第199話 一騎打ちの真相

 

 1063年9月11日 ハンガリー王国領 カニス川のほとり ピエトロ・ディ・サヴォイア


「トリノ辺境伯ピエトロよ!

 我が軍1万の前にたった500の兵で立ち塞がるとは、その意気や良し!

 その豪胆さをたたえ、我、ハンガリー国王ベーラはそなたに一騎打ちを申し込む!」


 敵と味方の陣地間に広がる緩衝地帯。風にたなびく草原の緑が、そよ風に揺れている。


 豪奢な鎧に身を包んだ騎乗の男が、俺に啖呵たんかを切ってきた。


 味方と敵の耳まで届くよう、俺も負けじと大声で叫ぶ。


「おお、英邁えいまいなるハンガリー国王ベーラ陛下よ。

 我に一騎打ちをいどむという、陛下の勇気に敬意を表しましょう。


 だが、勝負とは非情なもの。我が槍の前にひれ伏すが良い!」


 言い終わるやいなや、俺たちはたがいの距離を詰めるべく、馬に拍車をあてる。


 最初はゆっくりと。

 相手との距離を測りつつ、やがて速く。


 馬の速度が上がり、そして俺の心臓も最高速で早鐘を鳴らす。


 水平に構えた槍の先には国王ベーラ。

 こちらに向かって槍を突き出し、人馬一体で突進してくる。


「うおぉぉー!」

 怖さを紛らわし、己を奮い立たせる雄叫びをあげる。


 相手まであと数歩。槍を挟む右脇に力を込めた。


 すれ違いざま、槍を相手に叩きこむっ! なんて事はしない。


 そんな事をしなくても、相手は落馬するからだ。


 俺の背後でドサッと音がする。


 ほら、な。


 さてと、あとは勝利の雄叫びをあげるだけ。この茶番劇に幕を下ろすとしよう。


「勝利は我が手にあり! ハンガリー王国の将兵よ、国王を助けたくばすみやかに降伏せよ」


 ◇  ◆  ◇



 茶番劇が幕を下ろす数時間前、俺はハンガリー王国の道を行軍しつつ、いかにして生き残るかを考えていた。


 なにせ可愛い弟のジャン=ステラが俺の生還を望んでいるのだ。

 縁起でもないが、もし俺が死んでしまったら、ジャン=ステラは泣くだろう。


 泣くだけならいいが、万が一、ジャン=ステラに堕天でもされたりしては、この世が地獄となりかねない。


「俺って、責任重大だな」

 小さくつぶやいたら、すこし笑えてきた。



「ピエトロ様、前方に敵影あり! 」


 偵察から戻ってきた斥候が、敵状を短く、大声で告げる。

 俺も負けずに大声を出す。


「大儀! 詳しく知らせよ」

「敵、森を抜けた先の平原に布陣中。我が軍を待ち構えています」

「敵数は?」

「およそ1万」


 我が軍にどよめきが走る。

「一万かっ」 「待ち伏せか?」 そんな小声のささやきが俺の耳にも入ってくる。


 そりゃ動揺もするだろう。なにせ俺が率いているのは500名。

 20倍の敵が前方で待ち構えているのだ。


 ハインリッヒ陛下が率いる主力軍が到着しないことには、どうにもならない。


「ピエトロ様、いかがなされますかな?」


 俺の隣に並んでいる老臣ヴィットーレが、微笑みながら俺に問いかけてきた。ただし、目は笑っていない。


「引くわけにいかないのなら、前進しかあるまい」

「そうですなぁ。ここで引いても命令違反ととがめられるでしょう」


 陛下の命令は先陣を切る事であって、偵察ではない。

 無茶な命令であろうとも、命令なのだ。


「森を出たところに陣を構え、後続を待つ」

「ピエトロ様、それまでに敵が攻めてきたらどうされますか?」


「そりゃ、もちろん、戦うさ。そして……」


 握りしめた拳を力強く振り上げて、俺は宣言する。


「逃げる!」


 遠くから矢を1本だけ射かけたら、全速力で後方に撤退する。

 矢一本であろうとも、戦ったことには変わりあるまい。


「ふぉっふぉっふぉっ。それでよろしゅうございます」

「ああ、俺は全力で逃げるからよろしく頼む」


 老臣ヴィットーレは生き生きとした声で全力の逃走支援を約束してくれた。


「ピエトロ様がお味方の陣にたどりつくまで、我ら騎馬隊全員、命をかけて守り切りましょう。7年前のご恩はここで返させていただきます」


 7年前のご恩とは、父オッドーネの暗殺を防げなかった事に対し、罰を与えなかった事。


 暗殺は防げなかったが、護衛たちに責任をとらせることはしなかった。

 誰一人処刑されず、誰一人解任されなかった。


 当然であるが、寛大すぎる処置には反対の声も強かった。

 部隊全員どころか、妻子までもを死刑にせよと、唱えるものもいたほどだ。


 その声にたった一人で立ち向かったのが、当時2歳のジャン=ステラだった。


『オッドーネお父様を守れなかった罪はもう、護衛一人一人の心に刻まれているよ。一生のうちにその罪を償ってくれればいい。責任は僕が持つから』


 隊員の中には、この寛大な処置をあざ笑う者もいたし、ジャン=ステラの事を影で甘く見る者もいた。

 ただし、今はその様な隊員はいない。


 当時2歳だったとはいえ、預言者であるジャン=ステラが責任を持つと言ったのだ。

 その責任の取らせ方といえば、死後の地獄行きしかないではないか。


 一生・・のうちに罪を償わなければ、地獄行き。

 そんな彼らにとってみれば、千載一遇のチャンスが巡ってきたといえるのだろう。


「ああ、ジャン=ステラにも必ずや伝えておこう」

「ピエトロ様は、そのためにも生きて帰っていただかなければなりませんな」


 そう言って、老臣はフォッフォッフォと再び笑った。



 作戦が決まったところで俺は行軍を再開する。

 森を抜け、平原に出たところで俺たちトリノ辺境伯軍は陣を構えた。


「陣幕を張れぃ!」


 四方に白い絹布けんぷを張り巡らせた本陣が、またたく間に出来上がった。


 父ピエトロが毒矢で暗殺されて以降、トリノ辺境伯軍の本陣は布で囲まれることに決まっている。


 こんなに布を、それも高価な絹の布を使うのはもったいない。

 そう思わなくもないが、俺だって暗殺されたくないしな。


 太陽が天高くから俺の頭を照らしてくる。


 四方を幕で囲まれているため、本陣には風がない。

 暑くて鎧を脱ぎたくなるなぁ、などと考えていたら敵陣から使者がやってきた。


「報告します! 敵の陣より使者と思われる騎馬がこちらに向かってきます」


 しばらくの後、取次の声と共に青年が一人、本陣に入ってきた。


「ハンガリー王国からの使者として、ラースロー王子殿下がお見えになりました」


(王子だと?)

 無言の衝撃波が本陣を貫いた。


 ラースローとはハンガリー国王ベーラの次男であり、つまり王族である。戦後交渉ならともかく、戦陣への使者となるような立場ではありえない。


 それにもかかわらず、ここにラースロー王子が来た。それは、この後に重大な交渉がひかえているという事に他ならない。


「ラースロー殿下、お初お目にかかります。トリノ辺境伯ピエトロ・ディ・サヴォイアにございます」

「うむ。ベーラ国王が次男、ラースローである。早速だが、本題に入りたい。人払いをしてもらえるか?」


 ほらきた。厄介やっかいごとの匂いしかしない。


「殿下、ここは戦場ですから、護衛を全て外すわけには参りません」

「それで構わない。よろしく頼む」


 ラースローが即答する。


(ここで断ってくれればよかったのだが、そうもいかないか)

 ため息が出そうになるのをこらえつつ、俺は人払いを命じる。


「直接の護衛を除き、陣幕の外へ出よ」


 移動用の簡易机を挟み、俺とラースローは対峙した。


「ピエトロ殿、人払いに感謝する。さて、ここから話す内容は内密に願いたい」


 俺は一つ頷きつつ、秘密の交渉である事を了解した。

「人払いした時点で、内密な話となる事は理解しております」


「それもそうだな。これは失敬、失敬」

 ラースローはひとしきり笑ったあと、顔を引き締めた。


「では、本題に入らせてもらおう。ピエトロ殿にはベーラ国王と一騎打ちをして勝っていただきたい」


「一騎打ち? 国王陛下と? 俺が? それになぜ俺に勝ちを譲るというのです?」


 思いがけない提案に、疑問の言葉がそのまま口から出てしまう。


 正直なところ、訳がわからず、頭が混乱してしまいそうだ。


 俺を混乱させた張本人であるラースローが大きくうなずいた。


「ああ、ピエトロ殿に勝ちを譲る」


「それはなぜなのか。理由は説明していただけるのでしょうね」


 眉間に皺を寄せつつ問い詰める俺に対し、ラースローは気軽、というわけではなかったが、説明を快諾してくれた。


「もちろんだとも。単刀直入に言おう。ベーラ国王はもうこの世にいないのだ。貴殿の弟、ジャン=ステラ殿に殺された」


「ちょ、ちょっと待ってください。ジャン=ステラはウィーンにいるのですよ。どうやってベーラ国王を殺害するというのです!」


 驚きで声が大きくなった俺に対し、声量を落とすようにとラースローが促す。

「ピエトロ殿、内密の話だ。静かにされよ」


 そうは言われても、納得いかないし、できやしない。


「訳のわからない事を言って、我々兄弟を侮辱するのでしたら、殿下にもそれ相応の覚悟はしていただきますぞ」


 ふざけた事を言ってもらっては困る。その思いを込めて俺はラースローを睨みつける。


「いや、失礼。だが、事実なのだ。 ……いや、事実はそれよりも悪い」


 ラースローが苦しそうな表情になり、絞り出す様な声で、真相を語りはじめた。


「ハンガリー国王ベーラ陛下は……ジャン=ステラ殿の祈願によって……神に誅殺ちゅうさつされた」


 それは9月1日の昼下がりのこと。ベーラ国王は謁見の間において、神聖ローマ帝国軍への対抗策を家臣と議論していた。


 事件は前触れもなく、突然に発生した。

 ベーラの座る玉座が台座ごと崩壊したのだ。


 そして、落下したベーラは半死半生の重傷を負った。


 その後、傷をおして戦場までやってきたが、先日その一生を終えたのだ、と。


「それは、なんとも運の悪い。無念の心中、お察し申し上げます。だが、それとジャン=ステラとはどう結びつくのですか」


 やはり俺にはジャン=ステラとの関係性がわからない。お悔やみの言葉を口にはするが、納得はできない。


「運のない、か。最初は我らもそう思っていたよ。だがな、王宮からこの戦場までの行軍中、ウィーン発のある報告を受けたのだ」


 その報告の内容をラースローが淡々と、話していく。


 1点目。

『にせ』預言者ジャン=ステラが、ハンガリーでの戦争が早く、しかも犠牲者が少なく終わる様に祈願した。


 2点目。

『にせ』預言者の兄、すなわち俺が祈願を成就するため、ハンガリー国内に単独で入り込んでいる。

 これを討ち果たすことは、『にせ』預言者を許さない神の意思に沿うことである」


「なんと! ラースロー殿下、その話は本当なのですか?」

「まぁ、まて。まだ続きがあるのだ」


 そして3点目。

「ピエトロ殿を討てば、神聖ローマ帝国はハンガリー王国の降伏を受け入れるだろう。そう締めくくられていた」


「……」

 絶句した。声が出てこない。


 だが、ラースローの報告は真実だろう。俺はそう直感した。


 後続の部隊がなかなか姿を表さないのは、俺を敵に始末させるためだったのだ。


「この報告の発信源は、皇帝ハインリッヒ陛下の側近、それも教皇庁と対立している聖職者だと俺は感じている。そうでなければ、教皇庁が判断を下していない時点で『にせ』預言者だと断定しないだろう」


「摂政のアンノ2世か……」


 ドイツで最も大きい都市・ケルンの大司教を務め、そしてハインリッヒ4世の摂政を務める人物。

 そして、9月1日の戦勝祈念の宴会において、ジャン=ステラに難癖をつけていた情景が思い出された。


 まず、間違い無いだろう。


 俺の呟きを拾ったラースローが返答する。


「まぁ、当たらずとも遠からず、だろう。よっぽどジャン=ステラ殿が煙たいらしいな」


 怒りが全身に満ちてくる。口の奥から「ギリッ」と歯がきしむ音が聞こえる。

 アンノ2世よ、どうしてくれようか。


 ジャン=ステラに強くあたろうとも、一応は神聖ローマ帝国のために働いているのだろう。俺はそう思っていた。


 理不尽に俺が先陣を切ることにはなったが、だれかは先陣を務めることになるのだ。

 それに、どちらかといえば先陣になりたい者の方が多いのも間違いない。


 だというのに、味方殺し、か。


「ピエトロ殿、すこし落ち着いてくれないか」

「ラースロー殿下、そうは言われましても、事が事なのです」


「ああ、その通り。だが、アンノ2世が仕組んだという証拠はないのだ」

「証拠なぞ不要。殿下の証言で十分ではありませんか!」


「まぁ、落ち着け。俺だって父がなくなっているのだぞ。それでもこうして冷静に話している」


「……申し訳ございません」


「いや、いいんだ。さて、本題に戻そうか。


 俺としては、いや我がハンガリー王国としては、

『預言者の祈念が神に届き、我が父を神がしいした』

 という噂が流れるのは避けたい。


 そして、ハンガリー王国が神に逆らう意思がないことも示したい。


 そこで出たのが、ピエトロ殿に一騎打ちで勝ってもらうという案なのだ」


 ラースローが示す案の要点は次のようなものだった。


 一つ。

 ハンガリー王ベーラが神に殺されたのではなく、一騎打ちが原因の怪我で亡くなったのだと公表できること。


 一つ。

 預言者の兄である俺、ピエトロに降伏することにより、神とその預言者に歯向かう意思がないと示すこと。


 一つ。

 トリノ辺境伯家とハンガリー王家との間で、対アンノ二世同盟を結ぶこと。


 ラースローが最後の点について補足する。


「アンノ殿は、敵と認定したものに容赦ないと聞いている。たとえジャン=ステラ殿であっても、教皇庁が預言者と認定するまでは、あれやこれやの手で妨害工作を行うに違いない。


 敵の敵は味方という言葉もある。悪い話ではないと思うが、どうだろう」


 アンノ2世の振る舞いについては、俺だって腹が煮えくりかえる思いがある。

 同盟の話も含め、悪くはない話だろう。


 しかし悪くないだけで、トリノ辺境伯家、あるいはジャン=ステラの利益が少なすぎる。


「ラースロー殿、悪くないと思いますが、一騎討ちを受けなくともハンガリー王国は降伏せざるをえないでしょう。それにジャン=ステラの願いによって国王がちゅうされたと噂がたてば、にせ預言者だという声も静まることでしょう。いささか虫の良すぎる提案ではありませんか?」


 そんな俺をたしなめるかのように、ラースローがゆっくりと首を横に振った。


「ピエトロ殿、貴殿はお若い。欲張りすぎると全てを失うことを知っておくべきだ。


 ジャン=ステラ殿が祈念によって自在に人を殺せると知れば、恐れおののく者は多いだろう。

 しかし、それ以上に多くの反発者が生まれてしまう。


 そういう者たちは、殺される前に殺せと、なりふり構わずの行動を起こす」


 なるほど、ラースローの言う事にも一理ある。

 ジャン=ステラが言っていた、窮鼠きゅうそ 猫をむってやつだ。


 そうなっては、ウィーンにいるジャン=ステラは危ないかもしれない。

 大聖堂において、枢機卿のイルデブラント様に守られているとはいえ、万全とは言えないだろう。


「それにな、ピエトロ殿。貴殿はハンガリー軍1万名に囲まれているのだ。自身の命も大切にした方がよいと思うぞ」


 あ! たしかにその通りだ。

 500名にすぎない俺の軍がハンガリー軍に襲われたら、ひとたまりもない。


 俺の表情が変化するのを見て取ったのか、ラースローがにやっと笑った。


「ラースロー殿下、承知しました。国王との一騎打ちを受けましょう」


 条件を呑むことにした俺は右手をラースローに差し出す。


「国王の影武者は、俺が務めることになっている。手加減をよろしく頼む」


 かくしてラースローと俺は握手を交わし、一騎打ちの茶番劇が幕を開けることになったのだった。



 ーーーー

 あとがき

 ーーーー


 ハンガリー国王の玉座崩壊事件は「史実」です!

 ジャン=ステラちゃんが祈願したせいじゃないのですよ。

 事実は小説より奇なのです。


 小説内の時系列情報

 9月1日 宴会 & 玉座崩壊事件

 3日 ピエトロ 出陣

 10日 ピエトロ 国境を越える

 11日 ハンガリー降伏(一騎打ちの茶番劇)


 ーーー


 今話で登場したラースロー王子ですが、史実においてアデライデお姉ちゃんの娘アデライデ・フォン・ラインフェルデンをめとっています。


 母:アデライデ・ディ・トリノ

 子:アデライデ・ディ・サヴォイア

 孫:アデライデ・フォン・ラインフェルデン


 みーんな、アデライデ w


 そして、ラースローとアデライデの娘、ピロシュカは東ローマ帝国のヨハネス2世コムネノスに嫁ぎます。


 このヨハネス2世は、作中においてトリノに留学することになったアレクシオス1世の長男です。


 アデライデお母様のトリノ辺境伯家、ハンガリー王家、東ローマ帝国はぜーんぶ縁戚なのです。


 この縁が、ジャン=ステラちゃんの今後の活躍にどのような影響してくるのか。それはまだ未知数なのでした☆彡

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