第198話 ハンガリーからの使者

 1063年9月中旬 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ジャン=ステラ


 ヨハネス・コムネノスを招いての食事会が終わろうという時、ハンガリー戦役の前線から一報が届いた。


「ハンガリーのベーラ国王が降伏しました。お味方の勝利です!」


 イルデブラントのよく通る声が、部屋に響く。


 その直後、室内に「わーっ」という歓声の声は……上がらなかった。


 宴会の参加者11人中8人は、東ローマ帝国からの一行だから「ほうっ、勝ったか」程度の感想を抱いただけ。

 残る3名は、僕、イルデブラント、イシドロス。


 僕もイシドロスも、神聖ローマ帝国ハインリッヒ4世が勝ったところで、歓喜するようなことはない。


「そんな事より、ピエトロお兄ちゃんは無事なの?」


 僕が一番知りたいのは、ピエトロお兄ちゃんの安否。


 たった500人の軍勢しかいないというのに、全軍の先陣を命じられたのだ。

 ハンガリー戦役に勝ったところで、お兄ちゃんが無事でなければ全く喜べない。


「ジャン=ステラ様、残念ながら報告にピエトロ様の事は書かれておりません」

 と、イルデブラントが首を横に振る。


「じゃあ、その報告を持ってきた使者に話を聞くことはできないかな?」


 お味方勝利の報告をハンガリーから持ち帰った人なら、もう少し詳しい話を聞けるはず。


 使者から話を聞く事なんて当然だと思うのに、なぜかイルデブラントが困惑している。


 もしかすると使者はウィーン城にいて、この大聖堂にはいないのだろうか。


「いえ、教会の情報網を使った報告ですので、この大聖堂にいるのですが……」


 同じ敷地内にいるのなら、ケチケチせずに、ここに連れてきてくれてもいいんじゃない?


 もしかして、東ローマ帝国の人たちがこの部屋にいるためだろうか。

 彼らに聞かせられない内容があるのかもしれない。


「もしかして、ヨハネス殿たちがいるから?」

 丁度、懇親会も終わった事だし、それなら早々に散会してしまおう。


 気が急いている僕に対して、返答するイルデブラントは歯切れが悪い。

 僕の言葉を否定するとともに、恐る恐るといった風情で逆に質問を返してくる始末。


「いいえ、そういう訳ではないのですが…… ジャン=ステラ様はギリシア神話のアルテミスと同じ能力をお持ちなのでしょうか?」


 関係ない話を持ち出してくるイルデブラントにイラッとする。


「ねえ、イルデブラント。僕、お兄ちゃんの事を早く知りたいの。なのにアルテミスって何? 今、僕に聞く必要があるの?」


「アルテミスは動物と話せるという逸話があります」


 ギリシア神話における月の女神、アルテミスは動物と会話できる能力を持つ。そのアルテミスの能力を僕が持っているかもしれないと、イルデブラントは思ったらしい。


「いや、動物と話はできないよ。それが何?」


 前世で馬や牛の世話はしていたけれど、会話はできなかった。ってあたり前だよね。

 それをわざわざ今、僕に聞く必要あるのだろうか。イルデブラントの思考がさっぱり読めない。


「いえ、その……。この報告もたらしたのは、教会の伝書鳩なのです。私どもは鳩から詳しい話を聞く事はできません。しかし、もしかしたらジャン=ステラ様は、鳩と会話できるのかもしれないと思いまして」


「そんなわけあるかー!」って叫びたかったけど、なんとか自制した。


 結局、ピエトロお兄ちゃんの安否がわからない不安を抱えたまま、その日は終わった。



 次の日、再び伝書鳩の連絡が届いた。それは昨日よりは少し詳しい内容だった。だったのだが……。


「ジャン=ステラ様、ハンガリー王国が降伏した経緯がわかりました」

 教会に届いた報告をイルデブラントが教えてくれた。


「9月11日 ピエトロ辺境伯がベーラ国王との一騎打ちに勝利。結果ハンガリー降伏」


 お兄ちゃ〜ん、一騎打ちってどういうこと!

 勝ったからいいものの、負けてたらどうするつもりだったの?


 それにベーラさんとやら。あなたハンガリー国王ですよね。

 総大将の国王が一騎打ちするってそれもどうよ。

 さらに一騎打ちに負けて、降伏って。そんな国王がいるんですか、そうですか。


 よくもまぁ、周りの家臣が止めなかったものだよね。


 一体どうなっているの?


「ねえ、イルデブラント。これって本当の話? 嘘か噂が混ざっていたりしないかな」


 ハンガリー王国が流した嘘と言われた方が納得できる。

 だって、ピエトロお兄ちゃんだよ。お世辞にも一騎打ちするような豪胆な性格をしていないもの。


 疑いたくはないけど、この報告ってどこか変じゃないかな。


「残念ながら、真偽に関しては私にもわかりかねます。しかし、教会の情報網がもたらした報告ですので、正しい可能性は高いと思います」


 結局、お兄ちゃんの安否は不明なままだけど、一騎打ちで勝ったというなら、無事だよね。

 お願いだから、無事でいてね。


 ヤキモキした心を抱えながら、この日も過ぎていった。



 さらに三日後の9月18日になって、ようやくお兄ちゃんからの使者がウィーン大聖堂に到着した。


 使者が持ってきたお兄ちゃんの手紙には次のように書いてあった。


 ーーー

 僕のかわいい弟、ジャン=ステラへ


 ハンガリー王国が神聖ローマ帝国に降伏したという話は、もう届いていると思う。


 もしかすると、俺がベーラ国王と一騎打ちをしたという話も聞いているかもしれないね。


 まずは公式発表と、それとは異なる真実についてジャン=ステラに伝えておこうと思う。


 公式に通達される、ハインリッヒ陛下の発表は以下のとおり。


 神聖ローマ帝国の先鋒として、俺は500名の兵を率いてハンガリー王国へと進軍した。

 そこに待ち受けていたベーラ国王率いる1万名のハンガリー軍。


 俺が軍の先頭に出て、一騎打ちを申し込んだ。

 たった500名で1万の軍の前に躍り出た俺の豪胆さにベーラ国王は感銘を受け、一騎打ちを承諾しょうだくする。


 結果、俺は一騎打ちに勝利し、ベーラ国王を捕虜にした。

 捕虜の解放条件として、ハンガリー王国の降伏を掲げたところ、これが了承された。


 ま、こんなところだろう。


 だがな、ジャン=ステラ。俺が一騎打ちなんて申し込むと思うか?


 思わないよな。

 その通り。俺は一騎打ちなんて危ない真似はしなかった。


 真相は手紙に書くわけにはいかないから、使者から聞いてくれ。


 ーーーー

 あとがき

 ーーーー

 新年あけましておめでとうございます。


 ここまで読み進めていただきありがとうございます。

 おかげさまでもう直ぐ200話。きっと今年中には第一部が完結いたします。


 これからもジャン=ステラちゃんの活躍を見守っていただけましたら幸いです。


 今年も「前世の知識は預言なの?」をよろしくお願いいたします。


 2024年元旦 宇佐美ナナ

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