摂政見習い

第39話 甘味の罠?

1057年2月上旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


「ジャン=ステラ、ちょっと休憩しませんか?」


母アデライデが僕に断りを入れてから侍女を呼び出して、なにやら指示を与えている。

それを僕はぼーっと眺めていた。



長かったアデライデとの話し合いもようやく一段落ついた。


内容を簡単にまとめると次のようになる。

父オッドーネ暗殺の黒幕、ゴットフリート3世への復讐は、短期長期の両方で行うことがきまった。

短期とは、ゴットフリート3世本人への暗殺を無理しない範囲で継続すること。

そして、長期とはトリノ辺境伯領を豊かにする事。それもトスカーナ辺境伯家が導入すると失敗する方法で。



“本当に長かったよねぇ。腕を回したら肩がポキッて鳴るんじゃないかしら。”


もう頭がへとへと。こんな時、前世だった甘いものを食べたのにな。

チョコレートが食べたーい。


職場に常備していたあめ玉、どうなっているかな。

夏場にチョコレートを引き出しに入れておいたら、でろんでろんに溶けてしまって悲しかったなぁ。


今となっては、甘いものなんて食べたくても食べられない。


次々と頭に浮かぶ甘味に数々。

それをブンブンと音が出るほど首を振って追い出した。


“はぁ” と大きなため息が僕の口から出てきたのも仕方ないよね。


そんな時、僕の足元を冷たい風が通り抜けた。


アデライデの執務室のドアが空き、侍女とともに外の冷気が入ってきたのだ。


「お待たせしました。ご指示通りの飲み物をご用意いたしました」


机に置かれたガラスのコップから湯気が出ている。

中身は薄い黄色。


「これは何ですか?」

「うふふ。 私のとっておきの飲み物よ」


僕の疑問にアデライデは答えず、僕に飲むように促す。


暖かいコップを両手で持ち、においをかいでみる。


“レモンかな?”

柑橘かんきつ系の爽やかな香りが僕の鼻をくすぐってきた。

疲れていた頭がすこしシャキッとした気がする。


「レモンの香り、ですよね」

「ええ、そうね。イタリアの南にあるシチリアで採れたレモンよ。いい香りでしょう?」


アデライデは、わくわくしながら僕の顔をじっとうかがっている。


きっと、この飲み物に仕掛があるんだろう。

僕が飲む瞬間を今か今かと待ち構えている。


「なんだか、いたずらっ子みたいですよ、お母さま」


アデライデはとっても楽しそう。

感情は人から人へと伝染するとは良くいわれる。

その言葉通りに僕も楽しくなってきた。


わくわくと気持ちが高揚する中、飲み物を口に入れた。

鼻腔びこうに広がる香りと同時に、舌が甘さを伝えてくれる。


「あまい !」


ジュースみたいなガツンとした強烈な甘さではなく、ほんのりとした甘さ。

その甘さがレモンの酸味とまじりあって、僕の頭を刺激してくる。


“これって、レモネードだ”


甘いものを諦めていた所に、こんな素敵なサプライズ。


“そっか、中世にも甘味はあったんだ。この甘味って、はちみつだよね。

だったら、チョコレートは無理としても飴玉なら作れそう”


いたずらが成功した時のような笑みを浮かべたお母さまに、甘さの秘密を聞いてみた。


「この甘さはハチミツですよね?」

「おしい!」


あれ、ハチミツじゃないの?


「甘いでしょう? 香り付けにハチミツも少しだけ添えているけど、砂糖の甘味なの。

 ハチミツとちがって、強くて刺激的な甘さでしょ? 」


“えー! もう砂糖があるの!” と僕は心の中で叫び声をあげた。

中世ヨーロッパに砂糖ってあったんだ。

カリブ海のプランテーション農業で有名だったから、大航海時代までないと思ってた。


驚きの表情を浮かべる僕に対し、アデライデはしてやったりとばかりに胸をそらし、嬉しそうに解説してくれた。


「驚いてくれて嬉しいわ。 甘いものはハチミツだけじゃないのよ。

ジェノバの商人からの献上品の中にすこしだけ入っていたの。

アフリカ大陸の新商品だそうで、少量なら仕入れる事ができるようになったのですって」


僕とアデライデとで驚いているポイントが違うみたい。

アデライデはハチミツ以外の甘味、それも強い刺激的な甘味に驚いたみたい。


前世で甘味料たっぷりのジュースを飲んでいた僕にとって、このレモネードは甘さ控えめ。

刺激的な甘味とは思えなかったけど、これは認識の違いでしかない。

砂糖がたっぷり手に入るなら、いろんな甘味を作ってお母さまを驚かせてあげちゃおう。


それはさておき、僕の嬉しそうな顔を見ようとサプライズをしてくれたアデライデにはとても感謝している。


「すごいです。 お母さま。僕とっても驚きました」


“そうでしょう、そうでしょう”と得意げにうなずくアデライデに、僕は言葉を追加する。


「砂糖を使った美味しいものをもっと食べてみたいです」

「そうね。私も食べたいわ。でもね」

「でも?」

「お砂糖って希少なのよ」


アデライデはちょっとだけ残念そうに教えてくれた。

砂糖はあまり流通していないようで、お金を積んでも買えないそうである。

もちろん値段も高く、砂糖と同じ重さの銀貨とを交換すると商人に言われたらしい。


それって、砂糖1gが銀1gって事だよね。

たっか!


レモネードって思って気軽に飲んじゃったけど、貴金属を飲んでいるようなものじゃない。

辺境伯という上位貴族であるアデライデが「とっておきの飲み物」だと言うだけの事はあった。


僕が口をあんぐりと開けて驚いていたら、茶目っ気を含んだ声でアデライデが問いかけてきた。


「砂糖ってすごいわよね。あれほど刺激的な甘さを体験した事ないもの」


コクコクと僕は頷く。

その通り。刺激的かどうかはさておき、砂糖を嫌いな人ってダイエットしている人くらいだろう。

そのダイエット中の人も、太らない砂糖があったらきっと大好きだろうしね。


「ジャン=ステラも、もっとたくさん食べたいわよね」

もちろん、とばかりに僕は強く頷く。


「私ももっと食べたいわ。だからね」


そこまで言って、アデライデは口を止めた。

言うか言わないか、少しためらっているみたい。


そんなアデライデに先を僕は促した。

「だから? 」


「ジャン=ステラ、あなた辺境伯になってくださらない?」

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