第114話 離宮前の騒動

 1063年1月中旬 イタリア北部 アルベンガ離宮 ジャン=ステラ(9才)


 眠い目を擦りつつ、薄暗い寝室の窓をあけると、地中海からの冷たい風が僕の体を包み込んできた。


(うぅ、今朝も寒いね)


 朝早いのに、眼下の港町は多くの人が忙しそうに動き回っている。わいわいがやがや、とてもにぎやか。

 町の人々がいつもより騒がしいのも無理はない。今日はお母様主宰のアルベンガ大宴会の日。


 街角全てのパン屋さんは、支給された上質な小麦でパンを焼いている。お肉屋さんは豚の丸焼きを作り始め、野菜屋さんはどこからもってきたのか大きな鍋でシチューを作っている。道々を歩く人々は楽しそうな声を上げながら、薪や材料を運んでいる。


 賑やかなのは、アルベンガ離宮も同じこと。昨日から多くの客が滞在しており、いつもとは違う雰囲気が漂っている。


 近隣に領地を持つトリノ辺境伯配下の貴族たちと、同じく近隣の上位聖職者達。そして小麦手形を引き受けてくれた商人のうち爵位を持っている者たちが離宮の別館に一室を宛がわれている。


 彼ら自身が大声で騒いだりはしないけど、彼らに給仕する人達が離宮内をあっちへこっちへと動き回っているから、結果的ににぎやかになってしまう。


 忙しそうに立ち回る人々をみていると、わくわくした気持ちが胸に広がっていく。


(お祭りって、何か特別な事が起こりそうな予感がするよね)


 そんな僕の熱意に護衛のロベルトが水を差してくる。


「ジャン=ステラ様、お客人が多いと警護の手が薄くなります。宴会以外は自室にとどまっていただきますようお願いいたします」

「えー。せっかくのお祭りなのに部屋の外にも出られないの?」

「昨日、離宮前で騒動がありました。念のためとアデライデ様から仰せつかっております」

「お母様が? それなら仕方ないかぁ。それにしても騒動って何があったの?」

「昨日、クリュニー修道院の護衛として訪れた修道院騎士2名が、武装解除せずに離宮に入ろうとしたのです」


 お母様は大宴会の主賓として、クリュニー修道院長を招待した。小麦高騰に苦しむローマ市民への援助をクリュニー修道院経由で行うため、その労に感謝を表すためである。


 そもそもの発端は、ローマ市民の窮状を見かねたイルデブラント助祭枢機卿が、トリノ辺境伯家に援助を求めての事だった。しかし、トリノ辺境伯の主君であるハインリッヒ4世がローマ教皇と対立しているため、お母様が直接ローマ市民を援助することはできなかった。


 それは、そうだよね。敵に援助するなんて、武田信玄に塩を送る上杉謙信くらいのものでしょう。その謙信だって家臣が塩を勝手に送ったら怒るんじゃないかな。


 そこで、まずお母様がクリュニー修道院に寄進をし、その半分をローマ市民の援助に回すという密約で決着がついている。それにしても仲介手数料50%って高いよねぇ。まあ仕方ないけど。


「そういえば、昨日、門のあたりが騒がしかったけど、あれが護衛とのもめごとだったんだね。結局どうなったの?」

「はい、鎧と槍は預かりましたが、はなは遺憾いかんなことに、剣を持った騎士が2名、離宮の別館に滞在しております」


 僕の護衛のロベルトの顔が険しい。吐き捨てるような言い方で、怒りの感情を隠しきれていない。


「いくら主賓とはいえ、どうして門で揉めるのかなぁ。仲良くできればいいのにね」

「クリュニー修道院の奴らめが、トリノ辺境伯家を舐めているのです! 我が方が友好的な態度を示そうにも、相手が敵意丸出しだったのです。仲良くできるはずありません」


 ありゃりゃ。ロベルトを宥めようと思ったのに、火に油を注いでしまったみたい。


 なんだか、今日の宴会、無事に終わるのか不安になってきちゃったよ。


 お祭りを前にしたわくわく感が急速にしぼんでいくのを僕は感じた。

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