第42話 陣幕と母衣1 シルク

1057年2月上旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


父オッドーネが毒矢で暗殺されて以降、僕は暗殺を防ぐ手段はないかと考えていた。


「一度成功したんだから、二度目も成功するんじゃないか?」


暗殺を命じた者が、再度の暗殺指令を出すことは容易に予想される。


これはビジネスやギャンブルでも同じこと。

たとえビギナーズラックであっても、一度成功の味をしめてしまうと、同じこと繰り返してしまうものだ。


だからこそ、今度は絶対に成功させてはいけない。

なにせ次のターゲットは、母アデライデなのだ。


「そうは言ってもねぇ。どうしたものやら」


ふぅと大きくためいきを出す。

同じ独り言を何度つぶやいた事か。


意気込みだけで、何か思いつけるわけもない。ジャン=ステラもそれはわかっている。

それでも、焦る気持ちと不安とを抑えられないのだ。


アデライデが暗殺されてしまった未来。

それを少し考えるだけでも恐ろしい。


「でも、どうしたものか」


ジャン=ステラの思考は、対応策が思いつかない悩みと将来の不安との間を往復するばかり。


あーでもない、こーでもないと呻吟しんぎんしていた僕の思考は侍女リータの声に中断された。



「ジャン=ステラ様、そろそろアデライデ様との面会のお時間ですよ」

「そうだったね。今日は新しい服を作るんだったっけ?」

「はい、その通りですよ、ジャン=ステラ様。摂政見習いとして家臣一同にお披露目するための服を新調するのです」

「どんな服になるのかな。僕、とっても楽しみだよ」

「まぁ、ジャン=ステラ様ったら」


そういって侍女のリータが口に手を添えて小さな笑い声をあげた。


中世ヨーロッパに生まれかわってからというもの、僕の服は全て兄姉のおさがりだった。


「辺境伯ってすごい上位の貴族だよね。なのにその子供がおさがりなの?」


最初は不思議に思っていた。


だが、布がすごく高価なのだ。

現代からは考えも及ばないが、糸の材料を集める事がとても大変。

そして材料を紡いできれいな糸にするのにも人手がかかる。

最後に糸から布を織るのも大仕事。


現代みたいに、「気軽に新しい服を買ってきて、汚れたら捨ててしまう」、なんて到底できない。

汚れていても使い続けるし、穴が開いても布を当てて補修する。

たとえそれが貴族の家庭であっても新調するのは基本的に最上位の者。

トリノ辺境伯家の場合だと、アデライデと、今は亡きオッドーネの2人だけなのだ。


つまり、領主でもなく爵位も持たない2歳児の服を新調するなんてありえないような出来事なんだよね。


「ねえ、リータ。僕にはどんな服が似合うかな」

「ジャン=ステラ様はお日様のような明るい金髪をお持ちなので、濃い色の服が良いのではないでしょうか」


先ほどまでの悩みと不安はきれいさっぱり抜け落ち僕は、侍女リータと他愛のない話をしながら母アデライデの執務室へと入っていた。


「お母さま、お待たせしました」

「あら、ジャン=ステラ。もう準備は整っていますよ。こちらに来てちょうだい」


にこやかな笑みを満面にうかべたアデライデがソファーから立ち上がり、僕を執務机の方に誘う。

その机の上には、丸く巻かれた筒状の白布が山積みになっている。


「すごい数の反物ですね」

「一口に布と言っても、いろんな種類があるのよ。糸の種類も違えば、織り方も違うもの」


アデライデがとても嬉しそうにいろいろと説明してくれる。


「糸の種類は大きく2つあるのよ」

綿や麻といった植物繊維から作った糸と、羊や山羊の毛といった動物繊維で作った糸。

同じ糸が採れた場所によっても特長が違うらしい。


そして織り方も布が作られた地方によって特長があり、耐久性や光沢に大きく差がでるのだとか。


そういった僕からみると細かすぎる話が延々と続いている。


(お母さまの説明、ながすぎるよー)


アデライデが嬉しそうなので、感心した振りをして素直に聞いていた。

すると、興に入ったのか話が全く終わりそうにない。


なんとかならないものかと、部屋にいる侍女や執事の方を見てみる。

残念な事に、ふむふむと、感心したような表情を浮かべ、お母さまの説明に耳を傾けている。


だれも、お母さまの暴走を止めてくれそうにない。

というか、暴走だと思っているのは僕だけかも……


ほんとガックシである。


もういい加減、そろそろ終わってほしいなーと思い机上の反物に目を遣ると、そこには一本だけ明らかに光沢の違う布があった。


「お母さま、この布は特別な布なのですか。一本だけ光り輝いているように見えるのですが」

「あら、ジャン=ステラ。この布が気になるだなんて、良い目をしているのね」


アデライデがその反物に手を伸ばし、一巻分だけ布を引き出して見せてくれた。

薄いクリーム色の生地が、光を反射してキラキラと輝いているようでとても美しい。


「この布は私も最近初めて目にしたものなのよ。シルクって言うのですって。

この生地を使ったら誰からも称賛される素敵な服が出来上がると思わない?」


東方の遠い国から遊牧民が運んできた貴重な品なのだと、再びアデライデの長い説明が始まってしまった。


そんなアデライデを傍目に、僕は思いを巡らせる。


お母さまの言う東方の国って中国にちがいない。

つまりシルクロードを伝ってヨーロッパまで届いたって事になる。


中国からイタリアまで1万キロくらいあるよね。

この布は1万キロを旅してきたんだ。


歴史の教科書で学んだ出来事が目の前にあるのだと、ちょっと感慨深くなる。


そう思いながら、目の前のシルクの布を撫でてみる。

柔らかくて、とても滑らかな手触りが、僕の指を心地よく刺激してくれる。


「ふふっ」

僕の口から自然と笑みが零れてきた。

こんな肌ざわりの布に触るのは、転生してから初めてだから、ちょっと懐かしく感じる。


シルクのインナーをいくつか持っていたっけ。

大学に通っていたころはたまに使っていたけど、働き始めてからはついぞご無沙汰だったなぁ。


頭の中で連想ゲームが始まってしまったみたいに、過去の情景がいろいろと思い出される。

生まれ変わってまだ2年しか経っていないのに、ずいぶん昔の事に感じてしまう。


(そうそう、前世の私がお世話になった牧場の倉庫にシルクの布地が置いてあったっけ)

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