第252話 齟齬の連鎖

 1065年7月下旬 アルプス山中 セプティマー峠 ジャン=ステラ


「我らには預言を成就じょうじゅさせるという大義名分があるのです。奇襲で勝利しても、神はお喜びにならないでしょう」


 ゴットフリート三世の軍を山上から正々堂々と真正面から攻撃する。それも、僕たちの軍の十倍以上の兵数の敵に対して何の策もなく、戦いを挑むことになってしまった。


 あぁ、どうしてこうなるのかなぁ。がっくりと肩を落とした僕の口から、大きなため息が一つ出た。


 元はといえば、僕の失言が原因とはいえ、頭を抱えざるをえない。


『預言者である僕は宣言する! 神は僕とマティルデをめあわせると約束した。よって、神との契約をはばむ者には天罰が降る。

 すなわち、我らは必ず勝利する! ぼくを信じよ、神を信じよ。勝利を手に入れろ!』


 格好良く決め台詞ぜりふを吐いたつもりが、のろいの言葉となって自分に返ってくるとは思わなかった。


 あぁ、げきなんて飛ばさなければよかった……。


 などと思い悩んでいても仕方がない。頭を強く振り、気持ちを切り替えよう。


 ーー少しでも勝てる確率を高くするにはどうすればいい?


 せめて高低差が活用できて、騎馬突撃に有利な場所に陣取ろう。あとは……。そうだね、バクチクやクロスボウをがけの上に隠すのはどうだろうか。


 ちょっとでも勝つ可能性を高めようと、僕は知恵を絞り続ける。


 まずは山腹に横たわるつづら折りの道、その折り返し部分に陣をこう。


 とはいえ、折り返しならどこでも良いわけではない。折り返しの真下は崖になっていて、ゴットフリート三世の歩兵が下から襲ってこない場所を選ぶ。


 さらには一騎打ちが有利になるよう、下り道に向かって右手が山側になるようにした。


 馬上の騎士は右手に槍を構えている。一騎打ちでは、すれ違いざまに槍を左側に突き出す。


 この時、騎士の右手が山側であれば、崖下に転落するおそれはない。自分の左側を通過する相手騎士に集中できる。


 一方、騎士の左手が山側の場合、左側の敵だけでなく、右側の崖も意識しなければならない。そうしないと、槍を合わせる前に、崖から落ちてしまう。


「左右両方に気を配っていたら、勝てる試合も負けちゃうよね。ロベルトはそう思わない?」


 僕の考えが正しいか知りたくて、一騎打ちをよく知っている老護衛のロベルトに聞いてみた。


「ジャン=ステラ様、ご安心ください。神のご加護があればどのような不利な場所であろうとも、必ずや勝利いたします。ジャン=ステラ様は、何も心配なさらず、馬上でゆったり構えていればそれでよろしいのです」


「あー、そうだね、そうだよね。ありがとう、ロベルト」


 ロベルトが全く役立たなくって涙が出そう。


 もういいっ。次の策にとりかかろう。僕はグイドに声をかける。


 今回のカノッサ奇襲作戦にあたり、グイドは物資の補給と調達を担当している。作戦開始の1か月前から道中の食料確保や馬の糧秣、そして武具の手配をしてくれていた。トリノを出発してからここまでの道中で、食料の調達に悩まなくて済んだのは、ひとえにグイドのお陰だった。


 さすがはポー川に面した領地を持ち、商人と共存共栄しているメッツィ男爵の息子だけはあるよね。


「グイド、バクチクを持たせた兵士を崖上に忍ばせてきて。そして、僕が合図をしたらトスカーナ軍の上にバクチクを落とすこと」


 元々僕が作ったバクチクは、火薬を紙で巻いただけで小さな音を出すおもちゃみたいなものだった。それを、東方三賢者のイシドロス達、そしてコンスタンティノープル帝都大学の教授たちが改良し、より大きな音がでるようになった。


 ーーこのバクチクを使ってゴットフリート3世の馬たちを驚かし、制御不能にしてしまおう。


 トリノ辺境伯の軍馬は、バクチクの大きな音に驚かないよう訓練されている。一方でゴットフリート3世の軍馬たちは、はじめて聞く轟音に驚き、暴れ回ることだろう。


 爆音で馬を驚かせ、棹立ちにさせた隙を突いて敵陣に突撃しよう。


 やっぱり最後に頼れるのは前世の知識と技術だよね。そして……。


 ーーこれなら勝てる!


 ようやく勝ち筋が見えてきた。勝利の女神が僕に微笑んでくれそうだ。


 ーーその女神様はね、きっとマティルデお姉ちゃん。


 そんな事を考えていたら、自然と僕の顔もにやけてきた。


 しかし、喜んでいられたのは、ほんの束の間でしかなかった。


「ジャン=ステラ様、申し訳ございません。バクチクの配備はできません」


 ええっ? グイド、今なんて言った? バクチクの配備を断るの?

 グイドの返答は衝撃的だった。


「どうしてなの、グイド。僕の命令が聞けないの? それとも神の加護があるから、バクチクを使わず正面から敵を粉砕すればいいって、グイドも考えている?」


 グイドよ、おまえもロベルト達と同類なの? 商人の重要性を理解しているメッツィ男爵家出身のため、信仰一辺倒のロベルト達とは一味違うのが、グイドの長所だったんじゃないの?


 僕はグイドの事を信用していたのに、それが裏切られた気分。だからこそ僕は感情的になり、グイドを怒鳴りつけてしまった。


「いいえ、違います。ですが、その……」

「もう、歯切れが悪いなぁ。言いたいことがあるなら、さっさと言ってよ」


 何事かを言い淀むグイドに対し、乱暴に先を促す。


 僕もだんだんと余裕がなくなってきている。こうしている間にも、ゴットフリート三世の軍が山道を登ってきている。準備に使える時間が刻一刻と減っているんだもの。


「は、はい。ジャン=ステラ様。ここにバクチクはありません」

「ない? ないってどういう事! どうしてバクチクがないの?」


 なんでよ、どうしてよ! バクチクがないってどういう事よ!

 前のめりにグイドを問い詰めた。ないって言われて、はいそうですか、と納得できるわけないでしょう。


 まっとうな理由を述べてもらわなければ、腹の虫もおさまらないもん!


「バクチクはすべて、カノッサ城の近くに隠し置いてあります」


 僕たちの軍は、カノッサ奇襲を目的にしており、道中での戦闘は予定になかった。そして、アルプスの北をぐるりと回る長距離行軍のため、できうる限り荷物を減らそうとグイドは尽力した。


 そのため、食料や馬のまぐさは進軍経路にあわせて、あちこちに分散配置したし、武器はカノッサ城近くの村に埋伏まいふくした。さらにはカノッサ奇襲後、敵軍に追いかけられた場合も想定している。消耗品であるバクチクやクロスボウの矢(ボルト)は、カノッサ襲撃後、トリノへと帰還する道筋で補給できるよう手配していたのだ。


 そんな配慮の数々について語ったグイドは、次の言葉で締めくくられた。


「まさか、このような山中で戦闘になるとは想定しておりませんでした」


「あはっ、あはは……」


 乾いた笑いが出てきた。もう、笑うしかないよね。


 バクチクはない。そして本格的な戦闘を予定していなかったから、クロスボウの矢(ボルト)も足りない。クロスボウを扱う兵一人あたり10本程度しか手元にないんだってさ。


 もう、やけだ。今からでも一人で坂道を下って突撃しちゃおっか。バンザーイとか叫んでアタックするのはどうだろう。


 荒れた心の僕に、従者のファビオがおそるおそるといった感じに声をかけてきた。


「あの、ジャン=ステラ様」

「ファビオ、何。僕、忙しいんだけれど」


 本当は別に忙しくなんかない。八つ当たりだとわかっていても、ファビオをギッと睨まずにいられない。次の行動を決められなくて、どうすればいいのか分からなくて、いらいらが止まってくれないのだ。


「申し訳ございません。ですが、お伝えしたいことがあります」

「なに?」


 話を止めないファビオが不愉快で、その存在を無視するかのように視線をあさっての方向へとそらす。


 冷たい声を出す僕にめげることなく、ファビオが平身低頭で続きを声に出す。


「ギリシアの火が入った壺を、アデライデ様から預かっています」

「え、今なんて言った?」


 ギリシアの火? アデライデお母様?

 がばっと音がしそうなほど勢いよく首を回し、ファビオを凝視する。


「はい、トリノを出発する際、壺を持っていくようアデライデ様直々の命令を受けました」


 ギリシアの火を詰めた壺は、城の防衛戦に使う兵器としてアデライデお母様主導で開発された。


 壺の導火線に火をつけて、城壁の上から落とすと火柱が立ち上がる。あくまで防御用の兵器でカノッサ城の奇襲には役立たないため、持っていく品のリストには含めなかった。


 そのギリシアの火の壺を3つ、騎兵の背中に担がせてここまで持ってきたというのだ。


「万が一の兵器のため、必要となるまでジャン=ステラ様には黙っておくようにとも、命令されています。今日まで黙っていたことをお許しください」


 わぁお、お母様、すごい。


 アルプスを大回りするカノッサ奇襲計画を立案したのもお母様だけど、万が一の事態を見越してギリシアの火の壺を持たせてくれるとは。


 僕じゃなくて、お母様が預言者じゃないの? もう、そんな気がしてきちゃったよ。


 そしてファビオにきつく当たってしまった自分が恥ずかしい。せめて感謝の言葉を口にしなければ。


「ファビオ、ここまで運んできてくれてありがとう。それに、アデライデお母様にも感謝だね」


 そういうと、眩しい笑顔で「はいっ」とファビオが返してくれた。


 幸いなことに、つづら折りの道が続くこの場所は、城壁のように切り立った崖があちこちにある。

 壺を落とすために兵を潜ませる場所には事欠かない。


 ーーふっふっふ。ゴットフリート三世の上に落としたら、火だるまにできるよね。


 先ほどまでの悲壮感はどこへやら。思わず悪役みたいに笑ってしまった。


 壺は三つ。無駄づかいはできない。しかしながら、奥の手があるというだけで視界がひらけた気がする。


 山腹を見下ろすと、敵の全貌ぜんぼうがまるで手に取るように見えた。


 ゴットフリート三世の軍が曲がりくねった道を登り、着実に僕たちへと迫ってくる。遠くから馬のいななきが響き渡り、その姿がはっきりと見えるようになってきた。先鋒とおぼしき一団は、間もなくこちらと接触するだろう。


 ドクンドクンと心臓の鼓動が、まるで鐘のように大きく僕の耳に響いている。


 ーー大丈夫だ、勝てる。絶対に勝つ。勝ってマティルデお姉ちゃんを手にいれるんだ。


 浅くなった呼吸を整えようと、深く息を吸い込んだ。

 そして、会敵前に最後の檄を飛ばす。


「運命の時は来た! 一騎打ちに臨むものたちよ、勝利をつかめ! 負けることは僕が許さぬ、神も許さぬ。ゴットフリート三世を打ち破り、我らの未来を切り開け!」

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