第250話 決断の刻

 1065年7月下旬 アルプス山中 セプティマー峠 ジャン=ステラ


「ど、どどど、どうしよう」


 アルプス山脈を南北に貫く帝国街道で、トスカーナ辺境伯軍と遭遇した。


 望遠鏡を装備した斥候の知らせによると、敵方の大将であるゴットフリート3世に加え、マティルデお姉ちゃんも陣中にいるらしい。


 ゴットフリート三世はフィレンツェに、そしてマティルデお姉ちゃんはカノッサ城にいるんじゃなかったの?


 それを前提にカノッサ城を奇襲して、マティルデお姉ちゃんをトリノにさらっていくつもりだったのに。


 奇襲作戦は、カノッサ城に到着することなく破綻してしまった。


 ため息とともに、嘆きの言葉がぼそっと口から出てきてしまう。


「どうして、こんな山中にゴットフリート3世がいるんだよぉ。しかもマティルデお姉ちゃんも一緒だなんて」


 もう何がどうなっているのか、わけが分からない。


 とはいえ、思ったように計画が進まなかった事を嘆いていても、現実は変わらない。

 それに、こうしている間も時間は刻一刻と過ぎていく。


 せっかく望遠鏡によってトスカーナ辺境伯軍を早くに発見できたんだもの。その時間的猶予ゆうよを無駄にするわけにはいかない。


「ジャン=ステラ様、逃げますか? 我々はまだ敵に見つかっておりません。今なら簡単に逃げられます」

「我が方は騎兵といえどたった150騎の部隊です。一方のトスカーナ軍は最低でも2000名。逃げたとしても不名誉にはなりません」

「奇襲計画は破綻はたんしたのです。今は御身おんみの安全を一番にお考えください」


 僕の周りの者たちは、逃げろ逃げろと、進言してくる。計画が失敗したのだから、そして不測の事態が発生したのだから、状況を見極めるため一旦引くのが常道なのかもしれない。


 その一方で、僕から少し離れた場所の騎兵たちは、威勢よく息巻いている。


「逃げるなど言語道断。ジャン=ステラ様は預言者なのだぞ。刃向はむかう者に裁きの鉄槌を!」

「我らが少数であろうと、ジャン=ステラ様がおられるわが軍の勝利は間違いなし」

「神のご加護は我らにあり!」


 ちょっとした興奮状態で、今も「ゴットフリートをて!」「神の裁きを!」と息巻いている。


「ジャン=ステラ様、ご決断を」

 逡巡していては、逃げる事もできない。攻撃するにしても有利な立場を確保するには時間がかかる。


 どうするのか、早く決断しなければ。

 逃げる? 攻撃する? どちらがいい? どちらが正しい道なの?


 決められず、頭がくらくらしてきた。どことなしか視界がぐらぐらしている。


 そんな中、老人特有の渋い声が聞こえてきた。声の主は最古参の護衛であるロベルトだった。


「ジャン=ステラ様、今を逃したらマティルデ様は永遠に得られませぬぞ。それでよろしいのですか」


 理由は不明だが、ゴットフリート三世がマティルデお姉ちゃんを連れてイタリアからドイツへと移動している。


 ドイツに移動されてしまったら、僕たちの騎馬隊では手がだせない。トリノから軍を移動させるにしても、マティルデお姉ちゃんを嫁盗りする期限である8月中には間に合わない。


「だめっ! マティルデお姉ちゃんを諦める事だけは絶対にできない」


 僕はロベルトの質問に対し、叫ぶように返答した。


「では、決まりですな」

 ロベルトがニヤリと笑った。


 そう、ロベルトの言うとおり。僕に逃げるという選択肢は最初からなかった。


 ならば、どうする? わかりきった事。

 今、この地でマティルデお姉ちゃんをゴットフリート三世の手から奪う。どんな手を使っても。


 覚悟は決まった。あとは迷わず行動あるのみ。


 馬上で「すぅー」と大きく息を吸い、僕は声を張り上げた。全軍に僕の意思を染み渡らせるため。


「全軍傾注!」


 全員の視線が僕に集中するのを待ち、先を続ける。


「カノッサ城奇襲の目的は、マティルデ・ディ・カノッサの奪取だった。


 それなのに、なんと幸い・・なるかな。ゴットフリート三世がマティルデを僕の前へと連れてきてくれた。


 おかげでカノッサ城にいく手間が省けた。みなの者よ、その点、ゴットフリートに感謝しようではないか」


「わははっ」「うはっ」と笑い声とも苦笑ともつかないざわつきがあたりに広がる。


 僕の演説に気を利かせてくれたのか、

「ゴットフリート三世もわざわざマティルデ様を連れてきてくれるなんて、良いところもあるよな」

 そのような軽口を大声で叫ぶものも現れた。


「せっかくマティルデを連れてきてくれたのだ。今からゴットフリート三世を打ち破り、マティルデを奪い取るぞ」


「ウォー」と驚きと興奮の混じった怒号のような歓声が、士気の高まりを僕に教えてくれる。


「さて、諸君。我らは150騎。一方の相手は二千人以上の大軍だ」


 騎兵たちは静まり返り、僕の次の言葉を待っている。痛いほどの視線が僕に突き刺さる。


 だれもが兵数で劣っている事は知っているのだ。劣勢の軍が途中で崩れないためには、心の支えが必要だろう。


「だが、安心してほしい。神は私を、そして我らを見守っておられる。どれほど兵数に差があろうとも、神は我らを見捨てない。なぜなら……」


 言葉を区切り、固唾を飲んで見守る軍をぐるっと見回わす。ここからの言葉は僕にとって覚悟がいる。一度でも口にしてしまったら、もう後には引き返せない。


「なぜなら、僕は預言者だからだ!」


 自分が預言者だとは、これまで一度も断言してこなかった。だって前世の知識があるだけで、神様の言葉なんて預かっていないもの。


 でも、これでいい。もう、いいや。あきらめて嘘つき預言者になってしまおう。

 預言者だと告白することでゴットフリート3世に勝てるなら、マティルデお姉ちゃんが手に入るなら、充分にお釣りがくる。


 馬上槍を強く強く握りしめ、僕は力いっぱいに、嘘の混じった言葉をつむぐ。


「預言者である僕は宣言する! 神は僕とマティルデをめあわせると約束した。よって、神との契約を阻む者には天罰が降る。


 すなわち、我らは必ず勝利する! ぼくを信じよ、神を信じよ。勝利を手に入れろ!」


 最後の言葉と共に、馬上槍を天高く突き上げた。


「勝利は我らとともに!」

 耳をつんざく轟きとともに、全軍がそれぞれの武器を天へと突き上げる。


「全軍、ぼくに続け!」

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