第40話 辺境伯の地位


1057年1月下旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


“甘いものって幸せを運んできてくれるよねー”


久しぶりに口にしたハチミツ以外の甘味に心を奪われ、もっともっと食べたいなと心を躍らせていた。

そんな僕に、母アデライデは少し言い淀みながら、それでいて軽い口調でこう言った。


「ジャン=ステラ、あなた辺境伯になってくださらない?」

「はい?」


突然のお願いに、僕の頭は理解が追いかない。

傍から見れば、頭の上にはてなマークが浮かんでいるような、変な顔をしているんじゃないかな。

そう気づいた僕は、慌てて口を閉じた。


アデライデとは、砂糖の入った甘いお菓子が沢山食べたいって話をしていたはず。


「お母さま、砂糖の話をしていましたよね」

「ええ、そうね」

「それがどうして、僕が辺境伯になるっていう話になるんですか?」

「なぜって、甘いものがたくさん食べたいからよ」

「ですから、甘いものと辺境伯が繋がらないんですってば」


語尾がちょっと荒くなっているけど、仕方ないよね。

だって、僕が理解できない事を、お母さまが理解してくれないんだもの。


「繋がらないのですか?」

とアデライデが不思議そうに小首をかしげている。

そして、話を続ける。


「ジャン=ステラ。あなたはピザとかいう食べ物のために、遥か西方まで行きたいと言っていましたよね」


前世で大好きだったじゃがマヨコーンピザ。

もう一度食べたいと願っても、一番大切なトマトが中世ヨーロッパに存在しない。

イタリアに転生したのに、ピザが食べられないと憤慨し、アメリカ大陸に行くって口走ったのは事実。


しかし、ピザと砂糖、そして辺境伯がどう繋がっているのか見当がつかない。


「食べる事に情熱を燃やすあなたが領主になったら、砂糖をたっぷり食べるために頑張るんじゃないかと思ったの」

「えーと。お母さまの中の僕って、美味しい食べ物に目がない食いしん坊なんですか?」

「あら。ちがったかしら?」


確かにトマトソースを作るには砂糖が必要になる。

しかし、それは些細な事。

砂糖代わりにハチミツが使えるから、それほど砂糖にこだわりはない。


「うーん。たしかに美味しいものは食べたいですけど、辺境伯になるかどうかとは別問題ですよ」


中世ヨーロッパには6世紀に成立したサリカ法典というものがある。

このサリカ法典の相続条項によりサヴォイア家は長男が相続してきた。

つまり、父オッドーネの長男であるピエトロが家督を継ぐことになっている。


この慣習を崩して僕が後継者になったら、貴族たちから反感を買うだろう。

ただでさえオッドーネが亡くなったため、軍司令官が不在なのだ。

僕が辺境伯を継いだところで、二歳児が軍の指揮をとれるはずもない。


女であるアデライデが指揮をとるよりも、より一層サヴォイア家は侮りを受けるに決まっている。

そして、戦争をふっかけられる危険性は飛躍的に高まるだろう。


そんな事がわからないお母さまではないと思う。

アデライデは本心では、僕に辺境伯になって貰いたいとは思っていないだろう。


“だったらなぜ、お母さまは僕に辺境伯を継がないかと聞いてきたのか”


理由がわからない。


「お母さま、もし僕が辺境伯になってしまったら、トリノ辺境伯家は今よりも危険になりますよね。

 それが解らないお母さまではないでしょう」

「その通りよ、ジャン=ステラ。ゴットフリート3世がトリノに攻め込んでくる可能性はきっと高くなるわ。

 でも、長い目でみたら、あなたが辺境伯になった方が上手くいくと思ったのよ。  

 それに、あなたなら軍の指揮だって出来るわよ」


アデライデが僕の目を見ながら、僕を諭そうと口を動かしている。


でもね、お母さまの信頼が重い。重すぎますって。

だって僕、2才児ですよ。戦場に立つのは無理すぎる。


史実で戦場に立つ2才児なんていたっけ?


ぱっと頭に浮かんだのは三国志の阿斗。

長坂の戦いで趙雲の胸に抱えられて戦場を脱出したという逸話がある。

当たり前だけど、2歳児が戦場に出ても厄介者でしかない。



前世と合わせたら30才を超えているけど、軍隊なんかと無縁の日本で過ごしてきた。

だから、戦場という暴力の嵐の中に入ったら、腰が抜けてへたり込んでしまうだろう。


“むりむりむりー”

どう考えたって無理。


「まってくださいよ、お母さま。軍の指揮が出来るって、一体何を根拠に言っているのですか?」

「あなたのお父様、オッドーネよ」


オッドーネがアデライデに残した遺言を教えてくれた。


『アデライデ、俺を信じろ。

 おまえがジャン=ステラを頼れば、あいつはそれに応えてくれる』


「ね?」 とアデライデが僕に爽やかな笑顔を向けてくる。


「えっと、軍のグの字も入っていないんですけど… 」

少し目を細め、僕は抗議の視線をアデライデに送るが、アデライデはどこ吹く風といったところ。


「でも、『信じる』って軍に限ってもいないわよ」

そうアデライデはのたまう。


“お母さま、それって詭弁きべんじゃないですか?”


僕の心がそう訴えてくるが、お母さまはまだまだ引いてくれなさそう。


僕は辺境伯なんかになりたくない。

だって、辺境伯は他の人でも勤まるけど、アメリカ大陸からトマトを持ち帰るのは僕にしかできない。


トリノは良い場所だけど、辺境伯として土地に縛りつけられるのは御免こうむりたいのだ。


「お母さまの言い分は分かりました。私の事を信じてくれてありがとうざいます。

しかし僕は辺境伯にはなりたくないのです」


僕は自分の心境を率直に語った。


話してい途中、

「わたしを助けてはくれないのですか?」

とアデライデに訴えかけられたが、なんとか辺境伯にならない事を認めて貰った。


認めて貰いはしたものの、アデライデが小さく悲し気に呟く声が僕の耳に届いてくる。


「これからずっと私一人でトリノ辺境伯家を支えていかないといけないのね」


長男ピエトロは9才でしかない。

成人とされる15才までまだ6年間もある。

6年もの間、領地と子供たちアデライデ一人で守るのは大変な事だろう。


“辺境伯にならないという僕の決断は正しかったのかな”


その思いが僕の胸のあたりをぎゅっと締め付けてくる。

体は2才でも、精神年齢はきっと30才。

軍を率いて戦場には立てなくても、何か出来る事はあるだろう。


「お母さま、一つ提案があります。僕をお母さまの摂政にしてください」


摂政というのは、女性や未成年が君主の場合、君主に代わって政治を行う役職である。


「ええ、それは構いませんが、ジャン=ステラが摂政ですか。

 あなたが辺境伯になるよりも変ではありませんか?」


アデライデは女辺境伯なので、摂政を置くことは問題がない。

しかしその摂政が幼児というのはおかしすぎる。

幼児が辺境伯になるよりも、幼児が摂政になるという方が奇異に映るだろう。


「では、摂政見習いではいかがですか」


貴族の男児は6才を過ぎると、騎士見習いとなり武技を磨きはじめる。

9才の長男ピエトロも、7才の次男アメーデオも騎士見習いになっている。


見習いという言葉を付ければ良いというものではないが、アデライデの政務を手伝う理由にはなるだろう。



「ジャン=ステラが摂政見習いという不思議な職に就いた」

この出来事は後世の歴史書で次のように記されることになる。

サヴォイア家の隆盛、ここに始まる、と。



ーーーーー

ジ: ジャン=ステラ

ア: アデライデ


ア: あなただけ見習いになると悪目立ちしない?

ジ: じゃあ、兄妹も見習いになってもらいましょう

ア: ピエトロとアメーデオはもう騎士見習いになってますよ

ジ: 2人は領主見習いになってもらいましょう

ア: それ、いいわね

ジ: アデライデねえには花嫁見習い

ア: あの子なら喜びそうね。三男のオッドーネはどうする?

ジ: オッドーネにいは宮廷司祭見習いってのはどうでしょう

ア: 一族に一人は聖職者が必要ですものね



ーーー

後書き

いつもお読みいただきありがとうございます。


現在、授業の中間レポートに追われています。

追い越されて、締切過ぎてしまったものもあり、危機的状況を迎えています。

小説を書いて現実逃避をしていたいのですが、そうも言ってられなくなりました。

当分の間、更新が遅れる事になりそうです。

申し訳ありません。


もしよろしければ、フォローして頂けましたら幸いです。


これからもよろしくお願いいたします。

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