて、お酒を使わないと話せない人やお酒に吞まれる人が嫌いだったのかもしれない。そういえば転生してからお酒に呑まれる人を見たことない、とふと思った。もう少し大きくなって成人したら飲んでみてもいいかもしれない。


 残る二人、クムクアト商会のカポルーチェのっぽとクリストファー商会のトポカルボちびの飲み物はなんと蒸留ワイン! それも水で割っていない。もちろん氷なんて贅沢なものはここにはない。執事が原液をコップに注ぎ、そのまま2人の前に置いた。


 お母様の意図としては、2人を酔わせて判断力を低下させ、交渉を有利に進めたいんだろう。お酒ってそういう使い方もできるのかと感心する一方で、なんだか釈然としないものを感じる。きっと、新入生歓迎会が悪かったんだろう。そういう事にしておこうと、僕は首を振って昔のいやな思い出を頭から掃きだした。


 コップを前に飲むことを逡巡する2人対して、お母様は容赦のない言葉をかける。


「折角アルコールを強くしたワインですから薄めてしまってはもったいないでしょう?さあさあ飲みなさい」

 そういってお母様が2人に早く飲むようせっついている。こう言われたら立場の低い商人たちは飲まざるを得ない。おまわりさーん、ここにアルハラしている人がいますー。


 すこし躊躇ためらった後、ええい、ままよとばかりに、2人はコップに口をつけることとなった。


「アデライデ様、素晴らしいワインですね。蒸留ワインのような高価で貴重なものを口にしたのは初めてです。なぁ、トポカルボちび

 ゆっくり舐めるように飲みながらカポルーチェのっぽがワインの感想を口にする。一方、くぴくぴっと飲んじゃったのがトポカルボちび


「その通りです。トスカーナのゴットフリート様でさえ入手が難しいと言われる蒸留ワインを飲む機会が訪れるとは! このトポカルボちび、夢でも見ているのでしょうか。この通り感激のあまり涙がこぼれてきましたぞ」


 トポカルボちびは顔をしわくちゃに歪め、泣きまねまでして感動を表してくれる。なんともまぁ、すごいゴマスリだこと。しかし、悪い気はしない。いまだ少し硬かった執務室を柔らかい雰囲気で包んでくれた。こういう人のことを太鼓たいこ持ちっていうんだろうね。


「まあ、大袈裟だこと。もう一杯のみますか?」

「よろしいので?」

 お母様もころころと無邪気に笑っている。ここの所、執務で疲れていたみたいなので、お母様の素敵な笑顔が見られて僕も嬉しい。


 しかし、このままでは面会が飲み会に変わってしまいそうで心配になってきた。ただでさえアルベンガ離宮で行う大宴会まで日がないのだ。先に用件を済ませておかないと、あとできっと困る。


 一人お酒を飲んでいない僕が頑張るしかないのかな。シラフなのが僕しかいない。


「お酒を飲むのもいいですが、酔いが回りきってしまう前に先に用件を終わらせておきませんか?」

「たしかに、ジャン=ステラの言う通りね」


 ほっぺにすこし赤みが差しているお母様が同意してくれてちょっとホッとした。あーよかった。


「じゃあ、二人に言い渡します」

「はい、何なりと」


 お母様が居住まいを正したのに続き、カポルーチェのっぽトポカルボちびも真剣な面持ちとなり、聞く姿勢となる。


「サボナはトリノ辺境伯家に服従しなさい」

「承りました。今を持ちましてサボナはジェノバを離れ、トリノ辺境伯家に従います」


 カポルーチェのっぽトポカルボちびの2人はお互いに目線を交わすこともなく素早く椅子から立ち上がり、そして片膝をつく。お母様を見据えたまま深く腰を折って頭を下げ、恭順の意を示した。一連の動作は洗練されていた。


 まるでお芝居の一場面のようで、僕は魅入っていた。


 あれ? でも、ちょっとまってよ。いつのまに服従って話になったの? 大宴会のための小麦引き換えの話をするはずだったでしょう?


 それにどうして商人たちもOKしちゃうのかな。権限のない商人が勝手に決めちゃうのは普通おかしいでしょう?

 サボナに残っている人たちと相談しなくていいの?


「ちょっと待ってください、お母様。どうしていきなり服従させる話になっているのですか!それに商人の2人も軽々しく決めちゃっていいんですか?」

「あら?ジャン=ステラはサボナの服従に反対なのですか?」


 驚く僕に対して、お母様が不思議そうに聞いてくる。


「いえ、反対ではないですけど、唐突すぎませんか?」

「ジャン=ステラにとってどのあたりが唐突だったのですか、逆に聞きたいわ」


 え、唐突じゃなかったの? なにか伏線ってあったっけ? そんなふうに言われると自信がなくなる。


「商人たちを呼び出したのは一月に行う大宴会のために、小麦を調達するためでしたよね」

「ええ、元々はその通りでしたよ。でもそれって1ヶ月近くも前のことよね」

「確かそうですけど、その1ヶ月の間サボナを屈服させるなんて話、なかったです」


 僕は首を横にふる。記憶を辿ってみても、サボナを服従させるという話をした記憶がない


「ええ、そのような話は誰ともしていませんわよ。しかしサボナの支配者3人のうち2人が服属するというのですもの。唐突とか唐突でないとか関係ないではありませんか」

「支配者ですか? カポルーチェのっぽトポカルボちびは商人ですよね。貴族だとも聞いてませんよ、僕」

「ええ、商人よ。今日ここに来なかったプリアマール商会のカステッロを合わせた3人がサボナの支配者ですよ」

「商人が街を統治しているの?」

「え? ジャン=ステラは知らなかったの?」


 なぜこのような当たり前の事を知らないのか、とお母様は驚きの顔を僕に向けてくる。


 そんな顔をされたって知らないものは知らないのだ。


 たとえばジェノバは商業都市として有名だけど、都市の支配者である総督は男爵位をもっている。貴族が商売に手を広げて商人みたいになったけど、れっきとした貴族である。


「知りませんよ、お母様。逆に聞きますけど、お母様は貴族ではない支配者がいるって不思議ではないのですか?」

「たしかにそうねぇ。サボナは特別かもしれないわね。サボナが属していたジェノバの総督は神聖ローマ帝国の貴族でしたから、支配者はジェノバの貴族だとも言えるわ。あら、そうなると……」


 お母様は僕からすこし目線を外し、考え始めた。


 お母様が何を考えているのかについては、僕も心当たりがある。サボナをトリノ辺境伯家の支配下に加えるという事は、ジェノバから領地を奪う事にならないか、と。


「ええ。サボナを受け入れるってジェノバに喧嘩を売っていません?」

「うーん、難しいところね。ジェノバは神聖ローマ帝国のくびきを離れ、半分独立したような立場なのよ。表立って独立を宣言してくれていたら、先に喧嘩を売ったのはジェノバという事になるのだけど……」


 商業で栄えているジェノバは表向き神聖ローマ帝国に属している。属してはいるものの、前皇帝ハインリッヒ3世死後、徐々に神聖ローマ帝国から距離を置いている。後継者であるハインリッヒ4世の勢力がイタリアまで伸びていない事が原因の一つに数えられる。


 ただし、半ば独立国化しているのはジェノバだけではない。トスカーナ辺境伯のゴットフリート3世も独立しているんじゃないかと思えるほど精力的に領地拡大にまい進しており、誰をローマ教皇にするかでは皇帝家と真っ向から対立している。いうなれば、北イタリア一帯は名目上は神聖ローマ帝国だけど、内実はバラバラなのである。


 うーん、どうしましょう?

 お母様と僕は見つめあうものの、解決案は浮かばない。


 サボナをトリノ辺境伯家の庇護下に受け入れると宣言したものの、今となって悩む僕たちにカポルーチェのっぽが助け舟を出した。


「怖れながら、話に割り込む失礼をお許しください。ジェノバが先にサボナの支配を諦めたのです。捨てられたサボナをアデライデ様は拾っただけ。何の問題もございません」


 ジェノバはサボナを服従させるため、プリアマール商会のカステッロを支配者の一人とするよう送り込んだらしい。そのカステッロが今回、サボナから逃げ出した。つまり、ジェノバはサボナの支配を諦めたのだと。


「大義名分が立つことは私も分かってますわ。ですがジェノバとしては面白くないでしょう。私はジェノバと争いたいわけではないのです。なにか方法がありまして?」

「でしたら、アデライデ様の方から先にジェノバを詰問すべきかと」


 お母様のずいぶん虫のいい自分勝手な言い草にも、カポルーチェのっぽが立て板に水で答えてくれた。


 神聖ローマ帝国の皇帝から委託されている土地であるサボナを勝手に放棄するとは何事か。そうジェノバの総督を詰問し、カステッロを引き渡すよう要求すればいい、と。


 もし引き渡されたら身ぐる剥いで地下牢に幽閉。サボナは晴れてトリノ辺境伯に属することになる。


「引き渡さないようでしたら、サボナの統治が乱れた事で生じた損害を補償してもらえばよろしいのです」

「ねえ、カポルーチェのっぽ、サボナが原因の損害ってなに?」


 サボナのせいでお母様や僕が被った損害ってなんだろう。サボナを逃げ出したカステッロの手形の回収分は、サボナを支配下に入れるだけでお釣りがくるはず。


 僕の質問にカポルーチェのっぽは意外そうな顔をする。なんだか今日の僕は頭が冴えていないみたい。



「9月に傭兵部隊に襲撃されたことはお忘れですか。あの傭兵団はサボナから上陸し、サルマトリオ男爵領へと向かったのです。間接的ではありますが、アデライデ様とジャン=ステラ様が襲われた原因の一部はサボナにあるといえましょう」


 そういえば、そうだった。お母様や僕たちを襲撃した傭兵団はローマ近郊から海を渡り、サボナに上陸したって言ってたっけ。神の怒りをまといし剣セイデンキとか小麦手形とか、大きなイベントがあったから、そんな些末な事は忘れていた。


 それに、そもそもサボナが悪いって発想がなかったよ。だってサルマトリオ男爵の小麦手形を引き受けてくれているんだもの。


「そんなこともあったね。忘れていたよ。サボナが小麦手形を引き受けてくれた時点で許したつもり、というかすっかり頭の片隅から追いやられてしまっていたみたい」


 あははーと、僕は苦笑いするしかない。傭兵団に襲われた時、僕がしていた事といえば「うわー」とか「うひー」とか言いながら馬車の中をあっちへごろごろ、こっちへごろごろ転がっていただけなのだ。


 戦闘もいつの間にか終わっていたし、記憶から抜けちゃってても仕方ないよね。というか、これが初陣だと思うとがっくりだよ。むしろ積極的に忘れたい。



 一方、サボナの商人カポルーチェのっぽ、そしてトポカルボちびは乾いた笑いを口からこぼしていた。多分2人は、傭兵団を上陸させたことに少なからず負い目を感じていたのだと思う。


「ジャン=ステラ様の寛大さに、改めて謝意を申し上げます」

 カポルーチェのっぽが、真剣な面持ちでお礼の言葉を述べる。そして、ジェノバを追い込む理由の補強に僕の言葉を使う事を提案した。

 

「ジャン=ステラ様のお言葉も使う事にいたしましょう。小麦手形をサボナが引き受けることにより、傭兵団襲撃事件の一因となった事を許しました。それなのに、今回カステッロは逃げたのです。逃げたカステッロを匿うのはどうしてかと聞くのはいかがでしょう。暗に神の裁きを受けたいのかと仄めかすのも効果的かと存じます」


 つまりは、やくざ屋さんみたいな脅しをかけろ、という事ね。


『よぉよぉジェノバさんよぉ、トリノ辺境伯家の当主であるお母様と子息である僕を襲ったカステッロをかくまうのか? ええ、なんとか言うてみいや。許してほしかったら、ああん、どうすればいいか分かっているよな。そうそう、誠意を見せてもらわにゃならんわなぁ』


 国家とは権威を持ったマフィアだとは誰の言葉だったっけ。その言葉通りに行動しろとカポルーチェのっぽは言うのだ。


 しかし、カポルーチェのっぽの提案には懸念が残る。というか、不安しかない。


 僕たちの脅しにジェノバが屈するとは限らない。逆に敵対する意志を固めてしまうかも。そうなったら藪蛇になる。お母様も僕も戦争なんてしたくないんだもの。


「でもさぁ、その言い分をジェノバが飲むとは限らないでしょう。戦争になったりしない?」


「大丈夫だと思いますよ。二年前、ピサに敗戦した傷は未だ回復していません。それにジェノバから北側に抜ける通商路はトリノ辺境伯家が掌握しています。ジェノバはトリノ側と戦える状況にないのです」


「それでも遺恨は残るでしょう?」


 僕の懸念に対して、カポルーチェのっぽがサラッと答える。


「それは当然です。しかし、そもそも小麦手形の件でトリノ辺境伯家は北イタリア商人の恨みを買っているのです。今更の話ではありませんか」


 うぎょぼ? みんな恨んでるの? ほんと? なんで? いや、やっぱり?


 僕、恨まれてたのかぁ。そう理解した途端、心臓がどくんと大きく脈を打っているのに気づいた。


 心が乱れて言葉が出てこない僕の代わりに、お母様が話を引き継いでくれた。


「まぁ、恨まれたところでどうという事もありませんしね。それに恨みを表にだすような愚かな事をジェノバはしないでしょう。なにせ彼らは利に聡い大商人なのですから」


 棘を含んだ言葉が、嘲りが混じった声色でお母様の口から発せられる。


 僕はどきっとする。貴族が商人をよく思っていないのはわかっているよ。しかし、目の前の2人、カポルーチェのっぽトポカルボちびも商人なんだよ。その2人を前にして商人を非難する言葉を口にだすのはさすがに不味くない? 


「アデライデ様のおっしゃる通りかと。ジェノバの商人たちは愚か者ではありません。恨みを口にしたり、表立って反抗したりはしないでしょう。なぁ、トポカルボちび。お前もそう思うだろう?」

「もちろんですとも。商人は利に動くもの。滅多な事では利がない行動はいたしません」


 僕の懸念をどこ吹く風とばかりにカポルーチェのっぽがお母様へ同意する。話をふられたトポカルボちびは破顔し、そして全身を使ってうんうんと頷いた。


 トポカルボちびのひょうきんな仕草と笑顔を見ていたら、ぼくの不安が飛んでいったみたい。不思議と大丈夫な気がしてきたよ。お母様も毒を抜かれたみたいに、ころころ笑っている。なんか平和だな。



 かくして僕たちのこんな会話によりサボナはトリノ辺境伯領へと組み込まれることになった。なったのはいいのだけど、こんな簡単に領地って増えるものなの? だって戦争していないんだよ。領地って戦争で勝ち取るものだって今まで思っていたんだもん。いま僕は常識を書き換えられるようなすっごい不思議な気分に浸ってます。




ーーー

あとがき


百話でのご祝儀として、星評価とフォローを多数いただきました。

みなさま、応援いただきありがとうございます!

これからも頑張って書き続けていこうと思います。


ログインせずに読まれている方もおられるかと思います。

よろしければこれを機にアカウントを作成し、最初のお試しとして評価&フォローしてはいかがでしょう。

さらに、便利な機能が使えるようになりますよ。


● さて、ここからは余談です。


沈没しかけの船から海に飛び込んでもらえるか国民別に考えた、というジョークをご存知でしょうか。


アメリカ人 飛び込めばあなたは英雄です

イギリス人 飛び込めばあなたは紳士です

ドイツ人  飛び込むのが船の規則です

イタリア人 飛び込むと女性にもてますよ

フランス人 飛び込まないでください

日本人   みんな飛び込んでますよ


このジョークを本歌取りし、どうすれば星評価してもらえるか国民別に考えてみました。


アメリカ人 評価すればあなたは英雄です

イギリス人 評価すればあなたは紳士です

ドイツ人  評価するのがこのお話の規則となっています

イタリア人 評価すると女性にもてますよ

フランス人 評価しないでください

日本人   みんな評価してますよ


なんだか星評価を入れたくなってきませんか?


逆に反発をかって評価されなくなったらどうしましょう? そんな事ないですよね。どきどき。


それはさておき、これからもよろしくお願いします

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