第245話 血統

 1065年6月上旬 北イタリア トリノ ジャン=ステラ


「ジャン=ステラ、あなたを試すような事を言ってごめんなさいね」


 僕を見つめるアデライデお母様の表情が、まるで教会に飾られている聖母像みたいに優しいものへと変化した。


「でも一度だけ、あなたの本音を聞いてみたかったの。本当にマティルデ様でいいのか、と」


「お母様! 僕の答は先ほども言いました。マティルデお姉ちゃんがいいのです!」


「ええ、わかっていますよ。しかし、すこし私の昔話を聞いてもらえないかしら。多分、もう今しか話す機会がないと思うのよ」


 ちょっとプンプンしている僕と違い、お母様は穏やかに遠くを見つめるような目をしている。


 その事に気づいた僕が首を縦に振ると、お母様は自身の昔話を語り始めた。


「あなたに話したいのはオッドーネお父様のことなの。オッドーネ様は私と結婚したことで、言われのない数々の中傷に見舞われました」


 僕が2歳の時に暗殺されたオッドーネお父様は、もともとサヴォイア伯爵家の四男だった。


 僕の護衛を務めているグイド達と同様、家を継げるような立場にはなく、また長男のスペア扱いされる次男でもない。あるいは三男ならば聖職者としての教育が施されただろう。


 だが、四男以下というのは気楽な立場ではあるものの、基本的に教育もそこそこに外へと追い出されることになる。


「オッドーネお父様の結婚相手は、結婚三回目の私でした。


 一回目の結婚相手はシュバーベン大公家、そして二回目はモーリエンヌ侯爵家でした。

 そのため伯爵家のオッドーネ様は、多くの殿方からの嫉妬を受け、いやな噂を流されたのです」


 アデライデお母様の配偶者として、お父様はトリノ辺境伯の地位に就くことになった。


 それは、諸侯の次男以下からすると信じられないような幸運に見舞われたように感じたのだろう。


『いいよなぁ、幸運だけで辺境伯になれて』

『知識も武力も血筋がなくてもいいなら、俺の方が美男子なのに』

『貴族となる教育を受けてない四男なんだぜ、すぐ馬脚を露わすさ』

『辺境伯になれるからって、後家の婿になるってか? おれなら嫌だね。商人の娘でも処女がいい』


 そんな噂が帝国中に流布されたとお母様は告げる。


 噂の矛先はオッドーネお父様にとどまるわけもなく。


「もちろん、私に対しても酷い噂は流されましたわ」


『二度の結婚とも数年で夫が死んでるぞ。今度の婿がいつ死ぬのか賭けないか?』

『どうせ実権はアデライデ様が握るんだろう。お飾りの夫となるオッドーネ様は可哀想だな』


 アデライデお母様と結婚したオッドーネお父様は、強い嫉妬を周りから抱かれていた。僕はその事を嫌と言うほど理解した。


 人に歴史ありと言うけれど、両親の悲しい話は聞いていて楽しいものではない。僕は自分の心がシュンと落ち込んでいくのを感じつつ言葉を絞り出した。


「まったく、ひどい話ですよね」


「ええ、そうね。ひどい話でした。しかしね、ジャン=ステラ。


 羨望、嫉妬。そのような感情を抱かせるのが、貴族の爵位というものなのよ。


 ジャン=ステラにはその重みがわかるかしら?」


「え? どういう意味ですか? お母様。話の繋がりが分かりません」


 お母様とお父様が誹謗中傷された悲しい過去話だとおもっていたら、いきなり貴族の重みという抽象的な話に変化してしまった。


 わざわざ過去の話を、しかも「今しか話す機会がないだろう」とまで前置きしていたのだ。重要でないはずがない。しかし、お母様は何を僕に伝えたいのか、さっぱりわからない。


 そんな僕をみたお母様がため息を一つ。「やはりね」というお母様のつぶやきが僕の耳に届いた。


「ジャン=ステラ、あなたはマティルデ様と結婚するのでしょう。そのマティルデ様はトスカーナ辺境伯なのですよ。そしてあなたは辺境伯の息子とはいえ四男なのです。


 オッドーネ様と同じくあなたにも嫉妬と羨望の強い眼差しが注がれ、多くの中傷めいた噂が流されることでしょう」


「お母様の言う通り、マティルデお姉ちゃんと結婚したら僕にも、心ない噂が流されるのでしょうね。


 ですが、お母様。僕って王様ですよ?」


 僕はすでにカナリア諸島王の位を持っている。なんとも情けない名称だけど、王位には違いない。それに、アオスタ伯爵でもある。爵位なしでお母様と結婚したオッドーネお父様とは意味合いが違うんじゃないかな。


「たしかに表面上、ジャン=ステラは王です。


 しかしながら、カナリア諸島王といった所でほとんどの諸侯はどこにあるのかも知りません。


 教皇猊下がお認めになった王位ですが、存在を積極的に広めるどころか、隠蔽いんぺいしています。


 そのため、小さな子供が『ぼくはヴァルハラ王だぞ』『私はジパング女王よ』と言ってるように聞こえているでしょうね」


 うーん、確かにそんな感じがしないでもない。新大陸に到達したエイリークだって、証拠となる品物は何一つとして持って帰ってきていないもんね。


 僕は苦笑しつつ、お母様に同意する。


「お母様の言う通りですね。実際に僕はまだ11歳ですし、子供の戯言ざれごとと言われると返す言葉がありませんね」


 アデライデお母様が眉間に皺を寄せつつ、首をゆっくり左右に振る。


「ジャン=ステラ、それがダメなのよ。いいこと、貴族にとって爵位とは命を賭す価値のある存在なの。それをジャン=ステラ、あなたは軽く扱いすぎているわ」


 お母様は、爵位にもっと敬意を払えという事だろうか。


 僕としては十分敬意を持っているつもりなんだけど、それをここでお母様に主張しても仕方ない事は僕にもわかる。


「お母様、ご忠告ありがとうございます。これからはもっと大切な存在として扱おうと思います」


 お母様の言葉に反発したいわけじゃない。きっと平等であった前世の記憶がまだまだ邪魔していて、無意識のうちに、それが表に出ていたんだろうね。


 マティルデお姉ちゃんと結婚するんだったら、もっと中世の価値観に馴染まないといけないのだろう。がんばらなきゃ。


 だというのに、お母様はまだまだ不満と不安が尽きないみたい。というか、僕の無理解に頭を抱えてしまっている。


「はぁ。ジャン=ステラ、そうではないのよ。どういったらいいのかしら」


「お母様。具体的に僕の何がだめで、どうしたらいいか教えてください。それなら僕も理解できると思います」


 このままではいつまで経ってもお母様と僕の認識は平行線のままだろう。だったら、僕がどのように行動すればいいか、直接教えてもらえばいい。


「具体的に、ですか。そうですね。それが手っ取り早いわね」


 早速、お母様が問題点を指摘し始めた。


「ジャン=ステラ、あなたは貴族の血に対する認識が弱すぎます。血筋の持つ意味と力についてもっと学んでください」


 え? これが具体的なの?

 先ほどお母様が言っていた、貴族の爵位に敬意を払えという事と何が違うのだろうか。


 疑問が顔に出ていたらしく、お母様はマティルデお姉ちゃんを使って、説明を試みてくれた。


「マティルデ様をカノッサ城から連れ出し、結婚するのですよね」

「もちろんです、お母様」

「では、その後はどうするつもりなのですか」


 僕の頭の上にはきっと疑問符がいくつも並んでいると思う。


 お姉ちゃんの名前が出ている点では具体的になった。しかし、血とか血筋とかと、どのように繋がっているのか、さっぱりわからない。


「結婚して幸せな家庭を築くつもりですよ、もちろん」


 僕の答を聞いたお母様の顔が驚愕の色に染まっていった。

 あぁ、お母様の目ってそんなに大きく見開けるんだ。そんな場違いな事が頭に浮かんでしまう。


「ちがいます! そんな事は聞いていません。というか貴族にとっての幸せな家庭についてジャン=ステラは理解しているのですか? いえ、そんな事を聞きたいのではありません。いったいどう説明したらよいのやら……」


 幸せな方がいいに決まっているよ、ね? うん、僕は間違ってないと思う。


 一体何がどうなっているのやら。

 お母様も説明に困っているみたいだけど、僕も全くわけが分からない。


「マティルデ様とはどこで暮らすつもりなの?」

「アルベンガの離宮で暮らそうと思ってましたけど、だめですか?」


 僕の領地ならカナリア諸島とアオスタが頭に浮かぶ。しかし、地中海に面したアルベンガの方が暖かくて気候もいい。住み慣れてもいる。


 そこで、僕はこのままアルベンガの離宮に住み続けたいという思いを遠慮がちに口にした。


 遠慮がちなのは、アルベンガ離宮ってトリノ家代々の所有物であって、僕のものじゃないからね。


「はぁ、やはり」とお母様が肩を落とす。


「あのね、ジャン=ステラ。マティルデ様は、トスカーナ辺境伯なのよ。それは分かっているわよね」

「それは、当然知っています」

「ならば、どうしてアルベンガに住むなどと言うのです。カノッサなり、フィレンツェなり、トスカーナに住むのが当然でしょう!」


 語気を荒らげるお母様だが、どうしてそんなに怒るのだろう。


「もちろん、カノッサでもフィレンツェでもいいですよ」

 マティルデお姉ちゃんが一緒だったら、別にどこに住んだっていい。しかし、そこに立ちはだかる大きな問題が一つある。


「しかし、お母様。カノッサもフィレンツェもゴットフリート3世の支配下にあるから、住めませんよ」


 そもそもゴットフリート3世をトスカーナから駆逐できるのなら、マティルデお姉ちゃんの奪取作戦なんて必要ないもの。


「だ・か・ら、マティルデ様と結婚するというのに、結婚後になぜトスカーナを奪還しないのですか!」


 興奮しちゃったお母様がとうとう叫びだしちゃった。

 けれども現実問題として考えたら、無理だってすぐわかりそうなもの。


「先ほども言いましたが、僕たちトリノ辺境伯家よりも強いゴットフリート3世がいる限りトスカーナ奪還なんて無理ですよね?」


「無理だからと諦めるな、と言っているのです!」


「そんなことを言われても……」


 無理を通せば道理は引っ込むとは言うけれど、無理を通そうとして戦争に負けちゃったら全てを失うかもしれないんだよ。


 別にトスカーナなんて欲しくないし。お姉ちゃんがいて、トマトがあればそれでいいもん。


「ジャン=ステラ、あなたは誹謗中傷の噂が流されてもいいのですか? 


 噂のまとはあなただけではありません。マティルデ様もその対象となるのです。


『年若い男にたぶらかされて、トスカーナを捨てた女』と言われ、歴史にもその名を刻まれてしまうのですよ」


 そう言われてみると、確かにちょっと困るかな。僕自身への悪い噂は無視できても、マティルデお姉ちゃんに悪い噂が流されるのは嬉しくない。


「うーん、それはちょっと嫌かもしれませんね」


「ちょっとではありませんよ、ジャン=ステラ!


 マティルデ様の血はトスカーナそのものであり、トスカーナの正当な支配者はマティルデ様しかいないのです。


 夫となるあなたがトスカーナの血筋をおとしめてどうするのです。


 広大な新大陸の王となる事が約束されたあなたにしてみれば、トスカーナは取るに足りない土地なのかもしれません。

 しかし、マティルデ様にはトスカーナがその全てなのですよ。


 男らしくトスカーナを支配なさいっ」


 男らしくと言われても困ってしまう。しかし、お母様は全く引く気はなさそう。


 だったら、ここは僕が折れるしかないかぁ。ため息を抑えつつ、僕はお母様に了承の意を返すことにした。


「はいっ、分かりました! 精一杯の努力でトスカーナの奪還を目指す所存であります」


 ちょっと投げやりな言い草になっちゃったけど、にこっと笑っておくから許して欲しいな。


「トスカーナの支配だけでは足りませんよ、ジャン=ステラ。あなたとマティルデ様を誹謗ひぼうした者全てに、その報いを与える事。そうしないと、あなたもマティルデ様も、そして私たちトリノ辺境伯家の者もめられてしまいます」


「え、そこまでする必要があるのですか?」


「当然ではありませんか! そうしないとその報いは、あなたの子孫に及ぶのですよ。裏切者には死を、そしるものには相応の報いを与えなければならないのです。


 そもそもですよ、ジャン=ステラ、あなたがもっとしっかりしていれば……」


 あーあ、お母様の演説みたいな長広舌ちょうこうぜつが始まっちゃった。


 なぜか途中に僕に対する愚痴が散りばめられている気もするけど、それも仕方ないかな。お母様にいっぱい苦労をかけたし、心配もしてくれたもの。


 ちょっとばかりのリップサービスでお母様が満足するのなら、それでいいのかもしれない。


「お母様、わかりました! 僕は世界の半分を支配します!」


「そ、それでこそ私の自慢の息子です!」


 実はね、お母様。例の世界を半分こにする条約でもう達成しているんですよ。


 カナリア諸島より南の土地は僕のものって教皇庁が認定してくれた条約がその根拠。


 世界六大陸のうち、南アメリカとオーストラリア、そして南極大陸がカナリア諸島よりも南にある。

 さらには、その一部がカナリア諸島より南にある北アメリカ大陸もが僕の領地。


 ほらね。6つのうち4つの大陸が僕の支配領域だと条約が規定しているでしょう。半分どころか66%が僕のもの。



 その土地に住む人がいるから実質的な意味はないけれど、教皇が認めた条約だから、キリスト教的には世界の半分の支配者だよね、僕。


 喜んでいるお母様を殊更ことさらがっかりさせる必要もないし、ここは言わぬが花を貫いておかなきゃね。


 とはいえ、マティルデお姉ちゃんがトスカーナを必要とするならば、僕も真剣に奪還を考える必要がありそう。


 はぁ~。

 どうやったらゴットフリート3世からトスカーナを奪い返せるのかな。


 ため息が執務室の空気に消えていった。



 ■■■ 嫁盗り期限まであと2ヶ月 ■■■

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