第253話 戦場の作法と紋章

 1065年7月下旬 アルプス山中 セプティマー峠 ジャン=ステラ


「トスカーナ辺境伯ゴットフリート卿の使者としてここに参った。トリノ辺境伯アデライデ様に拝謁はいえつたまわりりたい」


 敵の先鋒から三騎の騎兵がつづら折の道を僕たちの方へと登ってきた。威厳を保つためか、背筋を伸ばし、ゆっくりと馬を歩ませている。


 体格の最も良い大男がゴットフリート三世からの使者と名乗り、アデライデお母様に会いたいと大声を張り上げた。


 ーートリノ辺境伯家の軍だと思って、お母様を呼んだのかな?


 トリノ辺境伯家で一番偉いのはアデライデお母様だもんね。


 しかし、お母様に会いたいと言われても困ってしまう。当然ながらお母様はここにいないんだもの。


 お母様の代理を務められるのは僕しかいない。そう思って応対しようとしたら、グイドが首を横に振って僕を制止した。


「ジャン=ステラ様が出るべきではございません。使者に対応するのは配下で十分です」

「じゃあ、使者の対応はグイドにお願いするね」


 グイドがそういうのなら、と使者の対応はグイドにお任せすることにした。


「ご足労痛み入る。使者殿のご用件は、宣戦の布告でよろしいか?」


 軍の前方に一騎で躍り出たグイドが、使者に用向きを尋ねた。


「宣戦布告? いまさら?」


 敵が目前にいるのに、いまさら宣戦布告してどうなるというのだろうか。


 グイドの口上に疑問を感じた僕が小声でつぶやくと、老護衛のロベルトがそれを聞き取った。そして、戦争のお作法を教えてくれた。


「ジャン=ステラ様、戦いにも礼儀作法がございます。問答無用で始めてはなりません。戦いの前には、まず『騎士の誓いと祈祷きとう』を行います。ジャン=ステラ様は、すでにこれを済ませております」


「騎士の誓いと祈祷」とは、味方の士気を上げるための演説らしい。戦勝を祈願し、神に祈りを捧げ、神の加護を得る事がその目的とロベルトが言う。


 たしかに、僕は演説を行い、神の加護を願って必ず勝つと宣言した。偶然とはいえ、戦争のお作法に合っていたとは驚きだ。


「その次が、宣戦布告です。使者を送り、自軍の正当性を主張します。その後、一騎打ちが行われ、全軍での攻撃が続くのです」


 うーん、なんだか面倒だなぁ。とはいえサーチアンドデストロイ(見敵必殺)ってわけにはいかないんだろうね。


 そんなことをロベルトと話していると、どうもグイドと使者との間の雲行きが怪くなってきた。


 宣戦布告に来たのかと問いには答えず、使者はただ「アデライデお母様に会いたい」と同じことを繰り返すばかり。


「そこに掲げている軍旗の紋章は、トリノ辺境伯家当主・アデライデ様のものとお見受けする。再度問う、アデライデ様は陣におられるのか?」


「何度も言っているだろう! 我らはカナリア諸島王ジャン=ステラ・ディ・サヴォイア様の軍であり、アデライデ様の軍ではない!」


 いつの間にか、グイドと使者のやり取りは怒鳴り合いに発展してしまっている。


「ジャン=ステラ様ならば、サヴォイア家の紋章である赤地に銀十字を掲げているはずだ! それなのに、なぜトリノ辺境伯家の紋章を使っているのか。 


 本当に貴軍はトリノ辺境伯家の軍なのか? 賊軍でないことを証明してもらいたい。宣戦の布告はその後でよろしい」


 どうやら、軍旗に描かれた紋章で揉めているみたい。


 僕の紋章は「青地に金の雄牛」で、アデライデお母様が使っているトリノ家の紋章と同じだ。


 だって、お母様から受け継いだんだもん。


「私の代でこの紋章がなくなるのは寂しいわ。ジャン=ステラ、カナリア諸島王の紋章として使いませんか?」って。


 アデライデお母様と僕が同じ紋章を使う事は、教皇にも伝えてある。だから、ゴットフリート三世の使者がいちゃもんを付けているのは、完全に的外れだ。もし、教皇から知らされていなかったとしても、それは使者の問題であって、僕たちに非は全くない。


 でもね、「そんなどうでもいい事で、なんで揉めるのかねぇ」、というのが僕の正直な気持ち。


 目の前には敵対する軍隊がいるのに、なんとも悠長ゆうちょう迂遠うえんなことをしているとしか思えない。


 僕が率いる軍がトリノ辺境伯家の軍なのか、サヴォイア家の軍なのかで何か変わるというのだろう。


 もう理解不能だよね。「だから何?」ってツッコミを入れたくなる。


 とはいえ、使者の対応をグイドに任せている手前、僕がでしゃばるわけにもいかないし。まぁ、やりとりを重ねれば、そのうち誤解も解けるだろう。


 そんな事を考えながら、「あぁ、残雪のアルプス山脈がきれいだなぁ」などと現実逃避していたら、急転直下、状況が悪化していた。


「賊軍だと? 言うに事欠いて賊だと! ジャン=ステラ様を、そして預言者を愚弄ぐろうする気か!」


 ゴットフリート三世の使者が、僕たちを山賊呼ばわりした瞬間、グイドが激昂し声を荒らげた。周りの騎兵たちも顔を真っ赤にして怒り、血走った目で今にも使者を射殺さんとばかりににらみつけている。


「ジャン=ステラ様を、預言者を賊だというのか」「神への冒涜ぼうとくを許すまじ」「トリノ家の名誉を汚したな」


 今すぐにでも使者に襲い掛かりそうな剣呑な雰囲気があたりを包み始めた。


 だが、そんな緊張感の中にあっても、ゴットフリート三世の使者は不敵にも「にやり」と笑みを浮かべている。


 あぁ、もう。挑発するのはやめてよ。殺されちゃっても、僕は知らないからね。


 味方が暴発しないか心配しつつも、僕は次の手を考える。


「ねえ、使者って殺しちゃだめなんだよね?」

 ロベルトに小声で確認したら「当然です」と短く返ってきた。


「ですが、どうも妙ですな……」

 ロベルトが使者に違和感を感じているようだ。


「ロベルト、何が変なの?」

「使者の視線がグイドの方を向いていないのです。まるで、こどもがイタズラを隠している時のような、落ち着きのない目つきを…… あ! ジャン=ステラ様、あちらをご覧ください!」


 ロベルトが指差したのは、僕たちの後方にある山腹だった。岩だらけで崖みたいな急傾斜を、一人、また一人と散開した歩兵が登っている。


「あれって、ゴットフリート三世の兵だよね」


 ロベルトが大きく頷いた。

「間違いありません。ゴットフリート三世が雇った傭兵でしょう。使者で我々の注意を引き付けておき、背後から包囲するのでしょう」


 げげっ……。ただでさえ僕たちの軍は少数なのだ。数で圧倒するゴットフリート軍に包囲されたらひとたまりもない。


 だけど、それってずるくない? 僕は戦場のお作法を守って、緒戦の騎馬突撃をあきらめたのに!


 いいよ、いいよ。そっちがそうなら、僕にだって考えがあるんだから!


 僕は、ギリシアの壺を持って待機している従者ファビオに声をかけた。


「やっておしまいっ!」


ーーーー

あとがき

ーーーー


紋章

ジ:ジャン=ステラ

ア:アデライデ・ディ・トリノ


ア:カナリア諸島王の紋章は決めましたか?

ジ:サヴォイア家の紋章じゃだめですか?

ア:新しい紋章を作っても良いのですよ

ジ:じゃあ、白地に赤丸……じゃなくて赤くて丸いトマトピザ!

ア:それはだめよ

ジ:どうして?

ア:白地は貧相に見えるから。王は濃い色を使うのよ

ジ:でも、トマトピザは濃い赤ですよ?

ア:誰も知らない料理を紋章にするのもねぇ……

ジ:じゃあ、紋章なんてなんでもいいです(なげやり)

ア:それなら、私の紋章を使うと良いわ

ジ:はーい

ア:(ふふっ、ジャン=ステラとお揃いね☆彡)

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