第31話 オッドーネ最期の言葉


1057年1月下旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ アデライデ・ディ・トリノ


「カラーン カラーン」


サン・ジョバンニ大聖堂の鐘が鳴る。


私の愛する人、オッドーネが帰らぬ人となったことを告げている。


聖ペテロがあなたの名前を呼ぶその日まで、安らかに眠るようにと祈りを捧げている。



あなたはとてもいい人だったもの。

天国の門番である聖ペテロが天国にいざなってくれるにちがいないわ。


でも、それでもね。

先に亡くなってしまうなんて、ずるいわよ。


あなたの最期の言葉が頭の中でこだまする。


「最期にアデライデ、お前の顔を見れてよかった。

 君と結婚したことで俺の人生は輝いた。 ありがとう。


 今はしばしのお別れだ。

 天国への入口で待っているからな」


私もですよ。

あなたは私の頼れる夫、わが身の良き半身でした。

共に歩んだ日々はいつも心が温かかったわ。


もう、その日が戻ってこないのは辛いけど。


だけど、立ち止まってはいられないわね。


私にはまだ子供たちがいるもの。


あなたのためにも立派に育て上げないとね。


だから、再び会うその日には “よく頑張ったね” と抱きしめてください。

きっとですよ。


ですが。

ですが、今だけは悲しみに浸らせてください。

涙が止まらないんですもの。


    ◇    ◆    ◇


1057年1月下旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ ジャン=ステラ


領地巡回中のオッドーネが襲撃されたとの知らせを受けたのは3日前の夕方だった。


いつもと違う喧噪が子供部屋で夕食を待っていた僕の耳に入ってくる。


馬のいななき。

そして、兵士たちがあげる大きな声。


何を言っているかは聞き取れないが、焦った様子が窺える。


その声が子供部屋のある城館にだんだんと近づいてくる。


何があったのかはわからないが、異常事態が発生した事は間違いなさそうだ。


“一体何があったのだろう”


こんな事はかつて無かった。

胸騒ぎがして、不安が僕を襲ってくる。


僕と一緒にいるアデライデねえも不安そうだ。


「ねえ、何があったのかな」

心細そうな声で僕に問いかけてくる。


「うーん。 何があったんだろうね。

 お母さまに聞きに行こうか」


アデライデねえをこれ以上不安がらせないよう、できるかぎり平静を装って僕は答えた。


二人一緒に母アデライデの執務室に向かった所、丁度執務室を出てきた母アデライデとばったりであった。


「あの騒ぎ声が何かご存じですか?」

「何があったのかしらねぇ。 

声がこちらに近づいてきているから、一緒に玄関ホールに行きましょうか。」


母アデライデも何が起こったか知らないらしい。

そこで僕たちは子供部屋や執務室がある2階から玄関ホールへと移動したのだ。



移動が終わってほどなくして、 騎馬隊副官の肩を借りながらオッドーネが玄関ホールに入ってきた。


あまり体に力が入らないみたいで、足取りがおぼついていない。


「オッドーネ様!」

悲鳴のような声をあげて、母アデライデがオッドーネの元へと走り寄る。


「ヘマをしてしまったよ。 心配かけてすまんなぁ」


オッドーネは大丈夫、ちょっと失敗しただけだと言うが、その言葉に力がない。


肩で息をしており、明らかに顔色が悪い。

決して大丈夫とは思えない。


「一体何があったのですか?」

と母アデライデが問うのだが、


「いや、それがだなぁ…」

と歯切れが悪い。

オッドーネはばつが悪いのだろう。

“にへっ”と力ない笑顔を見せた。


「言いづらいのでしたら、今は問いません。 まずは、ベッドで横になってください」


既に涙声になっている母アデライデが、側仕えたちにオッドーネをベッドまで運ぶように命じた。



    ◇    ◆    ◇


1057年1月下旬 イタリア北部 ピエモンテ州 トリノ オッドーネ・ディ・サヴォイア



「神様、どうかオッドーネ様をお救いください」


アデライデが祈りの言葉を捧げる小さな声。

真摯な願いがベッドに横になっている私の枕元から聞こえてくる。


部屋の中はほの暗い。もう夜半を過ぎているのかもしれない。


自室に運ばれた後、ひと眠りしたが容態は思わしくない。


毒が体中に回ってしまったのだろう。

体に力が入らない。


“私はこのまま死ぬのだろうな”


認めたくはないが、私の命はあと数日だろう。


俺はサヴォイア家の4男だった。

領地を継げるような立場ではなかったが、アデライデと結婚することによって運命が変わった。


アルプス西辺を支配する辺境伯になれたし、7人の子らにも恵まれた。

その内の1人は主君ハインリッヒ4世の婚約者だ。

ゆくゆくは神聖ローマ皇帝の妻、つまり皇后となるだろう。


自分で言うのもなんだが、他人が羨むような恵まれた人生だっただろう。


妻や幼い子供たちを残してこの世を去るのは断腸の思いがする。


だが、妻に看取られて死んでいけるのだ。

戦場で屍を晒すことに比べれば望外の喜びと言っていい。



「アデライデ、ちょっといいかい」

「オッドーネ様、 起きていたのですか」


私の声にすこしびっくりしたのだろう。

アデライデの肩がぴくっと小さく跳ねあがった。

そして、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。


「ああ、目が冴えてしまっていてな。」

「体もすぐよくなりますよ。 朝まではまだ時間があります。

もう一度お休みくださいな」


「いや、意識がはっきりしている間に最期の話をしておきたいんだ」


「そんな弱音を吐かないでください」

アデライデに涙ながらに懇願された。


すまない、俺に残された時間はもう短いんだ。


「ああ、わかっている。 俺は毒なんかには負けないから安心しろ。

 でも、万が一があるからな。」


しぶしぶ頷くアデライデに、俺が死んだ後の話をしておく。


「もし俺がこのまま死んでしまったら、ジャン=ステラを頼るといい」


「ジャン=ステラをですか? まだ二歳半でしかありませんよ」


「ああ、そうだ。 だがお前も知っているだろう。

 ジャン=ステラが見た目通りではないことを」


「ええ。 前世の記憶があるんでしたよね。

 でも、トリートメントとか子供の遊びとかばかりで、領地運営に役立っていませんよ」


たしかにアデライデの言う通りだ。

ジャン=ステラは軍事や農政といった我々が表に立っている領分を侵していない。


だがそれは知識がないのではなく、意図して子供の範囲に収まろうとしているのだろう。

自分の知識を自慢したり、ひけらかしたりすることが全くなかった。


いや、トマトとかポテトとか食い意地は張っていたな。

よくわからない知識を披露していたっけ。


はるか西の彼方に大陸があって、そこまで野菜を採りに行くと息まいていたっけな。

あそこまで無茶苦茶だと、いっその事清々しい。


上手くいくとトリノ領の商いが盛んになるのかもしれない。

だが、まだまだ先の話。 

俺には夢物語としか思えない。 


つまり、ジャン=ステラは我々に配慮してくれていたのだろう。


体は二歳でも、その見識や精神の成熟度は我々以上だ。 

東方の聖職者どもが預言者だと告げるだけの事はあると思う。


だから、俺が居なくなった後、その知識を思う存分発揮できる場所を提供してやればいい。

それが、アデライデやトリノ辺境伯家の役に立つ。

俺の勘はそう告げている。



「アデライデ、俺を信じろ。

 おまえがジャン=ステラを頼れば、あいつはそれに応えてくれる。」


「そういえばジャン=ステラは、兄や姉たちのお願いにいつも振り回されていましたわね。

人に頼りにされれば無下にできない。

たしかにあの子はそういう性格をしていますね」


私の言葉に同意してくれたのだろう。 

今にも涙が零れ落ちそうな顔でアデライデが微笑んでくれた。


俺も笑い返す。

「ああ、そうだな。


 『その知識をアデライデのために役立ててくれ。後はたのんだ』


俺の遺言だとジャン=ステラに伝えてほしい。」


「わかりました。必ず伝えますね。

 お話はこれだけですか?

 お疲れのようですし、もうお休みになられてはいかが?」


アデライデが優しく俺に問いかけてくれる。


「ああ、だいぶん疲れたよ。 だがもう少しだけ君と話がしたい」


ここで話を止めるわけにはいかない。

今、意識を手放したら、もう戻ってこられないだろう。



「最期にアデライデ、お前の顔を見れてよかった。

 君と結婚したことで俺の人生は輝いた。 ありがとう。


 今はしばしのお別れだ。

 天国への入口で待っているからな」

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