第142話 大学が教皇庁?

 1063年3月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


 朝起きると、明るい太陽の光が寝室に差し込んでいた。

 グッスリ眠れて、その上とってもいい天気。

 今日はきっと素敵な一日になる、そんな予感がする。


 朝の支度が整ってすぐ、侍女のリータに執務室へと赴いてもらった。

「お母様に今日の都合を聞いてきてもらえる? 僕、お母様にお願いしたいことがあるんだ」


 親子が会って話すだけなのに、面会予約をしないといけないって面倒。

 だけど、仕方ない。トリノ辺境伯のお仕事をしているお母様は忙しいのだ。


 ◇  ◆  ◇


「お母様にお願いがありますっ」

 アルベンガ離宮の執務室に入ってすぐ、挨拶も早々にお母様に話を切り出した。


「あらあら、ジャン=ステラ、どうしたの? 私にできることなら、なんでも言ってちょうだい」

「僕、大学が欲しいです。作っていいですか?」


 ちょっと上目遣いで元気よく、お母様におねだりする。

 だめって言わないと思うけど、すこし緊張する。


「大学? 作る?」

 お母様が首を傾げる。僕の言っている意味が分からないってことだろうか。


「大学というのは、研究者を養成する学校です。大学を作り、僕の知識を研究してもらいたいのです」

 ユーグとの面談で気がついた僕の不安について、お母様に説明した。


 カナリア諸島南方には北赤道海流があって、東から西に流れていることは知っている。

 しかし、どうして一年中、東から西に流れているのかを説明できなかった。


 知識はあっても理由がわからないのだ。

 理論的に説明できないなら、経験によって裏付けをする必要がある。

 そうでなければ、信頼できる知識として、他の人に使ってもらえない。

 ユーグと同じように、僕の知識に疑いを持つ人が今後も現れるだろう。


「だからこそ、僕は大学が欲しいのです。辺境伯として設立を許可していただけませんか?」

 お母様に一礼し、ドキドキしながら僕は次の言葉を待った。


 お母様は怖いほど真剣な表情になり、右上向きの目線が執務室の天井を睨んでいる。

「……」


 僕のお願いって、そんなに難しいことだったのかな。


 もしかして大学を作るってお金がかかる?

 大学を建てる土地や建物代も必要だけど、たしか本がとても高価だったはず。

 印刷技術なんてないから、一ページずつペンで書かないといけない。

 そして本の表紙には、カラーの絵が描かれていて、さらに金箔まで押されている。


 トリートメントや蒸留ワインで結構儲けていたと思ったけど、必要な額の桁が違うのかも。トリノ辺境伯家の財政が傾くようなら考え直さないといけないかもしれない。


 不安がその鎌首をもたげてくる中、お母様の深沈長考が終わるのをじっと待つ。


 ふぅ~、と一息ついたお母様は、視線を天井から僕に戻した。その目は笑っておらず、眉間に少し皺がよっている。


「まずは、人払いをします」

 硬い声で宣言したお母様は、執事と侍女、護衛に退室するよう促した。

 彼らが退室していく間も、お母様の顔は真剣そのもの。


 どうやら、お金だけの問題ではなさそう。

(僕、また何かやらかしたのかな……)


 2人きりとなった執務室に、お母様の硬い声が石造りの執務室に響いた。

「ジャン=ステラ、新しい教皇庁を作りたい、ということで合っていますか?」

「え?」


 どこがどうなったら、大学が教皇庁になるのだろうか。お母様の思考がさっぱり理解できない。

 しかし、お母様の表情は真剣そのもので、冗談を言っているようには思えない。


「あの、お母様? 僕が作りたいのは大学ですよ。教皇庁なんてこれぽっちも作りたいと思ってません」


「神より授かったあなたの知識を広めるために、大学を作るのですよね」

「別に積極的に広げたいわけではないのですが、僕の知識を伝えるという意味では、その通りです」


 とりたてて積極的に前世の知識を広げたいとは思っていない。

 だが、知識を検証してもらうためには、研究者に知識を伝える必要がある。


「神の言葉を広めること、それはイエス=キリストの教えを綴った新約聖書を作り、その教えを広めた聖ペトロの偉業と同じ事です。

 つまり大学を作るというのは、聖ペトロがローマに教会を建立こんりゅうした事と同じなのですよ」


(なんでやねんっ!)

 ってツッコミをいれたいけど、お母様の目は真剣であり、ボケてる気配は微塵も感じられない。


 確かに大学では、僕の知識をまとめた教科書を作るつもりだった。

 この教科書作りは、神に与えられた言葉である預言をまとめるという意味で聖書作りに相当するのだと、お母様は主張している。


 いったん考えてみると、お母様の言うこともあながち間違っていないのかもしれない。そんな気がしてきた。


「お母様の言うことも一理あるのかもしれませんが……」


 そうは言ってみたものの、僕が作るのはあくまで大学なのだ。


 しかし、僕の大学構想を聞いたお母様は、これを新しい教皇庁の設立だと受け取った。という事は、他の貴族たちや、聖職者たちも同じ感想を抱くに違いない。



「もし僕が大学を作ったとして、それが新しい教皇庁だと思われてしまったら、どうなりますか?」

「最悪の場合、新しい宗教を作ると思われ、ヨーロッパ全土からの非難と攻撃にさらされると思うわ」


 ユダヤ教からキリスト教が誕生した後、3世紀もの長い間キリスト教徒は迫害された歴史を持つ。

 また、ユダヤ教・キリスト教から派生したイスラム教も、その創始者ムハンマドは身を守り、教えを広めるために戦争を繰り返してきた。


 そのイスラム教の国々がスペインのイベリア半島の南半分を支配しており、またセルジューク朝トルコが東ローマ帝国の領土に触手を伸ばしている。さらにイタリア南部は、イスラム教徒であるサラセン人の脅威に今も晒され続けている。


 そういう世界情勢もあり、今のキリスト教は新しい宗教に対し、不寛容とならざるをえない。


「キリスト教への脅威、あるいは挑戦だと思われる行動は、良くないと思うのよ」

 お母様の顔に憂いの影が差す。


 新しい宗教を作るとでも思われたなら、ヨーロッパ全土からトリノ辺境伯家に聖戦が起こされてしまうかも。

 十字軍の矛先が聖地エルサレムではなく、トリノに変更されちゃったら、それこそ目も当てられない。


 そう考えると、新しい宗教に対してお母様が過敏になるのも仕方がない。


「ですが、お母様。僕は新しい宗教を作ろうとも、教皇庁を打ち立てようとも決して思っていないのですよ」

「ええ、もちろん、私は分かっていますよ。ジャン=ステラは、キリスト教の預言者だと」


 もし僕の知識を研究する大学を作ったら、お母様は各地で宣伝すると言ってくれた。決して、新しい宗教を作るつもりはないし、ローマ教皇庁と対立する意思もない、と。


「しかし、人の悪意に限りはないのよ。ジャン=ステラや私を権力の座から蹴落としたい人にとって恰好の材料になるわ」


 真実はどうでもいい。要は、僕たちをおとしめることができるか否かなのだ。


 トリノ辺境伯家が邪魔だと思う諸侯は多い。

 事実、父オッドーネは暗殺されたし、お母様と僕は傭兵団の襲撃を受けた。


 とはいっても、僕たちだって、マティルデお姉ちゃんの義父であるトスカーナ辺境伯ゴットフリート3世を仮想敵にしているから、お互い様ではある。


「だからこそ、隙を見せてはいけないのよ」

 お母様が僕の目を真っすぐ見つめ、力強く締めくくった。


 一方の僕はといえば、がっくりと肩が落ちていた。


(大学を作るって、いい考えだと思ったのにな……)


 やはり、現実は甘くない。

 今朝はいい天気で、ステキな日になると思ってたのに、全く逆になっちゃった。


 再び、信じてもらえない知識を持つだけの僕に逆戻り。

 ああ、嫌になっちゃう。でも、仕方ない。トリノ辺境伯家が滅んだら元も子もないもの。


「お母様、わかりました。大学は諦めます」


 それなのに、お母様が真逆の言葉を投げかけてきた。


「いいえ、ジャン=ステラ。折角の良い機会ですし、大学、作っちゃいましょう」


 ん? 先ほどまでお母様が言っていた事と正反対だよね。

 お母様は、大学を作ったらダメって主張してたんじゃないの?


 不思議に思いつつ、執務机に落ちていた視線をあげて前を見る。


 そこには、いたずらを思いついた子供のように、目をキラキラと輝かせたお母様が、いた。

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