第259話 カノッサ最強

 1065年7月下旬 アルプス山中 セプティマー峠 ジャン=ステラ


「マティルデお姉ちゃん、どうして僕と一騎打ちするなんて言うの?」


 九年ぶりに会ったというのに、マティルデお姉ちゃんが僕に槍を突きつけてきた。


 お姉ちゃんに恨まれたり、憎まれているような事をしたのだろうか。全く身に覚えがない。

 交換していた暗号のお手紙を読んだ限りでは、僕が迎えにいく事を待ち望んでいるとしか思えなかったのに。


「ジャン=ステラは約束通り、私を迎えにきてくれたもの。別に怒っていないわよ」


 怒っていないと口では言っているけれど、マティルデお姉ちゃんは明らかにぷりぷり怒っている。


「確かに八月までに迎えに来てと伝えたわ。だけど、もう少し早く迎えに来てくれてもよかったんじゃない?


 カノッサ城を出て、ドイツに向かうことになった時の絶望感をジャン=ステラに知ってもらいたかったなんて、これっぽっちも思っていないわよ。ええ、これっぽっちも」


 マティルデお姉ちゃんと結婚したいなら、今年の八月までに迎えにくるようにとの手紙を僕は受け取っていた。


 僕はそれを、八月まで・・に迎えに行くのではなく、ではなく八月迎えに行けばいいと思っていた。


 だって、少しでも準備の時間が欲しかったんだもん。


 しかし、僕を待っていたマティルデお姉ちゃんにしてみれば、もっと早く迎えに来て欲しかった事は想像に難くない。


 それに、ゴットフリート三世の命令でドイツに向かうことになった時、マティルデお姉ちゃんは、僕との結婚は叶わないと観念したのだと言う。


「ドイツに行ってしまったら、イタリアから遠く離れてしまったら、ジャン=ステラとの結婚は無理だろうと、一度は諦めたのよ、私」


 お姉ちゃんが、非難の目で僕をにらんでいる。


「ああ、ええと、その……。お姉ちゃん、ごめんね。僕、気づいていなかった」


 マティルデお姉ちゃんが、期待と不安にさいなまれながらカノッサ城で待っていた事を、僕は全く想像していなかった。


 すこし考えれば分かったはずのお姉ちゃんの気持ちに気づかず、アルベンガ離宮でのうのうと過ごしていた事が恥ずかしい。

 それに、僕がもうちょっと頑張れば、新大陸の発見にかまけていなければ、お姉ちゃんをもっと早く迎えにいけたかもしれない。


「ええ、大丈夫。もう気にしていないわ。だから、一騎討ちをしましょう」


 話が一周して元に戻ってきた。


 お姉ちゃんが本当に怒っていないなら、どうして僕と一騎打ちなんてしたいのだろう。


「どうしてお姉ちゃんと僕が一騎打ちしないといけないの?」


「どうしても何も、一騎打ちの約束をしたじゃない」


 おかしいな。そんな約束、僕はした覚えがないんだけど。


 何かの間違いか、勘違いじゃないだろうか。


「何を言っているのよ、ジャン=ステラ。つい先ほど、約束したばかりでしょう。忘れたとは言わせないわよ」


「ついさっき、約束した?」


「ええ、そうよ、これをご覧なさい」


 一片の羊皮紙を僕に渡すよう、マティルデお姉ちゃんが従者に指示を出す。


 渡された紙には、一騎打ちするにあたって、ゴットフリート三世と交わした約定が書かれていた。


 一つ、カナリア諸島王とトスカーナ辺境伯による一騎打ち

 一つ、武器は馬上槍

 一つ、相手を殺しても構わない

 一つ、敗者が生き残った場合、勝者は一つだけ命令できる


 この約束が、お姉ちゃんとどう関係するのだろう? 羊皮紙を見せられても、まだよくわからない。


「なにを言っているのよ、ジャン=ステラ。私こそが正統なトスカーナ辺境伯なのよ」


「あ!」


 確かに、羊皮紙の最初にそう書いてある。

 カナリア諸島王である僕と、トスカーナ辺境伯であるマティルデお姉ちゃんとが一騎打ちする、と解釈できないこともない。


「いや、でも、お姉ちゃん。これって、ゴットフリート三世と一騎打ちするための約束であって、お姉ちゃんとの約束じゃないよ」


「そんなの知らないわよ。きちんと名前で指定しないのが悪いんでしょ」


 こんなことってありなの?

 僕は護衛のロベルト、ティーノ、グイドに目で問いかける。


 すると三人とも、ちょっと呆れたように苦笑しつつ、僕にうなずきかえしてきた。


「相手してさしあげたらいかがです?」

「どうせ女子供のお遊びですよ」

痴話喧嘩ちわげんかには関与したくありません」

 まるでそんなことを言っているみたいだった。


 はぁ、とため息一つ。


 仕方がない。お姉ちゃんの怒りを解くためにも、一騎打ちの相手をするしかないか。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「お姉ちゃん、ヘルメットはかぶらないの?」


 一騎打ちの準備のために一度下がったマティルデお姉ちゃんが、再び僕の前に姿を現した。


 背筋をピンと伸ばし、馬上に座るその姿は、見惚れるほどに凛々りりしい。

 そして、手入れの行き届いた長い髪が谷風に吹かれて、ふわふわと背中で揺れている。


「いやよ、髪が乱れるもの」


 一言で、きっぱりと拒否された。


 僕としては、安全のためにもヘルメットを使って欲しい。

 しかし、問題点はもう一つある。


「じゃあ、盾を持っていないのはどうして?」


 お姉ちゃんは、槍を両手で持っている。

 つまり、相手の槍を防ぐための盾を、お姉ちゃんは持っていないのだ。


「盾なんて必要ないわよ。だって、カノッサ城で一番強い騎士は私だもの」


 一騎打ちが強くても、盾を装備しない理由には、普通はならない。

 腕と手を守る防具であるガントレットで防ぐのだろうか。


 僕の疑問は放置されたまま、おねえちゃんの話は進んでいく。


 カノッサ城での一騎打ち試合において、マティルデお姉ちゃんは、常勝無敗を誇っているらしい。


 馬上で不敵な笑みを浮かべたお姉ちゃんが、胸をはって豪語する。

「一騎打ちで私に勝てる者など誰もいないのよ」と。


「わぁ、お姉ちゃん、お城で一番強いんだ。すごーい」

 などと、当然思うわけもなく、不安でしかない。


 不安といっても、一騎打ち相手が強いからじゃない。

 マティルデお姉ちゃんがだまされているんじゃないかとの心配からくる不安なのだ。


 女性であるお姉ちゃんの体格は、日々体を鍛えている騎士よりも2回りも3回りも小さい。


 一騎打ちに2、3回勝ったことがある程度なら理解できる。

 しかし、負けたことがない? そんなのありえない。普通なら、おかしいと疑うべきだろう。


 もちろんマティルデお姉ちゃんが、一騎打ちの天才という可能性もちょっとはあるのだけど……。


 そうこうしている内に、お姉ちゃんが一方的に一騎打ちの開始を宣言した。


「ジャン=ステラ、じゃあ、いくわよっ!」


 勇ましい声を挙げたマティルデお姉ちゃんが、両手に構えた槍を頭上に振りあげる。


 そして助走もつけず、馬をトコトコと歩かせて、ぼくの横にマティルデお姉ちゃんがやってきた。


 一騎打ちなのに、どうして近づいてくるの?

 お姉ちゃんの行動の意図がわからない。


 すると「えいっ」という短い気合とともに、まき割りみたいに槍を振り下ろしてきた。


 危ないっ。

 いきなりの攻撃に驚いたけれど、僕は難なく盾で防いだ。


 次いで、「とりゃー」という可愛い声とともに、横なぎの槍が僕を襲う。


 もしも、お姉ちゃんの槍さばきの凄さを効果音で表すとしたら、「へろへろ~」とか「ふにゃふにゃ~」がふさわしいと思う。


 その攻撃は大ぶりで、軌跡も見え見えだから、避けるのも盾で受けるのも簡単だ。


 ーーこれでカノッサ城最強?


 お姉ちゃんの腕前に負ける騎士がいることが信じられないんですけど……。


 お姉ちゃんの猛攻(?)を盾で軽くいなしつつ、「本当に最強なの?」と、トスカーナ辺境伯の騎士たちに目線で問いかける。


 案の定、騎士たちは全員、僕から目線をそらした。


 あぁ、やっぱりね。

 お姉ちゃんに華を持たすため、わざと負けたんだろうね。


 あーもう、この一騎打ち、どうやって終わらせたらいいの?


 勝つだけなら簡単だけど、下手な勝ち方をしたら、お姉ちゃんが怪我けがをしてしまう。


 ヘルメットをかぶっていないから、落馬で決着をつけるわけにいかないし、盾を持っていないから、うかつに槍を繰り出せない。


 ーーああっ、どうすればいい?


 僕が悩んでいる間も、お姉ちゃんの攻撃は続いている。


「ふんっ」「おりゃー」と頑張って槍を振り回している。


 試しに、お姉ちゃんの槍を槍ではたいてみた。もちろん、お姉ちゃんの体に槍が当たらないよう、慎重に気を付けながら。


「ジャン=ステラっ! 何するのよ! 騎士が女性を攻撃してはだめなのよ! あなたの名誉が損なわれてもいいの?!」


 お姉ちゃんの強烈な口撃が返ってきた。

 えーん、お姉ちゃん、そりゃないよぉ。


 しかし、納得いったこともある。どうりでカノッサ城の騎士が、お姉ちゃんに勝てないわけだ。


 騎士が女性を攻撃してはだめ、名誉を失うと主君に言われてるのに、その主君であるマティルデお姉ちゃんに攻撃できるわけがない。

 万が一、お姉ちゃんに勝ってしまったら、主君の命令に背いた罪で良くて失職、悪くすると一族郎党の首が飛ぶことになる。


 たしかに、そういう意味でマティルデお姉ちゃんは「カノッサ城最強」というのは間違っていないね。

 僕は一人納得してしまった。


 とはいえ、事態はまったく変わっていない。


 一騎打ちを見守っていた兵士たちも、状況が変だということに気づいたみたい。


 ただし、

「神聖な一騎打ちを汚していいのか!」

「まじめにやれっ!」

 と怒りを含む方向ではない点は幸いだと思う。


 不穏な空気はなく、どちらかというとお笑いの方向に進んでいる。


「ジャン=ステラ様、負けるな~」

「負けたら尻に敷かれてしまいますぞ~」 


 僕たちをはやし立てて、笑いながら応援している。


「マティルデ様も負けるな~」

「いい婿を手にいれる機会ですぞ~」


 ゴットフリート3世と一騎打ちをしていた時の緊張感は、どこにいってしまったのだろう。

 ここは神に見られている戦場じゃなかったの?


 とはいえ、こちらの方がアイモーネお兄ちゃんから教えてもらった一騎打ち本来の姿に近いんだよね。

 一騎打ちの当事者以外は、娯楽の一種としてみんなで楽しむ、という意味では。


 今回は僕が当事者だから、楽しんでいられないのが残念だ。


 ーー見ているだけの外野は気楽でいいなぁ。


 そんなことを考えていたせいで、よそ見をしていた僕はお姉ちゃんの不意打ちをくらってしまった。


「ゴツン」「あいたっ」

 お姉ちゃんの振り下ろした槍が、僕の槍に強く当たる。


 その衝撃により手から槍がすっぽ抜けて、地面に落ちた。


「勝者、マティルデ・ディ・カノッサ!」


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 あーあ、負けちゃった。


「負けたら神の鉄槌がマティルデ様に下るのではないか」などと心配する者は、誰もいない。


 後から聞いた話では、神に誓った一騎打ちは5試合だけ、という事だった。

 そして、ゴットフリート3世に僕が勝利した時点で、戦争は僕の勝利で終わっていたらしい。


 つまり、マティルデお姉ちゃんと僕の一騎打ちは、戦争終了後の余興として扱われていた。


 どうりで護衛達が「一騎打ちしてくればいい」と、気軽に僕を送り出したわけだ。



 周りを見渡すと、余興扱いだったのがよくわかる光景が広がっていた。

 マティルデお姉ちゃんの軍だけでなく、僕の軍までもがマティルデお姉ちゃんの勝利を祝っているのだ。


「ジャン=ステラ様、これでマティルデ様の尻に敷かれる事が確定しましたな」

「わっはっは、かかあ天下万歳ですな」


 祝っているというか、笑われているよね。これって。


 それでも、

「ジャン=ステラ様、万歳、マティルデ様、万歳!」

 と叫んでいる者が多いから、まあいいのかな?


 両軍がマティルデお姉ちゃんの勝利に湧き、喝采を叫ぶ中で、マティルデお姉ちゃんが僕に小声で話しかけてきた。


「ジャン=ステラ、胸を張りなさい。私に負けたことはなんら恥ずかしいことではないのよ」

「それって、マティルデお姉ちゃんがカノッサ城で最強だから?」


「ばかねぇ、そんな話を真に受けたらだめよ。私に華を持たせてくれているに決まってるじゃない。


 あなたも『マティルデは強い! すごい!』って褒めておけばいいのよ」


 マティルデお姉ちゃんよりも僕の方が一騎打ちに弱いなんて、誰も信じないから安心しろと、言ってきた。


「それに、これでトスカーナにジャン=ステラを迎え入れる準備ができたもの」


 マティルデお姉ちゃんに華を持たせることによって、トスカーナを僕が強権的に上から支配することはないと示せた、らしい。


 戦場の勝者は僕だけど、夫婦喧嘩げんかの勝者はマティルデお姉ちゃん。

 少なくとも、トスカーナ辺境伯の家臣たちが矜持を守るための逸話として使える、と。


「その証拠に、トスカーナの軍も『ジャン=ステラ様、万歳』って言っているでしょう」


 僕が負けることで、トスカーナの統治が円滑に進むことになるだなんて、なんとも、びっくりだよね。


 もしかして、マティルデお姉ちゃんが一騎打ちを仕掛けてきたのは、この効果を狙っていたのだろうか。


「そんなの偶然に決まっているじゃない。私を買いかぶりすぎてはだめよ」


 ほっぺを少し赤くしたマティルデお姉ちゃんが、照れながら否定した。


 まぁ、そういう事にしておこうかな。

 ニヨニヨしていたら、マティルデお姉ちゃんににらまれた。


「なによ、もうっ!」

「本当に何でもありませんって、マティルデお姉ちゃん」


「あ、そうだ。ジャン=ステラ。一騎打ちの報酬ほうしゅうは覚えているわよね。あなたへの命令を今ここで発表するわ」


 一騎打ちの勝者は、敗者に一つ命令できる。これが約束だった。


 この一騎打ちは余興だったはずなのに、約束だけが有効なのは釈然としない。


 でも、まぁ、いいか。


 お姉ちゃんなら、「ジャン=ステラ、あなた死になさい」なんて命令することもないだろう。


 むしろ、

「ジャン=ステラ、あなたは私を一生愛すると誓いなさいっ!」

 みたいなちょっとラブラブな命令だったら嬉しいな。


 うん、きっとそうに違いない。僕がマティルデお姉ちゃんに勝っていたら、そんな命令にするだろうから。


「マティルデお姉ちゃん、僕への命令はなに?」


 ちょっとドキドキしながらお姉ちゃんの言葉を待つ。


 そうねぇ。お姉ちゃんはちょっと間を置いてから、大輪の花のような笑顔でこう言った。


「ジャン=ステラは私のお願いを3つ聞くこと!」

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