第197話 東ローマ帝国との交流

 1063年9月中旬 ドイツ オーストリア辺境伯領 ウィーン ジャン=ステラ



 唐揚げが山盛りになった大皿が運ばれてきて、僕の目の前にドデンと置かれた。


 さすがに11人分の唐揚げだけあって、すごい量だ。


 東ローマ帝国ヨハネス・コムネノスと協約を結んだ後は、部屋を移動しての懇親会となった。


 参加者は、東ローマ側がヨハネスと残り7人。

 そして、僕、イルデブラント、イシドロスで合計11名。


 みんなの席にマヨネーズ、レモン、塩の入った小皿が置かれている。しかし、唐揚げがあるのは僕の席だけ。

 なぜなら、僕が主催者だから。


 宴会では、主催者が招待客に肉料理を切り分けるのがマナー。


 今日の宴会では唐揚げが肉料理。そのため僕が各人の皿に取り分ける必要がある。


(めんどうだなぁ)

 愚痴を零したいけれど、そういう慣習だから仕方ない。


「ジャン=ステラ様。面倒などと言ってはなりません。序列を明らかにする大切な儀式なのです。配る順番だけではなく、上位の方には美味しい部位を切り分ける技量が求められるのですよ」


 そんな事を教えられた気がするけど、邪魔くさい。


 そもそも、唐揚げの美味しい部位ってどこよ。

 もも肉なのか、むね肉なのかって、揚げ終わった唐揚げからどうやって判断するっていうのさ。


 それに鳥の皮の部分だって美味しいよね。あのカリカリって食感、僕は好きだもん。


 ということで、唐揚げの部位は気にせずに大きさだけを見て、順番に取り分けていく。


 一番は、主賓のヨハネス・コムネノス。

 ヨハネスは皇族のため、貴族の階位としては伯爵の僕よりも上位階級になる。

 しかし、協約を締結する際に、僕とコムネノスは同格として扱うことになった。


 そのため、ヨハネスは僕と同じテーブル席についている。

 そのお皿に、きつね色の唐揚げを4つ、取り分けた。


 お次は、もう一人の皇族。おめめくりくりで、かわいい黒髪の男の子。アレクシオス・コムネノス君、若干6歳。

 ヨハネスの三男で、見聞を広めさせるために連れてきたんだってさ。


「こんな機会でもなければ、我々皇族はギリシアから出られないからな」

 ヨハネスはそう言って、アレクシオス君の頭をぽんぽんって優しく叩いていた。


「Πατέρα, μη με χτυπάς στο κεφάλι!」


 かわいいアレクシオス君は残念ながら、ラテン語を話せなかった。そりゃ、まだ6歳だもんね。

 僕もギリシア語がわからないから、通訳なしでは会話できない。


 そんなアレクシオス君を見ていて思うことは一つ。

 いいなぁ、こんなかわいい弟が欲しかった。

 僕は前世で末っ子、今世でも末っ子だから、弟や妹といった存在にどうしてもあこがれちゃう。


 だからアレクシオス君には、大きな唐揚げをあげちゃうぞ。たーんとお食べ。


 3番目はイルデブラントで、4番が東ローマ帝国特使のミカエル・プセルロス。

 その後にコンスタンティノープルの教授陣とイシドロスが続く。


 ふぅ。やっと11人分を取り分け終えたよ。


 さいばしで唐揚げを取り分けるのは思った以上に大変だった。はしを握る手がつかれちゃったよ。


 学食のおばちゃんみたいに、ビニール手袋をはめた手で鷲掴わしづかみできたら楽だったのにな。

 せめてトングが欲しかった。今度、作ってもらおっと。


 食べる前の儀式ですでに疲れちゃったけど、ようやく唐揚げにありつける。


 いただきまーすと心の中でとなえ、ぱくぱくって唐揚げにかぶりついた。

 唐揚げのジューシーで香ばしい風味が口に広がっていき、レモンの酸味が鼻に抜けていく。

 うーん、幸せだなぁ。


 ヨハネスもアレクシオス君も、美味しそうに唐揚げを頬張っている。


 そんな彼らを護衛のティーノが、羨ましそうに見つめているのが目に入った。

 周りを見回したら、ヨハネスたちの護衛も興味深そうに唐揚げを見ていた。

 はいはい、後で唐揚げを届けさせるから、よそ見せずに今は護衛に専念しようね。


 フォークで唐揚げを口に運ぶヨハネスが、感想を口にした。


「ジャン=ステラ殿、カラアゲはビールとよく合う料理だな」


 唐揚げの脂っこさをビールの微炭酸が洗い流してくれる。とても良い組合せだと僕も思うよ。

 とはいっても僕はまだ子供なので、お酒は飲めないけどね。


 ヨハネスは酒飲みみたいで、ぱかぱかとビールを勢いよく消費していく。


「ヨハネス殿。ワインは飲まないの? 蒸留ワインも美味しいよ」


 僕はワインを勧めたけれど、ヨハネスは首を横にふった。

 ビール派なのかとおもったらそれともちょっと違った。


「東ローマ帝国においてワインとは、水で薄めて飲むものなんだ。俺にとってワインや蒸留ワインはキツすぎる」


 ふーん。いろんな文化があるんだね。文化は尊重しなくっちゃ。

 そうそう、文化といえば、東ローマ帝国からきた一行は普通にフォークをつかって唐揚げを食べていた。

 つまり唐揚げを手づかみで食べる者は一人もいなかった。


「説明しなくてもフォークを使えたでしょう。実は僕、驚いたんだよ」


 僕がそう言ったら、ヨハネスに笑われちゃった。


「東ローマ帝国の宮殿ではフォークとスプーンを使うぞ」

「へー、そうなんだ。知らなかったよ」

「おいおい。手づかみなんて野蛮人バルバロイのすることだろうが」


 たしかにその通りだよね。僕も手づかみ食べは嫌だから、心の底から同意するよ。


「ただなぁ、ジャン=ステラ殿。俺たちは手づかみ食べを覚悟してこの宴会に来たんだぞ、なあ皆の者よ」


 ヨハネスの言葉に、東ローマ帝国からの一行が一斉にうなずいた。

 神聖ローマ帝国でフォークが出てくるとは想像の範囲外だったらしい。


「がーん。僕たち野蛮人だって思われていたんだ……」

「まぁ、それはその。ま、仕方ないだろう。ジャン=ステラ殿だって内心はそう思っているだろう?」


 あ、ヨハネスのやつ、開き直っちゃったよ。


 たしかにね。インドの右手食べのように洗練されているならともかく、こちらの手づかみ食べの汚さには僕も悩まされたもの。


「でだ、俺たち東ローマ帝国と、ジャン=ステラ殿とはお互いのことを知らなすぎると思うのだ」

「たしかにそうだね」


 今だって、お互いがフォークを使うって知らなかった。

 きっと他の事でも、お互いを知らない事からくる行き違いが起きると思う。


 今後、東ローマ帝国は僕を後援してくれるのだもの。相手のことを知っておく必要は僕も感じている。


「そこでどうだろう。俺の息子、アレクシオスを数年間、預かってみないか?」

「え?」

「同年代の友としてジャン=ステラ殿の近くに、アレクシオスを置いてほしい。お互いの事をよく知るにはいい提案だと思うのだが、どうだろうか」


 つまり、数年間の留学みたいなものかな?


 でもギリシア語は話せても、ラテン語もイタリア語も話せないんでしょう?

 そんな子供をぽつんと異郷の地に置き去りにするのは酷じゃないかな。


「もちろん、身の回りの世話をする者や通訳も準備する」


 うーん、アレクシオス君みたいな弟は欲しいけど……。


 お互いのことを知るにしても、僕のメリットが少ないよね。

 それにアレクシオス君も可哀想だと思う。


「アレクシオスは納得している。もし対価が欲しいのなら、将来ジャン=ステラ殿をコンスタンティノープルに招待するっていうのはどうだ?」


 コンスタンティノープルっていいところだぞ。

 ハギア・ソフィア大聖堂のような素晴らしい建物もあれば、大学もある。

 文化の香り漂う大都市なのだ。


 ヨハネスがとても熱心にコンスタンティノープルのいい所を挙げてくれる。


 一番驚いたのは、その人口。コンスタンチノープルは20万人都市なんだって!


「えっ! 20万人?」

 思わず声が出ちゃった。


 だって、トリノの人口って2千人くらいだよ。100倍も違う。


「どうだ。俄然がぜん興味がいただろう?」


 たしかに。行ってみたいという気になる。


「提案ありがとう。でも、ダメ。僕はイタリアから離れちゃだめだから」


 後ろ髪を引かれるけど、ヨハネスの提案を僕はキッパリと断った。


 だって、マティルデお姉ちゃんが僕を待っているもの。


 一時でもイタリアから離れたら、マティルデお姉ちゃんがどれほど不安になることか。

 そう考えたら、コンスタンティノープルに遊びに行くという選択肢は選べない。


 目端に映るイルデブラントが、あからさまにホッとしていた。


(大丈夫だよ。僕はイタリアが好きだもの)

 そんな気持ちを込めて、イルデブラントに目線で合図をしておく。


 だって、イタリアにはマティルデお姉ちゃんやアデライデお母様がいるからね。


 ピザがなくたって、僕はイタリアにいるよ。


「それは残念だなぁ」

 心底、残念がるヨハネスが次の提案をしてきた。


「では、どうだろう。だったら俺の娘と婚約しないか? ジャン=ステラ殿は婚約者がいないのだろう?」


 僕に婚約者がいないと事前に調べていたヨハネスが、いやーな事を言ってくる。

 もちろん僕の答えはNO一択。


「婚約しないよ」 

 ふんっ、僕は思わず横を向いてしまう。

 だって、僕にはマティルデお姉ちゃんがいるもの。


「なるほど、なるほど。うわさは本当のようだな」


 僕の顔を覗き込んだヨハネスがによによと、笑っている。


 うわさって何の事かと聞く前に、ヨハネスが口を開いた。


「では、どうだろう。ジャン=ステラ殿がマティルデ・ディ・カノッサと婚約、あるいは結婚した際、東ローマ帝国は真っ先に承認しよう」


 この条件でどうだ、と鋭い眼差しを宿したヨハネスが僕に迫ってくる。


 マティルデお姉ちゃんとの関係が政略結婚みたいに扱われるのは、正直に言うと気に入らない。


 しかし、現実問題として見た場合、婚約者であるゴットフリート4世からマティルデお姉ちゃんを奪う行為に他ならない。


 預言者である僕の味方も欲しいけど、お姉ちゃんとの結婚を後押ししてくれる味方こそが、僕には必要なのだ。


「願ってもない条件だね。こちらこそよろしく」


 僕とヨハネスは今日二回目の固い握手を交わした。


 アレクシオス君のトリノ留学が決まった後は、もう重たい交渉もなく、陽気な宴会が続いた。


「本日のデザートはクレープです」


 トリノから持ってきた砂糖をたっぷり使ったクレープが、宴会の最後に出てきた。


 焼いたクレープ生地に甘いホイップクリームをたっぷり乗せ、イチゴと桃を巻いたクレープ。


 このクレープはなかなか良い出来で、前世のショッピングモールで食べた味と遜色ない味に仕上がっている。

 僕が一推しする自信作なのだ。


 ただ、問題は値段。とんでもない量の砂糖を使うから、僕でも作るのにためらってしまう。


 それでも、クレープを出した甲斐かいはあったよ。


「Αυτό το γλυκό είναι τόσο νόστιμο !」

 ずっと緊張していたアレクシオス君だったけど、クレープを口にしたとたん花が咲いたような笑顔になったもん。

 うん、男の子、かわいい。


 クレープによって別腹べつばらまで満足した宴会が終わろうとした時、大聖堂の内外に喧噪が湧き上がった。


「何があったんだろうね」

 そんな会話を交わしてしばらくした頃、イルデブラントの元に彼の側仕えがやってきて紙片を渡していた。


 教会の情報網を使った急報が届いたとの事で、立ち上がったイルデブラントがその内容を披露した。


「ジャン=ステラ様、吉報です。ハンガリーのベーラ国王が降伏しました。お味方の勝利です!」




 ーーーー

 あとがき

 ーーーー

 ●東ローマの帝位


 アレクシオス・コムネノス君は1081年、東ローマ帝国皇帝に即位しています。

 緋色ひいろの生まれなアンナ・コムネナのお父様です。


 セルジュール朝トルコに圧迫された東ローマ帝国を救うため、皇帝アレクシオスはローマ教皇に援軍を依頼しました。その結果が第一次十字軍なのです。


 この第一次十字軍の指導者の一人がゴドフロワ・ド・ブイヨン。

 ゴドフロワは髭公ゴットフリート3世(マティルデお姉ちゃんの義父)の外孫であり、十字軍が建国した国の一つ、エルサレム王国の初代統治者です。


 統治者の血統って、あちこちで繋がっている事を感じさせるエピソードとして紹介させていただきました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾


 ●ハギア・ソフィア大聖堂


 6世紀に建立された大規模石像建築物で、プラネタリウムが投影できそうな巨大ドームを持つ大聖堂です。

 内部はモザイク画や大理石で装飾されており、ビザンツ建築の最高傑作と言われています。


 トルコの首都、イスタンブールに現存しており、今はイスラム教の礼拝堂(モスク)として使われているようです。


 死ぬまでに一度は見に行ってみたいな~



 ●人口推計


 西暦1100年の都市人口上位(推計値9万人以上)を列挙します。


 44万  開封(宋)

 20万  コンスタンティノープル

 17.5万 平安京

 15万 マラケシュ(モロッコ)、カリヤーン(印)、カイロ、バグダッド

 12.5万 アンコール(クメール)、フェズ、セビリア

 9万 パレルモ(伊:シチリア)


 平安京って世界的大都市だったんですね。びっくり!


 あと、アンコールワット遺跡で有名なクメール帝国の王都、アンコールってこんなに大きかったのですね


 ちなみに、ドイツ最大の都市ケルンの人口が1万人程度のようです。

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