第247話 留守番のアレクちゃん

 1065年6月下旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


「ジャンお兄ちゃん、僕も一緒に行く!」


 アルプス山脈を大回りして、カノッサ城を奇襲する。長征へと出発する前日になって、アレクちゃんが駄々をこね始めた。


 トスカーナ辺境伯ゴットフリート3世の視線をカノッサ奇襲部隊から遠ざけたい。そのため、サルディーニャ島を攻撃する。


 この攻勢計画の要が、アレクちゃんこと、アレクシオス・コムネノス率いるギリシア船団なのだ。


 そのアレクちゃんは、「やったぁ! 僕の初陣にジャンお兄ちゃんが来てくれてとっても嬉しいよ」って喜んでいたんだよね。ついさっきまで。


 明日の朝、ギリシア船団を含むトリノの全船団がアルベンガ離宮を出発してサルディーニャ島に向かう。ただし、僕が搭乗する船を除いて。


 僕は、石油をぶっかけて敵船を燃やす「ギリシアの火」を搭載したギリシア船にアレクちゃんと同乗する。表向きはそのように発表している。


 しかし、実際の僕はアレクちゃんとは違う船に乗る。そして、サルディーニャ島へと向かう船団から途中で離脱する。その後はマルセイユを経由し、アルル、リヨン、ベレーとローヌ川を北上し、ドイツへと向かう。


 その事を話したら、アレクちゃんが今にも泣き出しそうな顔になってしまった。


「僕の初陣に、ジャンお兄ちゃんはどうして来てくれないの? 僕、とっても楽しみにしていたんだよ」


「アレクちゃん、本当にごめんね。マティルデお姉ちゃんをお迎えに行くため、秘密の行動をしなくちゃならないんだ」


「じゃあ、カノッサまで僕も一緒に行く!」


 涙目になったアレクちゃんは、一人でも僕に付いてくると主張する。


 しかし、そんなの無理だ。だってアレクちゃんは身の回りの世話を自分で出来ないんだもの。それに馬で駆け抜ける長旅に、八歳のアレクちゃんがついてこられるとは思えない。


 だからこそ、アレクちゃんはギリシア船団を率いてもらい、僕がアレクちゃんと一緒にいるように偽装して欲しいのだ。


「カノッサ奇襲は、成功するかも分からない危険な賭けなんだよ」


 アデライデお母様は、『ハンニバルにできてジャン=ステラにできないわけがありません』などと言い放ち、自信満々だ。しかし、僕にとっては不安だらけの計画である。


 たしかに、オッドーネお父様は1か月ちょっとでイタリアとドイツを往復していた。お尻の皮を犠牲にすれば、長時間の馬上行軍にも耐えられるかもしれない。しかし、奇襲する騎馬隊は少数精鋭の、つまり小規模な部隊なのだ。ゴットフリート3世に見つかってしまえば、全滅の憂き目に合うだろう。


「奇襲が成功するためには、ゴットフリート3世に見つからずにカノッサまで移動することが重要なの。だから、アレクちゃんには、僕が一緒にいるかのように振舞ってほしいんだ」


 僕の説得を黙って聞いていたアレクちゃんが、真剣な眼差しで僕の顔を見つめてくる。


「僕の役割って、とっても重要なの?」


 顔を引き締めつつ僕は大きく首を縦に振る。


「そうだよ。アレクちゃんにしかできない大切な役割なの」


「ジャンお兄ちゃんの役立つの?」


「もちろん。だからアレクちゃんにお願いします。僕を助けて」


 僕はアレクちゃんの手を取り、もう一度お願いした。

 アルベンガに残り、そして僕がアルベンガに居るかのように振舞ってほしいと。


 数瞬の間、僕たちは見つめあった。そして、最後にはアレクちゃんが小さく頷いてくれた。


「わかった。僕、ジャンお兄ちゃんを助けるため、アルベンガに残る」


「ありがとう。マティルデお姉ちゃんをトリノに連れてきたら、どんなお礼でもするからね」


 感謝の気持ちを込め、アレクちゃんの手をぎゅっと握りしめた。


 次の瞬間、涙を溜めたような顔をしていたアレクちゃんが、にやっと笑ったように感じられた。

 まるで、草原でバッタを見つけた少年みたいに、何かいいもの見ぃつけた、って顔に書いてある。


「お礼は、どんな事でもいいの?」


「もちろん、アレクちゃんへの感謝を表すためだもの」


 アメーデオお兄ちゃんと同じでよければ、どこかの副王の位くらいすぐあげちゃう。

 不要なものを押し付けるようで気が引けるけど、アレクちゃんが欲しいというなら、カナリア諸島王だってあげちゃうよ。


「僕だって、そんなもの要らないよ、ジャンお兄ちゃん」


 そういってアレクちゃんが首を横にふる。あ〜あ、残念。責任をアレクちゃんの家臣団に押し付けられるいい機会だと思ったんだけどね。


「じゃあ、何が欲しい?」


 僕が優しい声で聞くと、かわいい答えが返ってきた。


「僕もジャンお兄ちゃんみたいにお嫁さんが欲しいな」


 そっか。僕がマティルデお姉ちゃんをお嫁に迎えに行くから、アレクちゃんも真似したくなっちゃったのかな。小さい子って、大きい子の真似っこが好きだものね。


「だれか意中の相手でもいるの? もちろん、僕でよければ相手が誰であろうと協力するよ」


「本当に?」


 上目遣いに僕を眺めてくるアレクちゃん。先ほどまで泣いていたのが嘘みたいに、にこにこ笑顔が戻ってきた。


 アレクちゃんのためだもの。仲人なんてした事はないけれど、精一杯頑張るよ。


「もちろん。アレクちゃんに僕が嘘をついたことってあった?」


「ん-ん、ないよ。ジャンお兄ちゃんは正直者だものね」


「でしょ?」


 うふふんっと僕は得意げに胸を張る。そして、アレクちゃんの願いを必ず叶えると、僕は自信満々に請け合った。


 でも、やっぱり安請け合いだったかも。王位よりも難しいものを要求されちゃったもの。


「ジャンお兄ちゃんとマティルデお姉ちゃんに娘ができたら、僕のお嫁さんにください!」

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