第222話 黒色火薬(後編)

 1064年5月上旬 北イタリア アルベンガ離宮 ジャン=ステラ


「平民の死は、貴族の死よりも軽いのですか?」

 僕が問う。


「当然です」

 お母様が答える。


 11世紀イタリアでは、きっとお母様が正しい。


 神の前の平等が人権へと昇華される時代が来るのは、僕が死んでから何百年も後のことなのだろう。


 そう思いいたった僕の視界は、まだ昼間だというのに、まるで黒のベールで覆われたかのように暗い。


 中世ヨーロッパは暗黒時代だというけれど、これは11世紀と現代との価値観の違いなので僕が飲み込むしかない。


「ジャン=ステラ。ねえ、ジャン=ステラ?」


 お母様の呼びかけに、僕は心ここにあらずで答えられずにいた。


「はぁ、ジャン=ステラは自分の行いによって、人が死ぬ経験が足りていないのかしら」


 隣にいるはずのお母様の声が遠くの方から聞こえてくる。


「いえ、死ぬかもしれない大西洋横断にはエイリークを喜んで派遣していたわよね。


 だとすると……


 なるほど。ジャン=ステラは死を実感できていないのね。はぁ、貴族だと言うのに情けないこと」


 お母様のため息が僕の心に突き刺さる。


 その場を沈黙が支配したのはどのくらいの時間だったのだろうか。


 それを破ったのは、爆発現場である実験小屋からの報告だった。


「アデライデ様、ジャン=ステラ様。現地を検分けんぶんする準備が整いました」

「ご苦労様、いまから行くわ。ジャン=ステラも一緒に来なさい、わかったわね」


 有無を言わせぬ言い方をするお母様だったが、僕はまだ暗闇から脱せていない。


 なお答えられずにいたら、マティルデお姉ちゃんを引き合いに出されてしまった。


「これでは、戦場での行動が思いやられます。


 いくら平民を生かしても、貴族が死に、戦争に負けてしまっては意味がないのですよ。


 その為体ていたらくで、どうやってマティルデ様を迎えに行くというのです!」


 お姉ちゃんかぁ……。

 そうだよね、お姉ちゃんは僕が迎えにいくと信じて待っている。その期待に応えたい。それに、僕もお姉ちゃんに会いたいもの。


 暗闇にマティルデお姉ちゃんという一筋の光が差し込んだが、しかし、すぐにくもってしまう。


 マティルデお姉ちゃんも中世の人間だから、平民と貴族は違うと思っているのかな……。


 考えがまとまらないまま、僕は重い体をのろのろと動かし、お母様と一緒に実験小屋へと向かった。


 爆発現場に近づくに連れ、匂いが強くなっていく。


 子供の頃、花火で遊んだ後にいだ硝煙の匂い。そして火事の後に残る、木が燃えた匂い。この二つが混ざっていて、「ああ、確かに爆発事故があったんだ」と僕の嗅覚が確信させてくれる。


 いや、本当はもう一つ。肉のこげたにおいもただよっていた。僕は急いで首を振り、具体的な何かを想像しようとするのを食い止める。


 だって、そうしないと食べたものが胃から逆流しそうなんだもの。


「ここが実験小屋のあった場所です」


 ここで実験していたヨハネスの説明を聞くまでもなく、それはわかる。屋根がなく壁もなく、ただ燃え残った柱だけが残っている。


「平民の死体はどうしたの」

「検分の邪魔になるかと思い、片付けました」

「そう」


 アデライデお母様はさらっと流したけれど、その言葉により僕は、ここで死者が出た事を強く意識せざるをえなくなった。


「目の前の死に向かい合いなさい」


 お母様が僕の目をまっすぐに見てくる。


「あなたの命令により人は簡単に死ぬわ。でもそれでいいのよ、ジャン=ステラ」


(そんなの、いいわけ、ないです)

 抗議の叫び声をあげたかったけれど、小さい声すら出なかった。


「しかし、火薬の開発を止めることは私が許しません。ここで止めたら、平民の死が無駄になります」


「ですが、お母様。何度か言いましたが、これからも多くの死者が出るんですよ。今とめたら犠牲者は二名だけで済むのです」


 僕の声はかすれていた。でも、これだけは主張しなければ。その思いで口にした言葉に対し、お母様は首をゆっくりと横にふる。そして僕に見たくない現実を突きつけてきた。


「ここで開発を止めても、犠牲者は二名で済みませんよ。いいえ、正確に言いましょう。


 ジャン=ステラ、あなたが知る犠牲者は二名だけとなるでしょう。


 ですが、あなたの知らない場所で開発は継続され、何人もの犠牲者が出るのよ」


「僕が開発を止めるよう、ヨハネスとバシリオスに命令しても、守られないという事ですか?」


「さぁ、どうかしら。二人は命令を守るかもしれないわね。しかし、二人以外の誰かが開発を引き継ぐでしょう」


「……引き継ぎを禁止したとしてもですか?」


「ええ、無駄よ」


 お母様がピシャリと僕の言葉を否定する。あまりの強い否定にひるんでしまうけど、理由を聞かないわけにはいかない。


「それは、どうしてですか?」


「あなたの知らない錬金術師に対し、私が開発を命令するからよ。


 そうね、私が知っているのは、木炭と硝石、そして硫黄を混ぜれば火薬ができると言う事だけ。


 悲しい事ですが、たくさんの犠牲者が出てしまうのでしょう。でも開発しなければならないのよ」


「お母様、どうして……ですか?」


 お母様の宣言に、僕はかすれる声で問いかけた。


 これまでお母様は、僕の意思をずっと尊重し、僕を外敵から守り続けてきてくれた。


 それにもかかわらず「開発を中止する」という僕の意思を、お母様は無視するという。それはどうしてなの?


「ジャン=ステラ、あなたも私と一緒に、小屋の屋根が飛ぶのを見ましたわね」

「はい、お母様。とても恐ろしい情景でした」


 轟音とともに屋根がスポーンと飛んでいった。そしてその時には知らなかったが、爆発によって二名が死亡したのだ。これから幾夜いくよもの間、夢にでてくることだろう。


「ええ、そのとおりです。火薬はとても恐ろしい力を秘めていることがわかりました。あれなら、城門をも打ち破れるかもしれないわ。あの小屋みたいに城門を吹き飛ばせる可能性を感じたのです」


 11世紀イタリアの戦争技術では、強固な城門を打ち破るすべはほぼ存在しない。城に立てこもってしまえば負けないという点で、防御側がとても有利なのだ。


 しかし、火薬があれば大砲が作れる。大砲があれば、城門を打ち破ることも簡単だろう。


 そうなれば、攻撃側が有利になり、戦争の方法も変わる。


「信じられない……。お母様はどこで大砲の事を知ったのですか?」


 アデライデお母様には大砲のことを伝えてなかったはず。なのにどうして?


「タイホウ、というのですね、城門を破れる兵器の名は。やはり火薬の開発は最優先で進めなければ」


「あっ」

 僕の失言により、城門を打ち破る兵器の存在をお母様に確信させてしまった。


「ジャン=ステラ、タイホウについてもっと詳しく教えてもらえないかしら」


「そんな事を言われても……」


 そもそも僕は火薬の開発も止めて欲しいと思ってるのに、お母様どうして?


「タイホウの事は、すこし先走りすぎたわ。その前になぜ私が火薬を欲しいか、城門を打ち破る力を欲しいかについて言う必要がありますね」


 うつむいてしまった僕に、すこしだけ優しげな声になったお母様が、その理由を語ってくれた。


「とても簡単な事よ。オッドーネ様のかたきを打ちたいの」


 お母様の夫であり、僕の父でもあるオッドーネは7年前に暗殺された。


 暗殺を命令したのは、トスカーナ辺境伯であり、マティルデお姉ちゃんの義父でもあるひげ公ゴットフリート3世。


 オッドーネの葬儀を終えた後、お母様と報復方法について話し合ったことを僕は思い出した。


「七年前のかたき討ち、ですか……」


「ええ、そうよ。今まで復讐できなかったのは、トスカーナ辺境伯家はトリノ辺境伯家よりも強大だったからに過ぎません。


 決して、あの人が亡くなった日の悲しみを忘れたわけではないのよ」


 過去を思い出したのだろう。涙をこらえるかのように、お母様が顔をすこし上に向けた。


「僕もお父様が亡くなった日の事は覚えています。お母様と一緒に復讐方法を考えたことも。 ですが……」


 それでも大砲の開発はしたくない。


 だって、今さっき僕の目の前で起きた爆発事故で、2人の死者が出たところなんだもん。火薬の開発よりも、人殺しの兵器の開発はさらに忌避感が強い。しかし、僕の言葉は中途でお母様にさえぎられてしまった。


「ねえ、ジャン=ステラ。オッドーネ様の最期の言葉を覚えていますか?」


「ええ、もちろん覚えています。お母様の口から何度も聞かされましたから」


『もし俺がこのまま死んでしまったら、ジャン=ステラを頼るといい』 

 それがお父様の最期の言葉だった。


「覚えていてくれてありがとう。オッドーネ様もきっと喜んでくださるわ」


 そういってお母様が両手を組み、祈るようなポーズをとった。そして、僕へのお願いを口にした。


「ジャン=ステラ、お願いよ。あなたを頼らせてください。私は復讐を成し遂げたいの」


 お母様の強いまなざしが僕の目を捉えている。


 僕が断ったとしても、お母様は火薬の、そして大砲の開発を諦めないだろう。


 たとえ開発の犠牲者が何人出たとしても。


 ぎゅっと結ばれた唇の力強さが、そんなお母様の意思の固さを表していた。


 お母様、ずるい。それはずるいです。

 お父様を引き合いにだされたら、僕が断れないって分かってますよね。


 だから、僕は「はい」と小さく答えるのが精一杯だった。


「ジャン=ステラありがとう。これでオッドーネ様も報われることでしょう」

 お母様の涙声も、ささやくように小さかった。


 僕が出来る事といったら、せめて開発の犠牲者を少なくすることくらいだろうか。


 深い溜息が一つ、僕の口からこぼれ落ちていった。



 ◇  ◆  ◇ 

 後日譚


 火薬と兵器について、マティルデお姉ちゃんに相談してみた。端的な手紙がすぐ返ってきた。


「私もアデライデ様に賛成よ。力は正義だもの。私は強いジャン=ステラがいい」



 ジ:ジャン=ステラ

 マ:マティルデ・ディ・カノッサ


 ジ:人死が出たのに、このまま火薬を開発してよかったのかな

 マ:いいに決まってるわよ

 ジ:きっと開発中にもっとけが人や死人がでちゃうんだよ

 マ:……

 ジ:そう考えただけで、怖くて体が震えちゃうの

 マ:それでもよ

 ジ:どうして?

 マ:死人がでるのは火薬だけじゃないもの

 ジ:……

 マ:雨が降らなければ飢饉が起きるし、戦争でも死人はでるのよ

 ジ:でも……

 マ:ああ、もうっ!煮え切らないわねぇ。いいことジャン=ステラ

 貴族に生まれたからには人の死を恐れてはだめ

 鈍感になれとは言わないわ。でも立ち止まることは許されないの

 それに、あなたが生まれてきた理由はなに?

 ジ:よげんしゃ、なのかな

 マ:ちがーう!

 ジ:え、えっと。ピザ?

 マ:そんなわけあるかっ! 私と結ばれるために生まれてきたんでしょう?

 ジ:は、はいっ!そうでしたっ

 マ:よろしい。全ての敵を打ち払い、私を迎えにくること、いいわねっ!


 ■■■ 嫁盗り期限まであと1年3か月 ■■■


 ーーーー

 あとがき

 ーーーー

 ジャン=ステラちゃんからマティルデお姉ちゃんへのプレゼント「新大陸産ファイヤーオパールを使った髪飾り」を、やまちさんが作ってくださいました。


 https://twitter.com/yamachi_s_/status/1776958389878485377/photo/1


 また、制作秘話「知識チートな中世貴族転生(性)少年と大貴族の黒髪美少女の関係性萌えを語る」を書いてくださっています。


 https://kakuyomu.jp/works/16818093075039713144/episodes/16818093075048791593


 ぜひぜひご覧くださいませ~☆彡


 ーーー


 マティルデお姉ちゃん、まじスパルタ。


「私、弱い男に興味はないもの

 ジャン=ステラ、あなたが私の横に立ちたいのなら、強くあるよう努力なさい、いいわねっ!」


「ん、僕、頑張る」(๑•̀ •́و✧


 えっと、もしもし、ジャン=ステラさん?

 あなたが頑張りすぎると歴史が変わりすぎちゃいませんか?


「それって今更じゃない?」


 まぁ、たしかにそうですね

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