第41話 アデライデの出陣
1057年2月中旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ郊外
トリノの冬は長い。
川の水が凍る程の寒さにはならないが、馬の手綱を握る手がかんじかんでジンジンしている。
「こんな寒い日は、暖かい部屋に籠ってのんびりと過ごしたかったわ」
馬の上でアデライデは心の中で愚痴をこぼす。
今はトリノ南方の町、アスティへとトリノ辺境伯軍を率いて向かっている途中である。
結婚前の若かった頃は女騎士ともてはやされただけあり、栗毛の馬にまたがるアデライデの姿は堂に入っている。鎧を着て背筋をピンと伸ばしたその様子は、銀世界の背景と相まって一幅の絵のように美しい。
しかし、アデライデとて好き好んで軍を率いているわけではない。
トスカーナ辺境伯ゴットフリート3世が軍を動かす準備をしていると知らせが届いたのだ。
◆ ◇ ◆
連絡係の将校が、一人の男を連れてアデライデの執務室へと入ってきた。
その男の頭にはすこし雪が積もっており、外からやって来た事がわかる。
身なりを整えずに執務室へ入ってきた男を咎めるような視線が侍女から発せられているが、アデライデは手で侍女を制した。
大至急で報告すべき何かがあったのだろう。
そうでなければ、連絡係が小汚い男を執務室に通すわけがない。
「報告します。ゴットフリート3世が軍の招集を命じました。集結場所はフィレンツェ」
「寒い中、急ぎ知らせを届けてくれた事に感謝します」
「はっ。もったいないお言葉です。」
頭の雪を落とす時間も惜しんで報告を届けてくれた密偵に労いの言葉をかける。
軍の情報は鮮度が第一。
それも、夫オッドーネを暗殺した仮想敵であるゴットフリート3世の情報である。
敵が軍を動かしたとあれば、こちらも急いで準備を整える必要があるのだ。
その動向に関する情報は千金に値する。
「集結した後、どこに進軍するかはわかりますか?」
「いいえ、その情報はありません」
「そう。ありがとう。報酬を受け取りなさい。さがっていいわ」
「はっ、失礼します」
アデライデは銀貨が数枚入った袋を男に渡すよう、執事に目配せをした。
連絡役の将校と密偵の男が部屋を出ていった後、摂政見習いとして執務室に詰めていたジャン=ステラが口を開いた。
「お母さま、ようやく敵が動きました」
「ええ、そうね。思ったよりも遅かったわね」
「あまり早いと、『自分がオッドーネを暗殺しました』と主張するようなものですからね」
「たしかにそうね」
2人はくすくすと笑いだした。
アデライデとジャン=ステラは、ゴットフリート3世が軍を動員する事を予想していた。
動員の意図は、トリノ辺境伯軍の動きを観察するため。
我々が軍の招集に手間取るようなら、ゴットフリート3世はしめしめとばかりに、こちらに攻め寄せてくるだろう。
軍隊が守っていない領地を占領するなぞ誰にとっても容易な事。素早く領土を奪い取り、自領への編入を既成事実と化すであろう。
一方、我々が軍を素早く動員できたなら、攻め寄せてくることもない。
軍が揃っていては素早く領地を占領する事なんて不可能である。
我々トリノ辺境伯家とゴットフリート3世のトスカーナ辺境伯家はともに神聖ローマ帝国の家臣なのだ。
素早く占領して既成事実にできるならともかく、もたもたしていたら危機感を抱いた他の諸侯から袋叩きにあう事は間違いない。
つまり、我々もゴットフリート3世も素早さが明暗を分ける事になる。
「それでは、手筈通り軍を率いて南へ移動します。留守をよろしく頼みますね、ジャン=ステラ」
「はい、お母さま。暗殺防止の秘密道具をわすれないでくださいね」
「ええ、わかっているわ」
我々が素早く軍を動員した場合、ゴットフリート3世が攻め込んでくることはないだろう。
しかし、それだけで終わるとは思えない。
我々に隙があれば、今後はアデライデの暗殺を試すに違いない。
トスカーナ辺境伯軍に対抗するために軍を動かすルートは限定される。
そうであれば、暗殺するために待ち伏せをする事もできるだろう。
そう考えたジャン=ステラは、摂政見習いの初仕事として、暗殺防止策を講じたのであった。
ーーー
後書き
いつもお読みいただきありがとうございます。
短いですが、まだレポートが残っているのでここで終わりにします。
次回は暗殺防止策とは何か?について書きます。
近況:
中間レポートも残すところ来週締切の1本となりました。
このレポート、昨年落としてしまったので、今年は再提出になります。
さすがに、昨年落ちたレポートをそのまま提出したらダメですよねぇ。
どこを直せばよいのかわからないため、まったくやる気が浮かばず、代わりに小説書いているダメな子状態になってます……
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