第251話 狂気の渦中

 1065年7月下旬 アルプス山中 セプティマー峠 ジャン=ステラ


「ジャン=ステラ様、気負いすぎです。このままでは戦いの前に疲れきってしまいます」

 老護衛のロベルトの手が、手綱を握る僕の手にそっと添えられる。


 セプティマー峠を抜けるでこぼこ道は、両側を高い山に挟まれている。氷河で削られたんだろうなぁ、と思わせるU字型の谷底の道を僕たち騎馬隊は進んでいく。


 この道の先にマティルデお姉ちゃんがいて、敵であるゴットフリート3世がいる。そう思うだけで、どうしても気が急いてしまい、落ち着かない。


 全力疾走で敵陣に突撃し、全てを終わらせてしまいたい。そんな気持ちがロベルトにバレバレだったようだ。


 雪解けの水がいているのだろう。透明な水をたたえた池があちこちにあり、池の周りには緑の苔と白い小さな花が咲いている。


「ロベルト、忠告ありがとう」

 僕の護衛の中でもっとも経験豊かなロベルトに謝意を述べたあと、深呼吸をする。


 夏でも山の空気はひんやりと冷たい。その空気を肺いっぱいに吸い込み、大声をだす。


「小休止を取れー」

 ゴットフリート3世の軍に勢いのまま突撃したいけれど、そもそも斥候から報告のあった敵軍の姿は未だ見えない。


 ーーすこし落ち着こう。


 自分にそう言い聞かせつつ、馬から降りる。


 近くの池の水に手をつっこむと、ひゃっ、と声がでそうなほど冷たかった。


 馬に水を飲ませ、皮袋の水筒の水を入れ替えた。




 短い休憩の後、再び馬を歩かせる。U字谷の峠道を抜けるといきなり、視界が開けた。


 雄大なアルプスの山々は、僕たちの背後にあって屏風びょうぶのようにそびえ立つ。そして眼下には深く穿うがたれた谷底が左右に広がっている。


「スキー場のゲレンデみたいだね」


 雪のないゲレンデの頂上に僕たちがいて、視界を遮る物のない山腹が一目で見渡せた。


 岩ごろごろの山肌は、木が生えておらず、緑色の苔みたいな草が岩肌を覆っている。谷底から吹き上げる風が強い。岩に寄り添うように咲く白や薄黄色の小さい花が揺れていた。


 雪がない夏のゲレンデそのままの光景が目前にある。その傾斜は急で、中級コースほどはありそうだ。


 そのゲレンデの山頂と山腹を、つづら折りの曲がりくねった道がむすんでいる。狭くなり、ときには広くなり、大岩を迂回する。馬車が通れるように頑張って作ったんだろうな、と場違いの感想が脳裏に浮かんだ。


「敵が見えますぞ、ジャン=ステラ様」

 ロベルトが示す先には軍勢と、軍勢を超えるほどの多数の馬車が連なっていて、くねくね道をゆっくりと登っている。


 望遠鏡を使うとよく見える。軍の前方にゴットフリート3世の紋章が描かれた軍旗があった。そして、後方にはマティルデお姉ちゃんの赤地に白犬の紋章が掲げられている。


 ーー今から攻撃すれば、奇襲になるかな。


 山上にいて、そして望遠鏡があるから先に敵を見つけられた。だが、木が生えていない山肌は見晴らしがいい。僕たちが敵に見つかるのは時間の問題だろう。


 見つかる前に、敵を攻撃すべき。そう僕は判断した。


 傾斜はきついし、岩肌はごつごつしている。しかし、つづら折りの道を無視して斜面を駆け降りよう。気分は、鵯越ひよどりごえの源義経。


 僕の中で攻撃のイメージは固まった。


 つづら折りの道を進むゴットフリート3世を真横からの騎馬突撃で粉砕する。


 その勢いのまま敵軍後方のマティルデお姉ちゃんをさらい、そのまま山のふもとまで駆け落ちる。


 あとは、トリノまで一直線に逃げるだけ。


 歩兵はおらず、全員が騎馬なのだ。追いつかれることはない。寡勢の僕たちでも、多勢のゴットフリートにこれなら勝てる。


 よっし、完璧。あとは行動あるのみ。アドレナリンもりもりで気分は高揚し、心臓が強く鼓動する。


「全軍、突撃ぃ!」

 と言おうとした矢先、護衛のティーノに出鼻をくじかれた。


「ジャン=ステラ様、一騎打ちの一番手は俺をご指名願います。必ずや勝ってみせます!」


 一騎打ちのため、常日頃から槍の腕を磨き、肉体を鍛えてきたのは、今日という晴れ舞台を迎えるためだったと、確信しています。そうティーノが力説する。


 そんなティーノに続き、我も我もと一騎打ちの願いが相次いだ。高ぶった感情を抑えられないとばかりに、大声で叫び、僕へと訴える。


「槍試合の腕なら、ティーノよりも私の方が上です。ぜひ一番は私に!」

「馬上槍試合は馬が全てです。一番大きな馬に乗る私めをご指名あれ!」

「うぉー。俺は勝つぞー!」


 周りの腕自慢で名乗りでなかったのは、老護衛のロベルトと従者のファビオくらい。


 トリノを出てから今の今まで整然と行軍していたのが嘘のような混乱ぶり。


「ちょっとまって! 僕たちは数が少なく、劣勢なんだよ。奇襲しないと勝てないよ!」


 そんな僕の訴えは一騎打ちを求める者たちの声にかき消され、喧騒が収まる気配もない。


 もう、いっそ僕一騎で突撃する?

 そうすれば、みんなも僕を追いかけてきてくれるよね。


 そんな僕の行動をみすかしたかのように、老護衛のロベルトが僕の馬の手綱に手をかけてきた。


「ジャン=ステラ様、ご安心ください」


 あのさぁ、ロベルト、この状況で何をどう安心しろっていうの? せっかくの奇襲チャンスが、勝利の機会が僕の手からこぼれ落ちそうになっているんだよ!


「預言者であるジャン=ステラ様には、神のご加護がございます。いざとなれば、神のいかずちがゴットフリート3世に降り注ぐ事でしょう。


 ジャン=ステラ様がおられる限り、何をどうされようと勝利は確約されているのです。正々堂々と、真正面からゴットフリート3世を打ち破り、預言者の栄光を満天下に知らしめましょう」


 だめだ、こりゃ。周りを見渡すと誰も彼も、目がいっちゃってる。狂信者という狼の群れの真ん中に、子羊である僕が一人、ぽつんと立っている。


 しかし、誰が何を言おうとも現実の壁は越えられない。神のご加護なんて、士気を高めるために僕が勝手に言っただけだ。


 雷を召喚することもできないし、いつぞやみたいに地震を起こすこともできやしない。当然だけど、僕には奇跡なんて起こせない。自業自得だけれど、そんな当たり前が、皆には通じないことに愕然がくぜんとしてしまう。


 頭を抱える僕とはちがい、ロベルトの言葉を耳にした者たちが次々と興奮の坩堝るつぼに飲み込まれていく。


 その歓声はやがて、アデライデお母様作詞の歌へと変わっていった。

 力強く朗々とした低音男声で斉唱されるその曲の名は、預言者讃歌。


 僕の栄光を讃える歌声が、アルプスの山々にこだまする。


 敵を目前にしているというのに、そんな事は全くお構いなしの大合唱。

 宗教的熱狂の渦の中で、僕はこれまでに体験した事のないひどい孤独を感じていた。


ーーーー

あとがき

ーーーー

 第69話「真っ赤なお鼻のトナカイさん」でジャン=ステラちゃんがメロディーを披露しています。披露したのは、リパブリック讃歌とか友達讃歌とか、ヨドバシカメラの歌とか呼ばれている曲。


 アメリカ南北戦争の時に作られた「共和国の戦闘讃歌」(the battle hymn of the republic; 邦名:リパブリック讃歌)のメロディーに合わせた替え歌がアデライデお母様主導で作詞されました。


預言者の戦闘賛歌(訳)

我は見た、預言者の力強き言葉を

彼は語り、卑しき者を持ち上げ、暴君の剣を折る

彼の声は正義となり、真理の叫びが聞こえる場所に響き渡る

彼の光は進み続ける


コーラス:

栄光あれ!ハレルヤ!

栄光あれ!ハレルヤ!

栄光あれ!ハレルヤ!

彼の光は進み続ける


The Battle Hymn of the Prophet(英訳)


Mine eyes have seen the visions of the Prophet's mighty word:

He speaks to lift the humble, to break the tyrant's sword;

His voice resounds in justice where the cries of truth are heard:

His light is marching on.


Chorus:

Glory! Glory! Hallelujah!

Glory! Glory! Hallelujah!

Glory! Glory! Hallelujah!

His light is marching on.

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