第115話 戦争までの距離

 1063年1月中旬 イタリア北部 アルベンガ離宮 ジャン=ステラ(9才)


 遠くからお祭り騒ぎのにぎやかな声が聞こえてくる。正午をすぎたので、アルベンガの平民たちにワインがふるまわれているのだろう。


 いいなぁ、僕も祭りの雰囲気を味わいたかった。もちろん今の身分で街中に出ていくなんて型破りなことはできないのはわかっている。


 それでもお母様の執務室にいて、剣呑な雰囲気の騎士たちに囲まれているという現実には、何か違うでしょって文句をいいたい。


 執務室にはお母様と僕の護衛騎士に加え、盾を持った騎士が壁際に控えている。それだけでも物々しいのに、伝令の兵士たちが出たり入ったりを繰り返している。お母様と護衛隊長が何やら相談しつつ、あちこちに指示を飛ばしているのだ。


 ちなみに僕は蚊帳の外。ぽつんと置いていかれてる感じでちょっと寂しいけど仕方ないよね。


「ねえ、お母様。離宮門で揉めたのは騎士2名ですよね。剣を持っているとはいえ、たった2名に対する警戒にしては大袈裟おおげさすぎませんか?」


 昨日、クリュニー修道院の護衛騎士と一悶着ひともんちゃくがあった。2人が武装したまま離宮に入ろうとしたのだ。


「たしかに離宮内にいる護衛は2名だけですよ。しかし、クリュニー修道院一行はアルベンガまで船2そうに乗ってきたのです。オールの漕ぎ手まで入れたら100名近くの兵士がアルベンガに来ているのです。それでも大袈裟だと思いますか?」


「ひゃ、100人! どうしてそんなに大人数なのです?」

「船2そうなら漕ぎ手だけで60人でしょ。雑用夫も含めたら100名といっても驚くほど多いわけではないのよ」


 地中海で使われている船はガレー船。人の力でオールを漕いで進む、言ってしまえばとても大きな手漕ぎボート。大きなガレー船だと漕ぎ手だけで100名にもなるらしい。蒸気機関がない時代は何でも人力頼りだから大変だよね。


「それでも、アルベンガに来るだけなら、船は1そうでもいいはずですよね。どうして2そうなんでしょうか?」


 アルベンガは地中海に面しているから船で来るのはわかる。しかし、2そうに分けてくる必要性がわからない。


「そんなの私にもわからないわ。でも、理由はどうでもいいの。万が一の事を考えて今、軍の手配をしているのよ」

「万が一って?」

「それは決まっているわ。戦争よ」

「せ、せんそう! そんなに簡単に戦争を始めちゃっていいの?」

「始めたくて始めるわけじゃないわ。でも、相手が戦争を仕掛けてくるなら仕方ないじゃない」


 確かに、相手が戦争を仕掛けてきたら、こちらだって応戦するしかない。

 え、「話せばわかる?」そんなわけないじゃない。蹂躙して殺されるのがオチでしょう。


 それでも、こんな簡単に戦争って始まるものなの? 

 日常の延長線上に戦争があるのかと、唖然あぜんとしていたら、お母様がぎゅっと抱きしめてくれた。


「怖がらなくても大丈夫ですよ、ジャン=ステラ。軍を手配するのも万が一のためです。それにクリュニー修道院の方が兵力に劣っているのです。警戒されているのが分かれば、ほこを振り上げることもないでしょう」


 つまり、警戒している事を見せれば、それが抑止力になるという事らしい。

 ただしそれは、「戦争する覚悟がなければ、戦争を防ぐことはできない」ということでもある。


 前世の日本は平和だったんだなぁ、と思わずにはいられない。



 ◇  ◆  ◇


「アデライデ様、ジャン=ステラ様。準備が整いました。会場にお越しください」


 執事の誘導に従い、お母様と僕は執務室を後にする。


 宴会場へと続く廊下で、硬い表情のお母様と事務的な話をする。


「ねえ、ジャン=ステラ。言い忘れていましたが、今日の主賓はクリュニー修道院・副院長のスタルタスで、副賓ふくひんがイルデブラント様になります」

「あれ? 主賓は修道院長ではないのですね」

「修道院長のユーグ・ド・クリュニー様は、スペインのカスティーリャ王国に行っているそうよ」


 大宴会への招待状を出したのが1か月ちょっと前だったから、修道院長ユーグの都合が付かなかったらしい。そこで、副院長のスタルタスが代理としてアルベンガに来たようだ。


「あとは、そうね。テーブルの下に護衛がいるけど、驚かないでね。決して、テーブル下をきょろきょろとのぞき込んだりしないのよ」

「はい、わかりました」


 真剣なまなざしのお母様にあわせ、僕もコクコクと真面目にうなずく。


 あーあ。せっかく美味しい料理が並んでいる宴会だというのに、楽しめるような雰囲気ではなくなっちゃったよ。がっくし。

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