第143話 強さは全てを解決する

 1063年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


 大学を作ろうとしたら、キリスト教に対抗する宗教を作る気か、とお母様に真顔で聞かれた。


 当然、僕に全くそんな気はない。

 しかし、僕が持っている前世の知識は、神の預言だと思われている。

 転生した時に神様に会ってはいないけど、神に預けられた知識と言われても否定できない。


 その神の預言を披露し、その内容を解釈する場所となる大学を作ることは、教皇、すなわちキリスト教への挑戦と取られかねないのだ。


 大学設立がそんな大事に発展するなんて、びっくりだよね。


 仕方ないから、大学は諦めた。

 それなのにお母様ったら真逆のことを言うんだよ。


「折角の良い機会ですし、大学、作っちゃいましょう」

「お母様、大学は作っちゃダメっていっていませんでしたか?」


 口を尖らせてお母様に文句を言うと、お母様は嬉しそうにニヤって笑った。


「ジャン=ステラの知識を研究すると正直に言うからだめなのよ。

 見方を変えてごらんなさい。

 ジャン=ステラの大学では、預言の研究成果を先生から教えてもらうのでしょう。それなら、家庭教師を何人も雇うのと同じよ?」


 確かにそうかもしれないけど、僕のイメージしている大学とはかけ離れている。


「お母様、大学は研究する所でもあるのですが、研究者を養成する所でもあるのですよ」


 大学と学校の違いは、研究者となる人材を育てるところにある。

 教えるだけなら小中高の学校であって、大学でない。


 前世の知識をこの世界に定着させ、あわよくば発展させて欲しいと思っている。そのためには、次世代育成も考えておかないと。もちろん10年単位の時間がかかるだろうが、それでも構わない。


(僕、まだ9歳だもん。10年後の発展でも大歓迎。スマホやネットは無理でも、お茶やコーヒーが飲めるようにならないかなぁ)



「研究者なんて勝手に育つでしょう。でも、そうねぇ、ジャン=ステラに教えるだけでなく、弟子をとってもらえばいいんじゃないかしら」


 研究者って勝手に育たない気がするんだけど……。

 そう思ってはみるものの、どうしたら研究者が育つかなんて、僕にもわからない。

 弟子をとらせるという、お母様の案は悪くないのかもしれない。


 そんな僕の心とは関係なく、お母様は大学構想を話し続ける。


「ただし、家庭教師を雇うにあたり一点、念押しが必要ね。予言の研究成果は当面の間、秘密にすること。これはしっかりと守ってもらう必要があるわ」


 これはその通り。預言の解明が目的だと思われたら、せっかくの隠蔽いんぺい工作が無意味になってしまう。しかし問題点が2つある。どうやって守らせるかと、いつまで秘密を続けるか、だ。


 その点についてお母様に聞いてみた。

「どうやって、秘密を守ってもらうのですか?」

「そんなの簡単じゃない。神に誓ってもらうのよ、『ジャン=ステラ様の秘密を守ります』って」


「たったそれだけなのですか?」

「それで充分よ。もし神への誓いを破った場合、ジャン=ステラは聖ペテロに訴えればいいのよ。

『あの人は神への誓いを破りました。天国への門をくぐる資格はありません』

 って」


 キリスト教の初代ローマ教皇である聖ペテロは、天国へと続く門を守っている。

 そして最後の審判の時、彼に名前を呼ばれた者だけが、門を通過できるのだ。


 そこで、僕が聖ペトロに告げ口をしたらいい、とお母様は主張している。


(それって、小学校の帰りの会みたいに、「ペトロ先生!あの子、ウソをついてます~」を天国の門前でするってことだよね……)


 お母様が僕を言いくるめようと、言葉を継ぎ足す。

「預言者であるジャン=ステラが言えば、効果絶大よ」


 聖ペトロでさえ預言者である僕の言葉を無視することはできないと、研究者達に信じさせるのは簡単な事らしい。


「たしかに効果はありそうですが、ずっと秘密を保つのは難しいと思いますよ、お母様」

 研究者って自己顕示欲が強そうだもん。天国にいく事よりも、自分の研究成果を将来に残す方を選ぶんじゃないかな。


「そんなの簡単よ。大学を作るのがダメだった理由を覚えていますか」

「教皇庁への反逆だと思われて、聖戦を起こされたら困る、でしたよね」

「ええ、その通り。だったら教皇庁を滅ぼせるくらい強くなればいいのよ」

「ほへっ?」


 思わず呆けた声がこぼれ出ちゃった。


(滅ぼしちゃえば問題はないって、それって問題しかないよね?)


 いい考えでしょ、と微笑んでいるお母様。


「いやいやいや、お母様。教皇庁を滅ぼしちゃったらヤバいでしょう」

「別に構わないわよ。教皇庁の主である教皇アレクサンデル2世猊下を追放し、ローマの南に逃れている対立教皇ホノリウス2世を擁立すればいいだけよ」


 ここまで言った後、お母様の顔から笑みが消えた。


「しかしね、悔しいことに、今のトリノ辺境伯家は教皇庁に勝てないのよ。教皇の背後にはゴットフリート3世がいるのですから」


 教皇アレクサンデル2世を軍事面で支えているのは、トスカーナ辺境伯ゴットフリート3世なのだ。トスカーナの軍事力は、兵数でも将の質でもトリノを圧倒している。


「つまり、僕にゴットフリート3世を圧倒する力を蓄えて、教皇庁を滅ぼしてこいと、そういう事ですか?」


「いいえ、そんな事は言ってないわ」


 お母様が首を大きく横にふった。

「教皇庁とゴットフリート3世を滅ぼせるくらいの強さがあればいいのよ。キリスト教への反逆者などと、私たちに言いがかりをつけることは出来なくなるもの」


 言いがかりは、自分よりも弱いものにしか付けられない。

 だって、中世だもの。舐めた真似をしていいのは、強者のみ。


「そういえば、お母様のモットーは『舐められたら殺せ』でしたね」

「あら、そんな事を言ったかしら? でもそれは真実よ。 舐めた真似をしてくれたゴットフリート3世を許す気は全くありませんもの」


 お母様は夫であるオッドーネをゴットフリート3世に暗殺されている。

 その恨みが心の奥底から噴き出してきたのか、瞳が炎のようにゆらゆら揺れている。


 ただし、ゴットフリート3世が暗殺したという直接的な証拠はない。だから、表立って動いていないだけ。滅ぼせる時がきたら、理由はどうにでもつけてかたきをとるつもりなのだろう。


「トスカーナ辺境伯であるゴットフリート3世を圧倒的に上回る軍事力を持てばいいのはわかりました。でも、それって何年かかるか分かりませんよ」


 期限がわからないのでは、研究者も困ってしまうだろう。もう少し現実的な案はないのだろうか。


 それなのにお母様は、「それじゃだめよ」と首を横に振る。

「あと2年5か月で上回りなさい」


「それは……。ずいぶんと短いですね」

 2年ちょっとでトスカーナ辺境伯を軍事力で上回るというのは、さすがに無茶でしょ、お母様。

 文句の一つも言いたくなっちゃうよ。


「ええ、短いです。ですが、2年後の1065年8月までにマティルデ様を奪いに行くのでしょう?」

「あ!」


 しまった、声にでちゃった。あわてて口を手で抑えたけど遅かった。

 お母様がジト目で僕を見てくる


「ジャン=ステラ、もしかして忘れてたのですか?」

「あはは。そんなわけ、ないですよ」


 もちろん、マティルデお姉ちゃんを迎えにいくことは忘れていない。

 しかし、お姉ちゃんが指定した1065年の8月まであと2年5ヶ月しかないのは、気づいていなかった。


(あと、2年5ヶ月しかないんだね……)

 いや、逆だ。あと2年5ヶ月の間、会えないのだと思えば、とても長い。


「ジャン=ステラ、あなたの計画では、カノッサ城の隙をついて、マティルデ様の身柄を奪うのでしたよね」

「ええ、その通りです」

 お母様に向かって首を縦に振った。


 トスカーナ辺境伯の軍隊と真正面から戦っても勝ち目はない。

 だったら、お姉ちゃんと電撃結婚しちゃって、ゴットフリート3世からトスカーナ辺境伯の地位を奪うのが一番確実なのだ。

 ちょっとズルい方法だけど、他の方法が思いつかないのだ。


「つけ入る隙がなかったらどうするのです?」

「……」

 お母様の厳しい言葉が心にグサッと刺さる。


 マティルデお姉ちゃんを奪う隙がない。当然そういうことはあり得るだろう。

 でも、考えたくなかった。考えてしまったら、それが現実になる気がしたのだ。


 顔が自然と下を向いてしまう。


「私と目を合わせなさい!」

 息を吐き、次いで大きく息を吸ったお母様が、その両手で僕の頭の両側を包みこみ、僕の目をのぞき込んでくる。


「ジャン=ステラ、しっかりなさい。預言を、前世の知識を使う気になったから大学を作ると言い出したのでしょう? でしたら預言を使ってゴットフリート3世を潰しなさい。あなたにはそれができるはず。マティルデ様を諦めるのですか。あなたの思いはその程度のものだったの?」


「そんなことないです! 諦めるわけ、諦められるわけないでしょう!」


「では何を躊躇ためらうことがあるのです。出来ることは全て行わないと後で後悔しますよ。それでもいいのですか」


「ですが、お母様……」

 内心の葛藤をお母様に打ち明ける。


 前世の知識を使えばトリノ辺境伯家の軍を、ゴットフリート3世よりも強くできるだろう。

 戦争になってもきっと勝てる。


 しかし、戦争になると、人が死ぬ。

 目の前でたくさん死んでしまう。

 僕の知っている人も、知らない人も。


 その戦争は、僕が前世の知識を使ったために起きるのだ。

 僕のせいで大勢が死ぬ。僕が知識を使わなかったら死ななかったはずの人が。


 僕の心は、その重みに耐えきれるのかな。それが分からない。分からないから決断できない。


「ジャン=ステラは優しい子なのですね。それにまだ9歳ですもの。上級貴族としての覚悟が定まらないのは仕方ありませんわね」

 お母様が僕の頭を優しくなでてくれた。


「お母様、ごめんなさい」

 僕はそれ以上、何も言えず、お母様に身を任せた。


「いいのよ、私こそジャン=ステラ一人に全てを預けてしまうような事を言ってごめんなさいね。私の方こそ覚悟を決めるわ」

 席を立ち上がったお母様につられ、僕も思わず立ち上がった。


 執務机の前に移動したお母様が、「ジャン=ステラ、私の前にひざまずきなさい」と優しい声で伝えてきた。


「汝、アオスタ伯ジャン=ステラに、トリノ辺境伯アデライデが命じる。そなたの全ての知識を用い、全力でトリノを富ませなさい。強兵を養い、我に歯向かうものを全て打ち砕きなさい」

「お、お母様!?」


 驚く僕に、お母様は優しく微笑んでくる。

「ジャン=ステラ、お返事は?」

「で、でも……」

「大丈夫よ。これから起きる戦争は私の意思であり、ジャン=ステラの意思ではないの。だから、これ以上、あなたが思い悩むことはないのよ」


 僕の心を軽くするため、お母様が全ての責任を負うと、その覚悟を教えてくれた。


 前世の知識で人が亡くなった事の責任は、それを命じたお母様の責任であると、天国の門に居る聖ペトロに申し出るというのだ。


「さあ、ジャン=ステラ。私の命令を聞いてくれるわよね」


 僕は少しだけためらった後、お母様にいなと返した。


「いいえ、お母様。この命令は、僕には聞けません」


 だって、そうでしょう? お母様を矢面に立たせるなんてことできないよ。


 預言を持って産まれてきたのは僕だし、そのヘンテコリンな子供を可愛がって育ててくれた恩を仇で返すことになっちゃうもの。


 覚悟を決めるのはお母様ではなく、僕であるべき。


 苦しい道になるかもしれないけど、逃げちゃダメ。これが僕の運命なのだと、腹をくくろう。



 僕は立ち上がり、お母様にお願いする。


「お母様、僕の前にひざまずいてください」


 お母様は小さくうなずくだけで文句ひとつ言わず、僕の指示に従ってくれた。


「汝、トリノ辺境伯アデライデに、神より知識を与えられたジャン=ステラが命じる。トリノ辺境伯家の全力をもって我が知識を支えよ。見返りにトリノをヨーロッパ一の強国たらしめん」

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