第113話 レンズ豆の彫刻
1062年12月下旬 イタリア北部 アルベンガ離宮 ジャン=ステラ(8才)
白い悪魔ことマヨネーズを中世イタリアに召喚するため、イシドロスに殺菌用アルコールを作ってもらった。アルコールは卵の殻についているサルモネラ菌を殺すために使うのだ。
このことをイシドロスに伝えたら、殺菌とは何かと尋ねられちゃった。しかし、この「アルコール殺菌」をどうやって中世の人に説明すればいいと思う?
「目に見えないほど小さなバイキンが病気の原因なのです。だからバイキンをアルコールで殺せば病気にならないんだよ」
って言っても信じてもらえないよね。
いや、まてよ。イシドロスなら「預言者の言葉を疑う事などいたしませぬ!」と言って信じてくれそうな気がする。しかし、それはそれで困っちゃうよね。
遠回りになるかもしれないけど、細菌がいるんだよ~って見せることを考えてみよう。
「ねえ、イシドロス。殺菌の話をする前にレンズの話をしてもらってもいい? 虫眼鏡は作れたかな」
マティルデお姉ちゃんから黒猫ぬいぐるみをもらった時、教会の窓ガラスを一緒にもらった。窓ガラスといっても長方形ではなく、直径10cmくらいの丸いガラス。
これを加工してまずは虫眼鏡を作って欲しいとイシドロスたちにお願いしていたのだ。しかし、さっぱり報告があがってこないことを思い出した。
「ジャン=ステラ様、申し訳ございません。丸いガラスをレンズ豆のように加工することはできております。しかしながら、レンズで虫を見ても、大きく見えないのです」
「え、そんなことがあるの? 実物を見せてもらえるかな」
イシドロスに聞いても原因がよくわからなかったので、失敗作のレンズを持ってきてもらい見せてもらった。
「ジャン=ステラ様、こちらでございます」
執務机に失敗作のレンズがずらーっとたくさん並べられた。
並んでいるのは全て直径1cmくらいの小さいレンズ。きちんと数えていないけど、30個くらいありそう。イシドロスたちがレンズを作るという僕のお願いをかなえようと頑張った結果がこの数に表れている。
「頑張ってたくさんレンズを作ってくれてありがとう」
僕は頑張って明るい表情をつくり、イシドロス達に
僕が作り笑いなのは、並んでいるレンズを一目見ただけで、イシドロスたちへの指示に失敗したことを悟ったから。
イシドロス達にレンズ作成をお願いした時、僕は「丸ガラスをレンズ豆のように加工してね」と伝えたことを思い出した。レンズ豆というのは、レンズの語源となったお豆さん。
そのレンズ豆に似せようと、直径10cmの丸ガラスを一生懸命けずって、直径1cmのレンズ豆を彫刻してくれたのだろう。失敗レンズを手のひらに乗せてよく見てみると、レンズ豆のシワや窪みまで刻まれている。そのお陰で、失敗レンズはどれも濁っていて、あまり透明とは言い
あっちゃあ。やってしまった。僕の説明が悪かった。天を仰いで大きな溜息をついてしまいたい。しかし、そのような振る舞いをすると、イシドロス達を無用に傷つけてしまうだろう。
イシドロスたちは僕の言葉を信じて、必死にレンズ豆の彫刻を作ってたんだろうね。その明後日の方向を向かせてしまった労力を思うと、申し訳なさすぎて涙がでてきそう。
(ごめんね)の言葉を飲み込みつつ、イシドロスに再びレンズについて説明した。こんどは上手く伝わりますように。
「このレンズを見て、僕の説明が良くなかったことがわかりました。実寸大のレンズ豆彫刻が欲しかったわけじゃないんだ。改めて説明するね」
直径は10cmでも5cmでもOK。形はレンズ豆。正確にはレンズ表面の形は
「この説明の通りに、もう一度レンズを作ってもらえるかな」
「承知いたしました、ジャン=ステラ様。ですが、1点相談したい事がございます。私どもの手元には、もう丸ガラスがないのです。お手持ちの丸ガラスをいただけませんでしょうか」
イシドロスがおずおずしながら、新しいレンズを作るための材料がないと訴えてきた。
「うーん、困ったなぁ。マティルデお姉ちゃんからもらった丸ガラスは全て渡しちゃったから、もう手元にないんだよ」
ガラス細工はトリノの特産品だけど、丸ガラスを作っていない。というか作る技術がないのだ。
僕とイシドロスが困っていたら、お母様が代替案を出してくれた。
「ガラスがないなら、水晶玉を使ったらどう? サルマトリオ男爵の宝物庫に、まんまるの水晶玉が何個もあったわよ」
そういえば、小麦を支払えなかったサルマトリオ男爵の財産目録に水晶玉がいくつも書かれていたっけ。サルマトリオ男爵ってじつは占いにでも凝ってたのかな?
「お母様に言われて思い出しました。そんなのもありましたね」
「トスカーナの丸ガラスよりも透明なので、ジャン=ステラの目的に
たしかに、無色透明な水晶でレンズを作れば、濁りのある丸ガラスよりも良いレンズが作れそう。でも水晶って宝石でしょ?
「お母様、水晶みたいな貴重なものを僕が使っちゃっていいのですか?」
「そんなの今更の話じゃない。丸ガラスのような貴重な品を使うほどレンズは大切なのでしょう? ジャン=ステラが必要なら好きなだけ使っていいのよ」
そういえば、マティルデお姉ちゃんから貰った丸ガラスって、元々は教皇就任祝いの特別品だった。トスカーナ辺境伯家の技術力の高さを誇る逸品だと、イルデブラントが言ってたっけ。
窓ガラスの記憶がある僕からすると、丸ガラスは小さくて不透明でデコボコで、と良いところなしのショボいガラスである。意識していなかったけど、あの丸ガラスって貴重な品だったんだなぁ。お母様の口ぶりからすると、もしかすると水晶よりも丸ガラスの方が価値が高かったのかもしれない。
そんなものをレンズ豆の彫刻に加工しちゃったイシドロスたちは、さぞ肝が冷えただろうね。ま、過ぎたことだから気にしない方が精神衛生には良さそう。
レンズ作成が挫折しなかったのは不幸中の幸いである。渡りに船とばかりに、お母様の提案に僕は飛びついた。
「お母様、ありがとうございます! お言葉に甘えて、水晶をあるだけ使わせてもらいますね。水晶以上に価値のあるものを作るので、楽しみにしていてください♪」
顕微鏡や望遠鏡が出来上がれば、みんなすっごく驚くよ。
目に見えないほど小さい生物が見つかり、火星を回る2つのお月様が見えるのだ。世界観が変わるほどの衝撃があるだろう。
ただ、気の早いお母様はもう衝撃を受けているみたい。愕然とした顔をしている。僕は聞き取れなかったけど、小さな声で何やらつぶやいているようだった。
「す、水晶を全部つかってしまうのですか……」
ーーーー
あとがき
ーーーー
そもそも、なぜバイキンってアルコールで殺せるんでしょう? あんこパーンチでバイバイ菌しちゃうわけじゃないですよね。
調べたらタンパク質が変性するのだとか。それってあんこパーンチで顔の形が変わっちゃうってのと似てるかも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます