第258話 らすぼす
1065年7月下旬 アルプス山中 セプティマー峠 ジャン=ステラ
「ジャン=ステラ、出てこい! 俺が一騎打ちの相手になってやる!」
ゴットフリート三世が、一騎打ちの相手に僕を指名してきた。
ええっ。どうして僕が? そんなことを言われても困る。一騎打ちなんてしたくない。
十歳の子供に一騎打ちを挑むなんて、ありえない。それって児童虐待だよね。
それに、老護衛のロベルトが一騎打ちにでる予定なんだもの。優先順位は守らなくっちゃ。
「ロベルト、ゴットフリート三世の相手をよろしくっ!」
ゴットフリート三世と一騎打ちするよう僕はロベルトに
しかし、だめだった。ゴットフリート三世の前まで行ったものの、身分不相応だと追い返されてしまった。
「元男爵だとぉ、ふざけるな! 辺境伯家の当主である俺と釣り合う爵位保持者を出してこいっ!」
辺境伯と釣り合うというと、男爵でもだめだよね。伯爵以上かぁ。
僕の周りを見渡しても、伯爵家当主どころか、男爵家当主すらいない。なにせ今回のカノッサ奇襲軍は、貴族家の三男坊以下で構成されている。
つまり、ゴットフリート三世に釣り合う爵位持ちは、カナリア諸島王位とアオスタ伯爵位を持つ僕しかいないということになる。
「一騎討ちを拒否したらだめかな?」
周りに聞いたら、グイドが即座に否定した。
「ゴットフリート三世が出てくるのは予想外でしたが、一騎打ちの取り決めには合致しております。
一騎討ちを断るのは、戦場の作法としてもよろしくありませんし、ジャン=ステラ様が約束を守らないお方だと言われてしまいます」
五試合目の一騎打ちは、貴族家当主か元貴族が行うという条件で、グイドが交渉をまとめたのだ。
老護衛のロベルトに花を持たせるための条件だったのに……。それが、まさか僕に一騎討ちが回ってくるとは。
ゆううつな気分の僕に対して、グイドと老護衛のロベルトは嬉しそうなんだよね。
「ジャン=ステラ様の武勇を世間に知らしめる良い機会ではありませんか」
「グイドの言うとおりです。神のご加護に守られたジャン=ステラ様が負けることはございません! にっくきゴットフリートに身の程を教えてやってください」
はぁ、思わずため息が出てきた。
ついさっき、四番目の一騎打ちで負けたばかりなのに、二人とももう忘れちゃったの?
どこから、これほどの自信が湧いてくるのか不思議でならない。
はぁ、とため息をついていたら、ゴットフリート三世の怒声が戦場の空気を震わせた。
「ジャン=ステラ、早く支度を終えて出てこいっ!」
「一騎打ちの条件を詰めるのが先だっ!」
僕は負けずに叫び返した。
そしてグイドにお願いする。
「ちょっと時間稼ぎしてきてよ、その間に準備するからさ」
馬の準備、槍の準備はすぐに整う。
でも、心の準備は…...全然できてないんだよぉ。
生まれて初めての一騎打ち。練習ではない本当の一騎打ち。相手を殺すつもりで槍を突き出さないと、相手に殺されちゃう。
そう思っただけで、心臓がバクバク飛び
「ジャン=ステラ様、大丈夫、勝てますよ」
ティーノの言葉はまるで事実を告げるかのように、重みをもって響いてくる。
でも、ちょっとだけ不快。
「ティーノも、神の加護があるから負けないと思ってるの?」
ちょっと皮肉を込めて言うと、ティーノは即座に答えた。
「いいえ、違います」
きっぱりとした返答に、僕は思わず顔をあげた。
「それはランスレストです」
ティーノは少し誇らしげに言った。
ランスレストとは、右脇に
「これさえあれば、槍の穂先が安定し、長い槍を自在に操れるのです」
だから、最初の三人は一騎打ちに勝ったのだとティーノが力説する。
ーーランスレストって、そこまで
2年前、今よりも小さくて腕の力の弱かった僕は、馬上で槍をうまく扱えなかった。
なんとかしようと、ティーノと一緒に考えたのがランスレストだったんだよね。
「じゃあ、四人目のエンリコが負けたのって?」
「エンリコは槍を上から叩きつける技を得意としていました。そのため、槍を脇に
つまり、三連勝は神の加護でも偶然でもない。すべてランスレストのおかげだ。そして四人目のエンリコが負けたのは、単に実力の差だった。
「その通りです。ランスレストがあれば、小柄なジャン=ステラ様でもゴットフリートに勝てます!」
ティーノと一緒に考えたランスレストで一騎打ちに勝てる。つまり神の加護でも預言者でもなく、技術で勝つ。
そう思うと、ほんの少し、だけど確かな自信が湧いてきた。
これなら...…技術でならゴットフリート三世に間違いなく勝っている。
僕がようやく心を決めたその瞬間、グイドが時間稼ぎを終えて戻ってきた。
「準備は整いましたか?」
グイドの問いに僕は小さくうなずく。
「それはよろしゅうございました。では、一騎打ちの条件をお伝えします」
一つ、カナリア諸島王とトスカーナ辺境伯による一騎打ち
一つ、武器は馬上槍
一つ、相手を殺しても構わない
一つ、敗者が生き残った場合、勝者は一つだけ命令できる
ゴットフリート三世の殺意が透けて見える気がする。僕を殺す気でいるんだろうね。
それにしても、一騎打ちって、ちょっとワイルドな貴族のスポーツじゃなかったの?
よく
それなのに僕が負けた場合、「ジャン=ステラ、お前、死ね」って命令できるのは、さすがに酷すぎる。
一応、グイドに確認しておこう。
「ねえ、グイド。最後の『命令』って制限はないの?」
「はい、もちろんです! ジャン=ステラ様がゴットフリート三世に対し、どのような命令を下すのか、楽しみにしております」
グイドは「いい仕事をしてきました!」と言わんばかりの満足げな笑顔を浮かべている。
ああ、もう。グイドのあんぽんたんっ。どうして僕が勝つ前提で交渉してくるかな。
最近は兵站準備で僕の
それなのに、負けた時に命を失うような条件で交渉をまとめてこないでよ。
しかし、僕が抗議しても「預言者であるジャン=ステラ様が負けるわけがありません」って言うんだろうなぁ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ジャン=ステラよ、待ちくたびれたぞ!」
ゴットフリート三世は怒りに燃えるような顔で、僕に文句を浴びせてきた。
まったくもう。急に一騎討ちをする羽目になったんだから、ちょっとくらい待ってくれてもいいじゃない。
それに、僕だって文句の一つや二つは言ってやりたい。どうして僕が一騎討ちをしなくちゃならないんだ!
「一騎打ちの相手に僕を指名したせいだろ? 王である僕が、格下である辺境伯を相手にするのだ。感謝してもらいたいものだな」
頑張ってゴットフリート三世を
「どこにあるかも知れぬ王国の王位をありがたがるのは、ジャン=ステラ、お前くらいだろう。どうせ、そのカナリア諸島とかいう場所に、行ったこともないのだろう?」
確かにカナリア諸島には行ったことない。でも、ヨーロッパと違って冬でも暖かい素敵な場所だと思うよ。
トリノの冬は寒いから、カナリア諸島には本当に憧れちゃう。
あ、マティルデお姉ちゃんとのハネムーンで、カナリア諸島に行くのはどうかな。
でも、そもそもハネムーンという習慣はなさそうなんだよね。ということは、僕たちが世界初のハネムーナーってこと?
「カナリア諸島王というのは、教皇が認めた王位なのだがな。ゴットフリート三世よ、お前は教皇の権威に楯突くのか? ならば、キリストの教えに反する者として、僕が成敗してやろう」
「はっ。偽の預言者がぬかしよる。この一騎打ちで、お前の化けの皮を
神が味方だと互いに主張し終えた後は、ただ一騎打ちという名の殺し合いを始めるのみ。
馬上の僕とゴットフリートは、お互いに背を向けて離れていく。馬が助走できる距離を空けるのだ。
反転して、向き合い、槍を構える。
恐怖と興奮が入りまじり、心臓がドクドクドクとうるさく脈打つ。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせる。
ランスレストのおかげで、槍の穂先はゆれていない。
ゴットフリート三世と目が合う。その瞬間、僕は馬腹を蹴り飛ばした。
カカッ、カカッ……
全力疾走。風が強く顔に当たる。
ゴットフリート三世の首を狙い、槍の穂先をまっすぐ向けた。敵の盾で槍が弾かれないよう、右脇に全力で力をこめる。
「ゴッ」「ガキッ」
すれ違いざまに響く、2つの打撃音。
僕の槍は、敵が盾を打ち付けて逸らし、
僕の盾は、敵が振り下ろす槍を受け止める。
馬は走り続け、二人の距離をどんどん引き離していく。
盾を持つ左手がジーンと
こぶしを強く握り、手の感覚が鈍くなるのを必死に抑えた。
ーーくぅ、ゴットフリートの馬鹿力め
そもそも十歳の僕とゴットフリート三世とでは体格差がありすぎる。
大柄な男が振り下ろしてくる槍を、盾で受け止め続けるのはさすがに厳しい。
ーー弱気になっちゃだめ! こっちにはランスレストがあるんだもん。
ランスレストのおかげで、僕の槍の方が長い。長い分だけ、僕の槍は相手に早く届く。
僕の槍を防いだゴットフリート三世は、馬上でバランスを崩していた。
ランスレストのおかげで、穂先がしっかり固定されていたからだろう。
ーー大丈夫、負けてない。
馬を反転させる。ゴットフリートと向き合い、もう一度、馬の腹を
「ゴッ」「ガキッ」
またしても山に響く同じ打撃音。
再度、馬を反転、そして全力疾走。
三度目の交差。静寂だけが響く戦場で、僕たちは無音ですれ違った。
ゴットフリートが馬上で、体を右に傾ける。盾を使わず、僕の槍を見事にかわした。
空を切る僕の槍。
ゴットフリートの槍もまた空を切る。体を傾けすぎて、狙いが大きく外れていた。
四度目の交差。
ゴットフリート三世の体が前後左右に揺れている。まるで風に揺れる柳の葉のように、ふらふらと。
ーーもうっ! こんなに揺れていたら、槍で狙がつけられないよっ!
「ゴツッ」
僕の槍がゴットフリート三世の盾を叩く鈍い音が響く。ゴットフリート三世の槍は今度も大きく外れた。
五度目。
ゴットフリート三世がぐわんぐんわんと大きく、不規則に揺れている。
いくらなんでも僕の槍を警戒しすぎじゃない?
「真面目にやれっ」って言いそうになる。
しかし、命がかかっている一騎打ちだもの。ふざけているとは思えない。
だとしたら、うーん。
そういえば、どこかで見たことがある。
あ!前世で見たカンフー映画だ。
ーーまさか、
酔っぱらいの不規則な動きで相手を
まさか、ヨーロッパでは馬上で使う酔拳があるの?
僕が考え込んでいる間にも、一騎打ちが続き、馬は走っている。
ーー酔拳を警戒すべきかな?
しかし、どう対処すればいいのか分からない。
だから、僕はただ、ティーノから習った通りにやるだけだ。
揺れる相手の首に穂先を向けて、全力で突っ込む。
二頭の馬が激しく交差。
「ドゴッ」
今回も僕の槍は盾で防がれた。
だが、その瞬間、ゴットフリート三世の体勢が大きく崩れた。
いや、崩れたように見えた瞬間、予想を裏切る奇妙な角度から、槍が飛び込んでくる。
僕は必死で槍を構えて防ごうとするが、槍の軌道が全く読めない。
ーーやられるっ!
そう思った瞬間、思わず目を閉じてしまった。
だが、盾にも体にも衝撃が来ない。
あれ?っと不安になって後ろを振り向いた。
ゴットフリート3世の体が、馬上で槍を振り抜いた勢いのまま、左へと傾いていく。さらに傾き、そして……。
そのまま崩れるように、ゆっくりと馬から落ちていった。
この瞬間、僕の勝利が確定した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ジャン=ステラ、俺の負けだ。さっさと命令を言え。何でも従ってやる」
敗北したゴットフリートは、あぐらをかいて地面に座り込んでいる。
ーーうわ、酒くさい……。
捕虜となったゴットフリートは、
それはいいんだけど、上半身がフラフラ揺れていて、目の焦点が定まっていない。息を吐くたびにアルコール臭を撒き散らす、単なる酔っ払いのおっさんだ。
ゴットフリート三世が不自然に落馬したのは、馬の酔っ払い運転が原因だった。
「一騎打ちの前に、お酒飲むなよ……」
文句を言いたい気持ちは
こんな情けない酔っぱらいに、僕もトリノ辺境伯家も苦しめられてきたなんて。
まぁ、いいか。「終わりよければ全てよし」って言うしね。
ゴットフリート三世への命令は決まっている。
「マティルデ・ディ・カノッサと僕との結婚を成立させよーーそれが僕の命令だ」
ここでゴットフリート三世の命を奪っても、マティルデお姉ちゃんと結婚できるわけじゃない。
正確には面倒くさいのだ。
マティルデお姉ちゃんは、ゴットフリート四世と婚約している。
たかが婚約というなかれ。神の前で結婚を約束することが婚約なのだ。
婚約の解消とは、神との契約を破ることを意味する。
つまり正当に婚約を破棄するには、宗教的にも、手続的にもとっても面倒くさいのだ。
そのすべてをゴットフリート三世に押し付ける。
「その婚約解消は認められない! 神との約束を破るのか!」などと主張してくる有象無象に対し、「その苦情はゴットフリート三世が受け付けまーす」と返すのだ。
僕の命令を聞いたゴットフリート三世は、驚いた様子で「本当にそれでいいのか?」と問いかけてきた。
「僕の命令を聞くんでしょ? いいに決まってるじゃないか」
「わかった、その命令を
命令を受託したゴットフリート三世は、なぜだかホッとした表情を浮かべていた。
さて、これで一件落着。マティルデお姉ちゃんとの結婚も決まったし、これ以上の幸せはないよね。
そう思っていた矢先、突然に物言いがついた。
「ちょっとまったー! その婚約解消を俺は認めないっ。 ジャン=ステラ、婚約解消を賭けて俺と一騎打ちだ!」
青年を過ぎ、中年に差し掛かろうとする年頃のおぢさんが、ゴットフリート三世と僕との会話へ無遠慮に割り込んできた。
「あの無礼者はだれ?」
と小声で呟いたら、老護衛のロベルトが教えてくれた。
「ゴットフリート三世の息子であるゴットフリート四世、マティルデ様の元婚約者です」
「元じゃないっ! 今も正統な婚約者だ!」
ロベルトの声を聞きつけた四世が抗議するが、そんなの無視に決まってる。
「ゴットフリート四世よ、下がれ。爵位を持たないお前には、僕と一騎打ちをする資格などない」
僕は冷たく言い放ったが、それでも食い下がってくる。どうやら僕には威厳が足りないらしく、ゴットフリート四世を黙らせることができない。
「俺だって、爵位くらい持っている!」
ゴットフリート四世は、トスカーナ辺境伯領内の伯爵を持っているらしい。
僕もアデライデお母様からアオスタ伯を受け継いでいるし、辺境伯の跡取りなら伯爵位くらい持っていても不思議じゃない。
だが、甘い。
「たかが伯爵が、王に一騎打ちを
「なにを、この偽預言者めが。その化けの皮を……ゴフゥッ」
なおも暴れるゴットフリート四世に、横なぎの槍が一閃した。
「聞こえなかったの? ジャン=ステラの言う通りよ、さっさと下がりなさい、ゴットフリート四世」
透き通るソプラノの声が、戦場に響きわたる。
ゴットフリート四世を槍で叩きのめしたのは、豪華な鎧に身を包んだ一人の女性だった。
「マティルデお姉ちゃん!」
「ジャン=ステラ、久しぶりね。9年ぶりだったかしら。随分大きくなったわね」
さっきの冷たさとは打って変わり、マティルデお姉ちゃんの声が鈴のように可愛らしく響き、僕の耳を優しく包み込んだ。
手紙のやりとは続けていたし、肖像画も交換していた。
僕がマティルデお姉ちゃんを見間違えることはない。
とはいえ、最後に会ったのは僕が二歳の頃。それから9年も経ったんだ……。
やっと会えた。 この瞬間をどれほど夢見たことだろう。
本物のマティルデお姉ちゃんは、肖像画よりもずっとずっと綺麗で
「マティルデおねえちゃーん、会いたかったよー」
嬉しくてたまらなくて、涙声で僕はマティルデお姉ちゃんの元へと駆け寄よった。
ううん。正確には駆け寄ろうとしたら、お姉ちゃんに槍を突きつけられた。
「ジャン=ステラ、次は私と一騎打ちよ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます